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それぞれの転機(歩み続ける人へのインタビュー)

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自分の周りの人が歩んでいる道をインタビュー記事にまとめています。追い求めるものは違っても、立ち向かっていく姿には共通のものがあり、恐らくそれは普遍的な何かに繋がっているのだと思い… もっと読む
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記事一覧

音楽写真家という道の途中で ~ photographer 平舘平氏インタビュー【part4】

 音楽写真家の平舘平(たいらだて・たいら)さんのインタビューpart4。最終回です。  芸大声楽科を卒業するも音楽家への道を選ばず、写真家に転じた平さん。  今回は、フリーランスになってからどのように仕事を拡げてきたか、音楽と写真に対する想いを語っていただきました。 平舘平(たいらだて・たいら) 音楽写真家。1988年、横浜市生まれ。東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、複数のコンサートマネジメント会社、スタジオエビス勤務を経て独立。クラシック音楽を専門にコンサート、ポートレ

音楽写真家という道の途中で ~ photographer 平舘平氏インタビュー【part3】

 音楽写真家の平舘平(たいらだて・たいら)さんインタビュー part3。  part1 では芸大声楽科を卒業するまで、part2 ではコンサートマネジメントの会社で1年働いた後、カメラマンになるために退職し、先輩のアドバイスで撮影スタジオを受けて合格したところまでをうかがいました。  今回はスタジオマン時代からフリーランスになるまでのプロセスと、現在の音楽写真という仕事の特徴についてお話しいただきます。【全4回】 平舘平(たいらだて・たいら) 音楽写真家。1988年、横浜市

音楽写真家という道の途中で ~ photographer 平舘平氏インタビュー【part2】

 音楽写真家の平舘平(たいらだて・たいら)さんインタビューpart2。  part1 では音大を志して芸大に入ったものの音楽家になる道に疑問を感じ、休学を経て卒業するまでをうかがいました。  今回は芸大卒業後、別の仕事に就いた後にカメラマンを志し、勉強のため撮影スタジオに入るまでを聞いていきます。【全4回】 平舘平(たいらだて・たいら) 音楽写真家。1988年、横浜市生まれ。東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、複数のコンサートマネジメント会社、スタジオエビス勤務を経て独立。

音楽写真家という道の途中で ~ photographer 平舘平氏インタビュー【part1】

 インタビュー連載5人目のゲストは音楽写真家の平舘平(たいらだて・たいら)さん。主にクラシックコンサートや音楽家のプロフィール写真を撮影するカメラマンとして活躍しておられます。  友人の紹介で平さんに初めて会ったのは一昨年のクリスマス。上野の文化会館で開かれる室内楽コンサートの開演前でした。東京藝術大学の声楽科出身でコンサートの撮影をしていると聞き、なぜ声楽ではなく写真を選んだのだろうと思いましたが、聞けないままで時間切れ。  その後、音楽や写真に関する平さんの想いを断片的

引き込まれるのも癒されるのも、いつもコーヒーだったから【part4】~佐藤昂太バリスタインタビュー

ジャパン・ハンドドリップ・チャンピオン2016 佐藤昂太バリスタのインタビュー part4(完結編)。 ジャパン・ハンドドリップ・チャンピオンシップ2016 で初出場で優勝に輝き、2019年春にアンリミテッド・コーヒー・バーから dotcom space tokyo に移籍(part3)。 最終回の part4 では移籍先として dotcom space tokyo を選んだ理由から、これから進んでいきたい道をうかがっています。 佐藤昂太(さとう・こうた) 1988年、

引き込まれるのも癒されるのも、いつもコーヒーだったから【part3】~佐藤昂太バリスタインタビュー

ジャパン・ハンドドリップ・チャンピオン2016 佐藤昂太バリスタのインタビューpart3。 バリスタの道を志すも頑張り過ぎて心身を壊してしまい、止むなくリタイアして実家で静養することになった佐藤さん(part1)。封筒工場でフルタイムの仕事に復帰したけれど、やっぱりコーヒーの仕事がしたくて再びバリスタに(part2)。 part3 ではジャパン・ハンドドリップ・チャンピオンシップ(JHDC)で優勝したアンリミテッド・コーヒー・バー( unlimited coffee ba

引き込まれるのも癒されるのも、いつもコーヒーだったから【part2】~佐藤昂太バリスタインタビュー

ジャパン・ハンドドリップ・チャンピオン2016 佐藤昂太バリスタのインタビューpart2。 part1 では、学生時代にコーヒーの魅力に憑りつかれ中退してバリスタの道を志すも、心身を壊してしまい、止むなくリタイアして茨城の実家に戻ったところまでをうかがいました。 part2 は、静養から復帰して、またコーヒーの道に戻るまでのお話です。 佐藤昂太(さとう・こうた) 1988年、茨城県に生まれる。学生時代にタリーズでアルバイトをしたのがきっかけでコーヒーの道を志す。身体を壊

