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「言い返す技術」イベントレポ

「言い返す技術」著者の五百田達成さん・ゲストの紫原明子さんのトークイベントに行った。今日はその記録をする。先に結論をいうと、笑いあり学びありのステキな時間で、私は長く持ち続けていた過去の怨念を一つ成仏させるほどに満喫した。

第一部

イベントが始まるとすぐにお二人が登場して、それぞれの自己紹介、この本が生まれた経緯、実際にお二人が「どんなときに言い返せなかったか」「言い返したとき」のエピソードを話してくれた。

メモをしていなかったので、具体的な内容については書けないのだが、お二人とも、真面目な話の中にユーモアがキラリと光っている。

第二部

第二部はワークショップだ。
何をするかというと「過去に言い返せなかったことを打ち明けて、どんな言い返し方が良かったかを一緒に考える」というもの。「座りっぱなしの人達の心をほぐす時間なのかな」くらいに思っていたのだが、これがすごく良かったので、書いておこうと思う。(得たものが多かったので、言いたいことが多い。)

まず、4人〜6人の小さなグループに別れた。そして、グループ内で順番に「過去に言い返せなかった話」をする。一人が話をしている間、他のメンバーは耳を傾ける。ただ黙って聞いているわけではない。その時すでに、頷く・共感する・不快な顔をする・文句を言う、という事が各々で静かに行われ始めていた。

一人が話し終わるタイミングで、全員の控えめなボリュームが全開になって、「それイヤだね!」「むかつく!」「ありえない…」と鼻息を荒くさせ、スクラムを組んで「ハッとさせるような言い返し方」を考えるのだ。

これは通常のコミュニケーションと異なる点がある。なぜなら、日常的な会話では「聞いてほしいだけ」「励まして欲しいだけ」「言いたかっただけ」という暗黙のメッセージを読み取らなければ行けない。もし見立てを間違うと「そういうことじゃなくて」「そうなんだけどそういう訳にはいかない」「出来ていたら苦労しない」と逆にモヤモヤを増やす危険性があるからだ。

しかし今日は「具体的にどうすれば良かったかを考える」という明確なOKルールがある。本人はモヤモヤに向き合って考えたのに、やはりまだ釈然としない言わば怨念のような体験を話してくれる。

話し手の詳しい背景は明かさずに、話し手が知ってほしい情報だけを開示する。聞き手は、その与えられた情報から「ではどう言い返すか、技術を使うとしたらどれに該当するか」を考える。

そのとき全員が当事者の目線、もしくは相手の立場になって考えているから、それぞれがモヤモヤを感じて「ぐぬぬ…だが負けぬ…!」とふんばりながら言い返す言葉を考える。

あーでもない、こーでもないと険しい顔をしているとき、いつの間にか私達は「問題解決チーム」になっている。誰かが良い案を出たら「それすごく良い!!」と喜び、一緒にスッキリしたのだった。まるで、ひと仕事終えたかのような爽快感である。

このワークショップ、どのグループでも「話す・聴く・共感する・一緒に考える・褒める・ねぎらう」 のすべて詰まった会話が行われていたようだ。

会場内の人が全員「言い返せなかったこと」を語った。グループに分かれているので、全てを聞くことは出来ない。だけど、私のいたグループ4人の話は、4人だからこその時間を共有できたと感じる。それぞれのグループも、そのメンバーだからこその会話を楽しんでいたのだと思うと、なんて最高の時間だ!とじんわり心が温まった。

互いに「がんばったね」「つらかったね」「むかつくね」と声をかけることは、実は自分にとっても励ましになっている。似たような気持ちになったとき、きっと今日と同じように自分を労えるのだ。

建設的な会話をする方法

ところで、私は個人的にもう一つ気がついたことがあった。
「言い返す方法を考える」という目的に重きをおくと、話し手の「それ以前の行動を否定しない」ということが自然にできていたように思うのだ。

「あなたがこうすればよかったのに」「そもそもあなたがそんな行動をしなければよかったじゃない」「なんですぐ言い返さなかったの」という否定的な言葉は、もともと不毛で不要だ。だが同時に、日常でよく犯しがちなミス発言でもあり、それこそ「言い返したい言葉」の上位に君臨する発言でもある。

