見出し画像

化石のことば、宝石のてがみ

中高生の頃は、よく友人に手紙を書いていた。

「こんにちは。お元気ですか。私は」

と最初に書く。このとき私は、「手紙をサラサラしたためる可憐な私」になりきっている。

心なしか姿勢も良いし、口は少し微笑みを帯びている。筋肉は明らかに可憐な動きをしている。そんな時、私は少女漫画の中の住人になりきっていた。

当時、私は『ベルサイユのばら』のロザリーが好きだった。だから私はロザリーの仕草を想像して、上品にそしてかすかに「ウフフ」と声を漏らしながら書いているのだ。

(実際はこけしよりもシンプルなデザインの顔に、寝癖が左側に常駐するショートヘアの人間である。ロザリーの雰囲気はカケラもない。でも、そんなことは気にしないタイプだった。)


「私は」と書いた後に「元気です」と定型文を書こうとしたときに、手が止まった。

可憐なロザリーは、「あら?近頃の私は元気かしら」と考え始めたのだ。

考えていたら視線が便箋から離れ始める。次第に心の中に入っていき、時を忘れて心の中の「元気」をあちこち探し出す。

「元気だと言えそうな根拠」
「元気じゃなかった出来事」
「そもそも、『元気』ってどういう状態なの」

ハッと意識を手元に戻すと、まだ二つの文しか書かれていない。

書き始める前にルンルンだった気持ちは、シュルシュルと音を立ててしぼんでゆき、可憐なロザリーは脱け殻となる。私はシンプルなこけしに戻り、机に頭をつけて大きなため息をついた。

2日後、机の上に放置された便箋は、シワが入りうす汚れて使えなくなっていた。私は便箋を新調して、「今度こそ書くぞ」と意気込んだ。次に書き始める時は「こんにちは」という挨拶をやめることを思いついたのだ。


「ヤッホー!」から書き始めてみると、するすると言葉が紡がれて、あっという間にお調子者の手紙が完成した。読み返すと、やたらとテンションが高くて、多動な雰囲気の手紙だった。

私は、手紙の中のお調子者な自分のキャラクターが気に入り「追伸」のメモをつけ加えた。さらに、封をした後にも封筒へ「追伸」を書き加えた。 全体的に調子に乗っている、暑苦しい手紙の完成だった。

相手がその手紙を喜んでくれたかどうかは、わからない。

*******

押入れの整理をしていると、当時ポストに出さなかった手紙がごそっと出てきた。

自分をカッコ良く見せたい私の文字は、はじめの五行だけ美しい文字だ。それから下は驚くほどのスピードで字が崩れ、下の方は完全にだらけきった筆圧の弱い文字が並んでいた。

書いてる内容は希望や夢でいっぱいなのに、文字のだらしなさがそれを上回るインパクトだ。こんな手紙を受け取ったら、相手は「この夢は、きっと夢で終わると思う…」と判断するに違いない。少なくとも大人になった私はそう感じるような手紙だった。

きっと書いたのは夜だろう。朝になって調子に乗りすぎている文章と、ゆる過ぎる文字に苦笑いして、引き出しの奥に片付けたに違いない。グッジョブ自分。


荷物からは手紙の他に、ロマンチックなポエムも出てきたし、淡い恋心を乗せた手紙もあった。きょうだいの文句や学校の先生のこと、進路についての悩みもあった。人にあてて書いたのか、独り言のように書き綴ったのか、文体は様々だ。

その言葉達は、私にしっとりした温度を感じさせない。もう化石になっていたのだ。見つけたところでちっとも光らない石ころのような思い出たち。

あの頃の私は、そう大して人生を楽しんでいるわけではなかったし、与えられた場所で生き延びていただけだった。その中でも自分を見つけたくて、書いたものがここに残っている。そう考えると子供の頃の言葉は、決してバカにできない。

少し前までは読み返すたびに「バカバカ!こんな私しらない!」と赤面していた。あの感覚は、自分がまだ大人になれていなかったからだろうか。それとも、誰かの価値観を借りるように身につけて、あたかもそれが最良の選択肢だと信じるように生きていたからだろうか。

書かれている思考回路や考えは、よく読むと今の私と大きく変わらない。「私が子供を産んだらこんなことは絶対に言わないし、しない!」と言う決意の手紙も見つけた。今の私も、そういう信念や祈りは持っていて、公平公正を愛する自分はこの頃からだったのかと安心する。なんて愛しいのだろう。

*******

荷物からは、友人から届いた手紙もたくさん出てきた。「お手紙ありがとう」と書かれた返事がたくさんあるということは、きっと私もそれだけ手紙を出したんだろう。何も記憶に残っていないのが悲しいが、返事を見る限りでは、どうやら何度もロザリーになったり、優等生になったり、お調子者になったようだ。

高校の授業中に回した手紙は、細々しているので紙袋にまとめて入れてあった。小さなメモには、友人の恋とか進路とか、真剣な言葉が所狭しと書かれている。文字を見ただけで、誰が書いたものか今でも判るのが嬉しい。

これらは学生時代を思い出す宝石だ。思い出すといつもキラキラしている。私が彼女たちに出した手紙も、1枚くらい誰かの思い出を彩る材料になっていたらいいな。

*******

私が一人暮らしを始めた時には、FAXで毎日友人とおしゃべりをした。当時の恋人も、毎日欠かさずFAXを送ってくれた。感熱紙に優しい言葉が1メートルを超えて印刷されていくのは、とても嬉しかった。

FAXは、私が送ったものも手元に残っている。受け取ったFAXは感熱紙の色が薄まり、今ではほとんど読むことができなくなっている。ただの感熱紙の塊になっているけど、まだ捨てることが出来ない。これもきっと、私の宝石なのだ。いろんな人に支えられていた。そうでなければこの感熱紙の塊は生まれなかったのだ。

*******

歳を重ねた私は、心を常に同じ温度で保つことに安心するようになった。心を震わせたり、かき乱すような場所にあまり進んで行こうとはしない。人と関わらなければ、新たな傷は増えないだろうと考えるからだ。

暮らしの中でも、極力自分から動くことを避けているようだ。自分を一から開示することが、面倒なのか飽きたのか、とにかく無気力なのである。よく言えばリラックスしているのかも。もっとよく言えば涅槃仏かも。

でも、こんな風に手紙を読み返したり、友人との思い出を辿ると、私の意識は自然に外へ向かう。
だけど、会うほどの気持ちが湧かない。もし仮に友人と会えたとしても、私は充実した生活を語ることはできないし、相手にも色々な事情があるからだ。現実はそこまで良いものではないし、暮らしのハイライトは特に見つからない。ただ「私は生きているよ、あなたはどう?」そんな静かな会話がポツリ、ポツリとできたらいい。


一人で考えて紡いだ私の言葉は化石になる。きっとこの文章も、いつか化石になるのだろう。でも、友人からもらった言葉は全て宝石になって輝いている。普段の暮らしではすっかり忘れているけれど、心の奥にたくさんの宝石を隠し持っている。私が今生きられているのは、宝石をくれた友人の存在があるからだ。

*******

いま、私は古い友人に手紙を書こうとしている。
私が書いた言葉は、もしかしたら彼女の新しい宝石になれるだろうか。彼女を少し喜ばせることができるだろうか。そんなことを意識して、私は、久しぶりにロザリーになろうと思う。

ぜひサポートをお願いします!ふくよかな心とムキッとした身体になるために遣わせていただきます!!