飯田たまこ

たまちゃんです。詩、思うこと、残したいもの

飯田たまこ

たまちゃんです。詩、思うこと、残したいもの

マガジン

  • 詩集

    どうにも勝手なものです。何も気にせず書きたいものを楽しく書いていく場所

  • あとでよむ

  • 考えざるをえないのは家族のこと

    かぞくについての考察

  • 片付けと自己対話

  • 映画

    映画の『好き』を書く場所。 書いてないこと、自分の言葉にしてないことは 話す時にとてもぼんやりしている、 感動したんです。 好きなんです。 すごく、好き……なんだけど〜〜〜!

最近の記事

学校が再開して〜来るべき明日に絶え間なく備える

先週、こどもの小学校と保育が再開。 決まった時間に起き、決められた持ち物を準備し、決められた時間に登校し、決まった場所へ送り迎へし、こなすべき家事をこなし、週末まで止まることのない明日に備える。 とにもかくにも生活を安定させることに力を注ぐ。 戻ってきた日常日常が戻りつつありますね、なんていうけれど、 日常が戻ってきた、という言葉はしっくりこない。 「戻るべき日常なんてあったのか」と感じるときがある。 もうすでに、わたしたちは新しい生活の価値を見出していた。 (”た

    • 勝手にひっそり無力でも「サポーター」

      小学校に上がって、娘が学校に行きたがらなくなって、 休みがち、イヤイヤ登校、たびたび保健室で過ごしながらだった1,2学期を乗り越え、3学期はまるまる休んだ。 たまたま近くにできたフリースクール的な場所 (欠席扱いにはなるけれど)に通うようになった。 休みだして、しばらくの間、親として何ができるかを悩んだ。 気持ちを受け止めた上で、不登校は悪くない、そう本音で言えるようなところまではたどり着いた。 結局、しばらくの間休んだのがよかったのか、二年生になってけろりと「学校へ行

      • 在宅勤務、家族に不可欠な”三つの時間”の壁

        在宅勤務によって、一緒にいる時間が長くなったり、どうしても目に入ってしまうことでイライラしたり…… コロナを原因とする環境の変化によってもともとあった問題が顕在化した、とも言えるかもしれないけれど、そういった心理的、精神的な要因だけではなく、 物理的なスペースの問題もあるかもしれません、というお話。 空間のせいだなんて……と思うかもだけど、 我が家はここ数年、24時間365日夫婦ともに在宅勤務していて、 空間は結構大きい要素だぞ、とひしひしと感じている。 (タイムリーに

        • 学びを止めないってどういうことか

          #学びを止めない 厚労省のHPに出てくるこの言葉、SNSでもたびたび見かける。 この言葉に出会うたび、 焦燥感や、責任、そして小さな迷いを自分のうちに感じる。 なんでだろうか。 今回の休校で、学びを止めないということが簡単ではないことがわかったし、かといって、プリント、タブレット、スマホ、PCで学習すればよいというのにも違和感を覚えている。 本来、学ぶことで何を得るかって言うと、可能性を狭めないということ。 生まれ落ちた環境は生き方に大きく影響するけれど、学ぶことがで

        学校が再開して〜来るべき明日に絶え間なく備える

        マガジン

        • 詩集
          1本
        • あとでよむ
          0本
        • 考えざるをえないのは家族のこと
          4本
        • 片付けと自己対話
          4本
        • 映画
          1本
        • 日記
          12本

        記事

          小学生(低学年)が参加するzoomの場で気をつけること

          Twitterを見ていたら、目に入ったこちらの記事。 https://twitter.com/soulful_teacher/status/1249110310645985282 コロナ休校となり、わがやの小学生の子どもが、学校外のグループでzoomで朝のミーティングを行うようになりました。 とてもあたたかな場を作ってくれていると同時に、記事に大きくうなずく部分や、実践したい内容があったので感じたことと合わせて備忘録で書いておきます。 当たり前ですがミーティングが参加し

          小学生(低学年)が参加するzoomの場で気をつけること

          小学校を休みたいと言ってくれた君に

          親としてできることは本当に少ないっていうことを書いたけど、 親として子に願うことはたくさんある。 欲ばればいろいろあるけど、 一番は”どこへ行っても大丈夫な子になってほしい”だ。 どこへ行っても大丈夫って、どんな意味かって言うと 転んでも失敗しても、嫌な思いしても、ここがだめでも、別の道を選べること。 とにかく生きることを諦めないでほしい。 小1にあがって、子どもが学校へ行きたくないと言い出し、長いこと休んだことがあった。 (自分の常識に縛られてた部分にも気がついた

          小学校を休みたいと言ってくれた君に

          つかずはなれず、味方で

          親としてどうあるべきか、なんて 堅苦しい話じゃないんだけど 子育てを初めてから7年を過ぎてやっと 親にできることって本当に少ないのかもしれない、と今さらだけど強く感じている だんだんと背が伸びて 今まで見えなかった景色が見えるようになる その瞬間こそ、本人にとって生きる喜び 「見てみて」と誰かに示されて、みつけたものを一緒に楽しむのもいいけど 自分で発見し「見てみて!」というときの表情はもっと輝いてる その瞬間を見られるのは、子どものそばにいさせてもらっている親の喜び

          つかずはなれず、味方で

          片づけと自己対話ー4『いただき物は目を曇らす』

          片付けをしていて気づいたことがある 今日の発見は、『いただきものは目を曇らす』 いただき物と、好きなものとが混じり合ってるから ゴチャゴチャしているということに気がついた 容器、タオル、ふきん、保育でもらってくる絵本などなど、 もらったもんを一応使えるからといっていつまでも何年も、適当に使っている それで用は済ませられるし捨てるのはもったいないから、 と言って 自分が選ぶ機会を手放して「ちょっと好きじゃない」「ちょっと使いづらい」に目をつぶる ゴチャゴチャしていると

