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よりそいの花火

子供の頃にみた景色を、いまも覚えている。
私だけに見えた、花火の話をする。

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私の父は、よくレコードをかけていた。ビートルズやサイモン&ガーファンクル、クラシックや日本歌謡曲など、当時の流行りものをたくさん持っていた。レコードのジャケットには、きれいな風景やアーティストの写真が大きく印刷されている。私はそれを眺めるのが好きだった。

父のコレクションの中に「シルクロード」のレコードがあった。音楽は綺麗で、広大な景色が浮かび上がるようなメロディだったと思う。だけど、ふとレコードのジャケットを見たとき、私はギョッとした。まるで地獄の底みたいな絵に見えたからだ。「この絵の音楽なんだ」と感じて、もう拭えなかった。今にも地獄に吸い込まれそうな気がして恐ろしくなった。

「パパがこのレコードをかけませんように」
私は、父がいない時間にそう願いを込めて、こっそりレコードの場所を変えた。

でも父は、そんな私の行動に気付きもせず、あっさり「シルクロード」のレコードを見つけ出し、ある夜にかけ始めたのだった。

子供部屋はすでに暗く、私は寝るべき時間だった。
だけど「なんだか変だ、そわそわする」と感じる。だんだん、耳に聞こえる音が何だかわかってきて、サビの部分で「シルクロードだ」と確信した。

地獄の絵が大きく頭に浮かんだ。
私は怖くなって、力いっぱい耳を塞いだ。
だけど耳を押さえても音が漏れて聞こえてくる。耳をギョウザにして、更に手で押し付けた。でも手が疲れるし、耳も痛くなってくる。

こわい、こわい。
地獄に連れて行かれる。
布団の中に潜って震えた。

我慢できなくなって、「勇気を出して『パパ、こわいから音楽をとめてください』って言おう」と起き上がった。

でもきっと、大人の部屋へつながるドアを開けた途端、父から「なにしてる、早く寝ろ!」と怒られるに違いない。怒られたらもっと怖い。怖いものを増やすくらいなら、音楽で怖いだけのほうが我慢できるから、布団に潜り直して我慢を続けた。

強く目をつぶって何も見えない。
「こわいよ、地獄はイヤだよ」
頭がおかしくなりそうだった。

そのとき、目の奥にパッと花火みたいな幾何学模様のチカチカした景色が見えた。

「これはなんだろう」

よく見ようとしたら視界から消える。「消えたのかな、見えない…」と諦めて視線をそらしたら、またどこからともなく見える花火だった。

怖い地獄のシルクロードが、頭からフワッと遠のいた。掴めない幻の花火を延々とおいかけるうちに、私はいつの間にか眠っていた。

あくる日から、音楽が聞こえない夜も「今日も花火を見れるかな」と布団に深く潜るようになった。毎日違う花火で、私が見たいものを自由に選ぶことはできなかった。ときにシンプルな四角だらけで、ときには万華鏡を覗いたみたいに繊細だった。私は、「今日はこんな景色か」と静かで穏やかな時間を楽しんだのだった。

嬉しい時も、悲しい時も、体調が悪い時も、花火は目を閉じたら私に寄り添ってくれた。私が何事にも大して思い詰めることなく明るくいられたのは、花火が導いてくれたからだ。一人の時間を長く楽しませてくれた花火は、いつのまにか見ることができなくなった。それはちょうど、大切な友人ができた頃だった。

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私はオバケや宇宙人を、信じるとか信じないとかで考えることはしない。
見える人と、見えない人がいる。それだけだと思っている。
見える人は嘘をついているわけじゃなくて、本当に見えるんだろう。見えない人は、見えないのだから理解できないのも当たり前だ。

私の場合は花火が見えたし、古い友人には、妖精が見えるだとか、小さなおじさんがいるだとか、霊感があるだとか、オーラが見えるだとか、それぞれに全く違う世界を教えてくれた。
皆、見えちゃうんだから、それが彼らには本当の世界である。

私は今日まで、誰にも花火の話をしなかった。
誰かに話したところで、「へえ」という反応があるかないか、程度の小さな思い出だからだ。

人の心には、誰にも知られることのない不思議な世界が広がっているのではないだろうか。目まぐるしく変化する日常の風景に圧倒されながら、そのとき感じた心を言葉に変換する暇もないまま、忘れてしまうこともあるだろう。

もし誰かと静かに語り合う時間があれば、私はそんな話が聴きたい。
一緒に話しているうちに「忘れてたけど、今思い出したよ」と、お互いに決して分かり合えないだろう思い出話をしながら、柿の種を食べるんだ。


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