NGルールとしてあげられていないにも関わらず、それが自然にできた理由は、見るべきポイントを定めていたからではないだろうか。着眼点を定めて「この点について一緒に考えて欲しい」と相手に知ってもらうだけで、建設的な会話ができる可能性が広がる。この経験ができたことは、予想外の良い学びだった。

共感による供養

今日、私が話をしたイヤな記憶は、共有したことで見事に「供養済み」として上書きされた。「あなたは悪くない」というメッセージを複数の人から受け取ったことで、不思議なほどに「だよね、わたし頑張ってたよね。どうすることも出来なくて悲しかったけど、私は悪くなかったんだ」と自分に優しくなれる。言ってよかった…!まるで、悔しさや悲しさや無力感の一つ一つに無数の泡が付いて、しゅわしゅわ溶かしているようだ。

短い時間なのに、すでにグループの人たちに好感しかない。こういう無念共感成仏イベントで、良い距離感や良い言葉の経験値を上げていくと、栄養満点の元気な心が出来上がりそうだ。

第三部

第三部では、各グループから出た「言い返せなかったこと」の実体験がいくつか紹介された。

そして「突然すぎて、とっさの防御ができなかった」というものや「空気をどこまで凍らせていいのか戸惑っていたらうまく言い返せなかった」という事が浮き彫りになった。

そうなのだ。心の中では「は?」「なんじゃコイツ」と毒づいていても、「ここで毒を見せたら、後でややこしいことになるかも」という少しの恐怖感から、私たちはスムーズにその場を適度に凍らせる言い返しができない。特に、第二部で参加者が話したエピソードは、心に張り付いている一番強烈な「言い返したかった!!」の怨念そのものである。どれも厄介なものばかりだ。

そこで、第二部で出たエピソードのいくつかに、五百田さんも一緒になって考えてくれる事になった。

「突然、セクハラ発言やデリカシーに欠けた質問をされたが、場は楽しい雰囲気で周りに人もいる状態。こういう時どういう反応をしたらいいですか。」と、紫原明子さんが質問した。

五百田さんは「とりあえず『はい?』と何度も聞き返し、それでもしつこく別の話をふってきたら、こっちも「はい?」を続ける。」という技術を提案してくれた。

なるほど。「よく聞こえなかったな」という反応は、オウム返しよりハードルが低いし、練習も少しで済みそうだ。出来そう。今後、積極的に技術を使っていこう。

五百田さんが「技術なので、練習すれば上達する」と言う通り、私たちには練習が必要だ。何度も何度もロープレをして、自分の心に技術を叩き込まなければいけない。ただ、ロープレは、一人ではなかなか難しい。やはり他人が居てくれた方が楽しいし身に付く。本を教科書にして、今日のように練習する機会があれば、実践がうんと身近になると思う。

本について

この本に書かれた「技術」は、相手を怒鳴り散らしたり、噛みつくような事は書かれていない。優しい人も気弱な人も、その性格のまま実行できる事ばかりなのだ。この技術を身につけることで、きっと今までより軽やかに生きられるヒントを得られるだろう。

「言い返す技術」を読んでいて、私は密かに「これは表計算ソフトを使って骨格を作ったんじゃないか」と感じていた。
なぜかというと、最初から最後まで、ずっと同じリズムで読めるからである。

そのことについて五百田さんは「意図的に流れをパターン化させた。問題解決のテレビ番組のように、安心して読めるようにした。」と話をしてくれた。さすがである。

読み手にも「あ、そろそろ解決案くるな」「今回のお困りワードはこれか…」と安心して読み進められるこの構成は、深く傷ついた人に特に優しい。

実は私自身、一部の会話に身に覚えがあり過ぎて、具体的な表現を読むのがつらかった。だが、遠慮なくページを飛ばして、先に相手と自分の心理状態の解説と、言い返す技術の部分を読んだのだ。

しばらくして「なるほど、もう大丈夫かもしれない。」と安心すると、さっきまで無理だと拒否していた部分を読んでも「ハハン」「痛くも痒くもないわ」と思えたのだ。

これから、電車で偉そうな人の会話を聞いたり、お店で少しモヤモヤする言い合いをしている人を見たら、私はいつの間にか手の中で「言い返す技術」を開いているだろう。

言われっぱなしの人によく見えるように、スマホの画面いっぱいに表紙のページを輝かせている人がいたら、きっとそれは私だ。これも一つの技術かもしれない。

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