引き込まれるのも癒されるのも、いつもコーヒーだったから【part1】~佐藤昂太バリスタインタビュー

インタビュー連載、4人目のゲストはバリスタの佐藤昂太さん。東京スカイツリーの麓にある アンリミテッド・コーヒー・バー( unlimited coffee bar )で佐藤さんに出逢ったのは、約3年半前の2016年秋。淹れてくれたコーヒーのクリアな美味しさに衝撃を受け、「どうしたらこんなコーヒーが淹れられるんだろう?」と思っていたところ、その年のジャパン・ハンドドリップ・チャンピオン( Japan HandDrip Champion )と知って納得。 2019年春に dotc

振り返れば一本道~アートディレクター荒井耕治氏インタビュー(第4回)

アートディレクター荒井耕治さんのインタビュー第4回です。(最終回) 独立して順調にきていたところでリーマンショックにあい、人生観が変わったという荒井さん。最終回では、デザイナー人生を振り返って思うことや今後やっていきたいことをうかがいました。 マス広告からweb制作へ 自社のホームページは既に立ち上げていたので、それじゃホームページもやろう、とやり始めたのがその頃でしたね。それまでにもweb制作の仕事も多少はやっていましたが、「webもやりますよ」とは特に謳ってはいません

振り返れば一本道 ~アートディレクター荒井耕治氏インタビュー(第3回)

アートディレクター荒井耕治さんのインタビュー第3回です。(全4回) 大きな仕事がしたくて有名制作会社に転職し、メジャークライアントのサブ担当からアートディレクターに。(第2回) 今回は、その間にあった一番の転機から、独立して順調にいっていた時期のことをうかがいます。 荒井耕治(あらい・こうじ) 1953年茨城県大洗町生まれ。工業高校卒業後、電気メーカーサービスセンターに入社、退社。インテリアデザイン学校を卒業。バンド活動を経てデザイン会社入社。営業からデザイナーになり、2

振り返れば一本道 ~アートディレクター荒井耕治氏インタビュー(第2回)

アートディレクター荒井耕治さんのインタビュー第2回。(全4回) 第1回では高校を卒業してから、一旦はミュージシャンを目指したものの業界の理不尽さに情熱を失った経緯。営業として入った会社で奥様と出逢い、一緒にデザイナーとして仕事をするようになったところまでをうかがいました。 第2回では2度の転職を経て、有名制作会社でアートディレクターになるまでをお話しいただきます。 荒井耕治(あらい・こうじ) 1953年茨城県大洗町生まれ。工業高校卒業後、電気メーカーサービスセンターに入社、

振り返れば一本道 ~アート・ディレクター荒井耕治氏インタビュー(第1回)

インタビュー連載、三人目のゲストはアートディレクターの荒井耕治さんです。荒井さんとは20年以上前からのお付き合い。office環のロゴと名刺のデザインもお願いしました。マス広告からwebに軸足を移し、また新たな領域に踏み出そうとしておられる荒井さんにデザイナー人生を振り返ってお話しいただきました。(全4回) 荒井耕治(あらい・こうじ) 1953年茨城県大洗町生まれ。工業高校卒業後、電気メーカーサービスセンターに入社、退社。インテリアデザイン学校を卒業。バンド活動を経てデザイ

音楽だけで生きていく!~フルート奏者藤原雪氏インタビュー(第4回)

フルート奏者 藤原雪さんインタビュー 最終回です。 音楽の授業のない国で --- ネパールへはどういう形で行かれたのですか? その市ヶ谷のイベントを主催していたNPO法人ミランクラブジャパンがカトマンドゥに恵まれない子供たちのための学校を建てて運営してたんです。「そこで音楽の先生やる?」って言われて、「やります」と即答。 (うなずきながら)やりたい、やってみたいと、それだけでした。転機でした。それが。人生の。 あまり知られていないことだと思いますが、ネパールの学校に

音楽だけで生きていく!~フルート奏者 藤原雪氏インタビュー(第3回)

フルート奏者 藤原雪さんインタビュー 第3回です。(全4回) 生き急いで東京へ --- 仕事を辞めて東京に来るのに親御さんは反対されなかったのですか? もちろん、反対されました。安定した将来のために、せっかく私立の学校まで出させて栄養士の資格まで取らせたのですしね。 「ちょっとライブに行ってくる」と言って東京に来て、部屋を探して決めて申込もして、「今、部屋を決めたから、ハンコ押してください!」と電話しました。 --- なかなか大胆ですね。それで反応は? 「お前の勝