          片づけと自己対話ー4『いただき物は目を曇らす』

          この距離がわたしと世の中の限界 (映画『勝手にふるえてろ』)

          最近の関心ごとに、”社会と自分との距離感”というのがある。 なんか孤独な感じがする。関係性が築けていない気がする。話したいけど、口にできない、相手がどういうつもりかわからない、共感しあいたいのに、どうやっても理解しえない。誰かとのつながりを渇望しているのに、つながると勇気がもてない、疲弊してしまう。 自分自身、そして周りを見ていて感じる生きづらさというのは、 どうもこのあたりから漂っているような気がしている。 映画を観て さて、以下は映画から私が受け取ったもの。 ーーー

          この距離がわたしと世の中の限界 (映画『勝手にふるえてろ』)

          よりみちが好きなら

          よりみちしたっていいんだと思う 「あれもこれも手を出すのは、わたしの主義じゃないんで」 そうお世話になった電気屋さんがぽろっと放った言葉が三日間くらい妙に胸に刺さっていた。 わたしは、どっちかっていうとはまりやすい割に、早々に飽きて気持ちが別のところへ行ってしまうことが多い。 飽きて行ってしまうというよりも、何かをやっている途中に出会った他のテーマに気持ちが向いてしまって、どれ、ちょいとそっちの方が気になりますな……というパターンが多い。 そんな感じで

          よりみちが好きなら

          片付けと自己対話ー3(決断したくないよぉ!)

          片付けと自己対話シリーズ。 一番はじめのお話はこちら 決断したくない片付けをしていてひょこひょこと顔を出してきた気持ち。 それは「決めたくないよぉ〜〜!!」というものだった。 決断とは、決めると同時に、何かを断つということ。 このちょっと色あせた哀しいワンピースをとっておく?それとも捨てる? よくよく見つめると、 決めることが嫌、というより私は断つことをしたくないのだった。 選んだら失う気がする 後悔したくない 失敗したくない だけど、気づいたらどちら

          片付けと自己対話ー3(決断したくないよぉ!)

          片付けと自己対話ー2

          己の人生のハードルの一つに、『片付け』があることに気づき、 そこから片付けというものに向き合った2018年8月〜2020年1月までの記録。 片付け方法としては、こんまりさんの『人生がときめく魔法の片付けノート』を使用。そして、こんまり流の片付けをやりきった友人にサポートしてもらいながら進めた。 一番はじめのお話はこちら これまでの片付けとの違い もちろん人生初片付け、というわけじゃない。 ふきだまりのような箇所が家の中には何箇所かあって、 生活に支障をきたしてくると(

          片付けと自己対話ー2

          片付けと自己対話ー1

          己の人生のハードルの一つに、『片付け』があることに気づき、 そこから片付けというものに向き合った2018年8月〜2020年1月までの記録。 片付け方法としては、こんまりさんの『人生がときめく魔法の片付けノート』を使用。そして、こんまり流の片付けをやりきった友人にサポートしてもらいながら進めた。 片付かないということ”片付かない”  という問題は、小石のようにそこら中に落っこちていて、それを避けようとしながら生きていくのは大変だった。 度々、そこに足を取られ怪我をしてきた。

          片付けと自己対話ー1

          ゲルと裁縫箱と野菜

          「裁縫箱貸してくれん?」 農家の友人が、鶏をさばいてモンゴル人とBBQをしようと企画してくれたその日、ゲルの持ち主でもある彼にそんなお願いされた。 お願いと言っても、私の家はBBQをする場所から走って30秒ほどだったので、二つ返事で取りに行く。 歯で糸を切り、モンゴルから日本へやってきたハンさんはスイスイと2つの布を合わせて縫っていく。ゲルを建てたり、ヤギを肉にしたり、何度も彼らの大きな手が色々なものを解体し色々なものを作り上げるのを目にしてきたが、毎回、「手」というの

          ゲルと裁縫箱と野菜

          絵本の記録〜秋に焼き芋しながら読みたい 『どろにんげん』

          思わず手に取る本、というのがある 週に一回、子どもが保育園から絵本を借りてくる。借りてくると、読みました、と名前と日付をチェックしなきゃいけなくてその作業が地味にめんどうだ だけど、どんな本を手に取るか、読んだ反応を観察してみるのもおもしろいなとむりやり思うことにしてみる。みうらじゅんも、仏像が好きで、仏像巡りをしたのではなくて、仏像巡りをしていたら仏像が好きになったというようなことを言っていた気がする(曖昧) 推薦図書とか、読むべき本、とかいろいろあるだろうが、子ども

          絵本の記録〜秋に焼き芋しながら読みたい 『どろにんげん』

          ”ちょっと話す” ができる関係性

          夜、布団に入って長女と雑談をした。 彼女が話してくれたのは、明日からの小学校がいやだということ、牛乳が多すぎること、国語の音読がみんなと一緒だと遅すぎること、先生や友達は好きなんだってこと。 牛乳好きだと思ってたよ。 好きだけどぜんぶは多すぎるんだよ。 へえ。 「どう思ってる?」ふだん、ああ、ここは大事なとこだな、理解したいなと思うシーンに限って、彼女は口をつぐんじゃう。 それに対して母であるところのわたしは「言わないとわからないよ」という。(わかってあげれたらいいの

          ”ちょっと話す” ができる関係性