自分なおざり事件。
事件かっていうとちょっと違うけど(笑)
何があったのかというと
ここ最近ちょっとイライラすることが多かったわけです。
イライラはブロックが煽られているサイン。
ほんとの気持ちがなおざりになってるサイン。
わかってるけど向き合うのが嫌だったわたしは、いろんな理由をつけて避けちゃうわけです。
イライラの原因は自分のなかにあるんですけどね。
なにがきっかけでイライラしていたかというと
旦那さん。
旦那さんは頸椎損傷の1級障害者です。
1級は最も障害レベルが重い状態。
1級のなかでは恵まれている方ではありますが、でも一人ではできない事だらけです。
食事は補助具を使えば自分で食べられます。
でも食事の用意はできない。
お風呂は特殊なお風呂にしていて、自分で入れます。
でもお風呂掃除はできません。
トイレは、おしっこは自分でできます。
でも大きいほうのうんこはわたしが摘便(指で掻き出す)しないといけません。
などなどできることもいっぱいあるけど、
手伝う必要があるものもいっぱいあります。
でも、わたしがしんどい時、病気で体調を崩した時
わたしの代わりはいません。
わざわざ実家のない県外に家を建てたのも自分たちの選択。
両親がいない、頼れない場所に住むことを決めたのも自分たち。
だから、やりたくないとか、しんどいとか言えないし
言ったところでどうしようもないし
結局自分がやるしかないんです。
普段、そんなことはあんまり思ってないというか、思わないようにしてきて、気づかないようにしてきて。
だって気づいちゃったら、その想いは止められなくなるから、もう別れたーい!!嫌だー!!!って思ってしまうのが怖いから。
別れたいわけじゃないし、旦那さんの人間性とか性格とか、魂的な部分では旦那さんのことが嫌じゃないわけです。
ただその自分のキャパを超えて手伝わなければいけない状況が嫌なだけ。
そういうふうに思うこともダメなことだと思って、自分の心の叫びに蓋をしてたんです。
でもイライラはもう気づかないフリはもう限界ですよっていうサイン。
「なんでこんなにイライラするんだろう」
自分でもよくわかってないんです。
どんなときにイライラするのかを考えてみたら
「できることは自分でやってよ」
「自分でできるのになんでやらないの。」
「めんどくさいからってわたしに頼まないでよ。わたしは頼める人がいないのに。」
「なんでもっと自分でやろうとしないんだろう」
「わたしが頑張っても、手伝っても何もねぎらってくれない」
「健常者の旦那さんだったら、ごみ捨てくらいはやってくれるけど、それすらも無理なんよなぁ。結局わたしは誰にも頼めない」
「わたしは自分のやりたいことがあるのに、その手を止めて手伝わないといけないんだよ!」
という不満でぶち切れたまこ。
旦那さんも全く自分のことは何もしないってわけではなくて、基本はできるだけ自分でやりたいと思っているんですが、たまにお願いされたり、手を抜くことはあるのです。
わたしは全部自分でやってほしい!!!と思っちゃってる。
イライラしてますから、理性で言っているわけではないんですよねぇ。
やってくれる他の人はいないので、「頑張らなくていいよ」という言葉は通用しないわけです。「頑張っているね」と言われてもその言葉を誰かに言われたいわけでもないんです。
その場しのぎの言葉は、結局また自分のことよりも旦那さんのことばかりやらなきゃいけない日々がやってくるわけで、かき消されるのです。
旦那さんの介護、介助は逃げられない現実。
だけどふと気づいたわけです。
「わたしは自分のやりたいことを中断してまで、人のために時間を使っていることにイライラしている。」
ここが一番イライラポイント。
手伝ったり、旦那さんのための時間を使っていることにイライラしているのではなく、さらに奥にある気持ち。
「わたしは自分のやりたいことを中断していることにイライラしている」ということ。
さらにわたしは旦那さんに褒めてほしいとかたまに言ってました。ちゃんとやってるでしょ!なんで褒めてくれないの!って。コドモか!ですよね~(笑)
この「なんで褒めてくれないの!」はわたしの奥にある深い所にあるわたしの声。
深い所にあるわたし、本当のわたしは、ほかの誰でもない顕在意識のわたしに褒めてほしいのです。誰かに「すごいね」とか「頑張ってるね」とか言われても物足りないのです。
わたし自身が認めてないから。
わたし自分を大事にしてなかった・・・・。
「自分のやりたいことを中断している」のは旦那さんのせいだと言っているけど、そもそも自分のこと、そのまま認めてあげてる?
やりたいことをやるっていうことが自分を大事にすることかというと、それも大事だけどその前に、旦那さんのことを考えすぎて自分の気持ちを大事にしていなかったんです。
たとえば、たまにしか食べられないいただきものの珍しいお菓子があって、二人とも1つずつ食べたけど、あと1つ残ってる。
次の日の朝、食べちゃおうかな、でもわたしがいない間に旦那さんが食べたくなるかもしれない。(ならないかもしれないのに)だから、食べたいけど置いといてあげよう。
みたいな。ちょっとした自分の気持ちをなおざりにしていることがしょっちゅうあることに気付きました。
自分の食べたいものよりも、旦那さんが食べたいもの。
自分が飲みたいものにお金をかけるよりも、旦那さんが飲みたいものをいつでも飲めるようにストックしておいて、余ってるようだったら飲む。
眠たいけど、旦那さんの介助のために起きてなきゃいけないのは仕方ない。
みたいな、ささいなことを我慢していました。
起きてなきゃいけないのは仕方ないけど、「眠たい~やだ~寝たい~!」と思ったり感じたりするところまで否定する必要はなくて、思ってもいいし、感じてもいい。
そしてわたしがわたしに「眠たいよね~。辛いよね~。よく頑張ってるよ、偉いよ、わたし!」って認めてあげることって大事なのです。
「自分の気持ちを認める」これができなかった~。
てゆうかきづかなかった~。
だって気づいちゃいけないと思っていたから。
気付いたら離婚したくなるんじゃないかと思っていたから。
実際は、離婚したいなんて思うこともなく
自分の気持ちを認められたことで、かなり落ち着きを取り戻し
イライラはおさまりました。
はー・・・・・。
何年このもやもやを抱えていたんだろう。
障害者と暮らすことは大変なこと。
だから両親にも反対されていたし、旦那さんの両親にもわたし一人にまかせるのは心配ってあんまり信頼されてない気がしていたし(気がしていただけかも)
「平気だよ!ちょっと手伝ってるだけだし。支えてもらってるし!」
と平気な仮面をずっとかぶっていたんだと思います。
確かに支えてもらってるのも事実ですけど、わたしだって結構がんばっている。それを認めていないのは他人でもなく自分自身でした。
わたしちゃんと頑張ってる。
人一倍頑張ってる。
だからできないことがあっても仕方ないの。いいの。
よーく頑張ってるよ。
あんたはすばらしい!
自分を愛そう。
自分を愛して愛しつくしてこそ、人に愛されるのだから。
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