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私の文章修業・中盤 〜教師修業、編著出版編〜

おはようございます!tamamioです^o^

今日も私の文章遍歴、noteと出会った経緯と、
これからの短期的・長期的目標や夢などについて
お話します^o^(見出しの設定できません…どうすれば…)

5.今の私を支える、TOSSでの教師修業
2年目に出会った向山洋一氏は、民間教育団体「TOSS」の代表でした。そして、TOSSは各都道府県にサークルがあることを知りました。

そのサークルに入りたい!
入って勉強して、いい先生になりたい!!


その後、結婚のため地元を離れ、愛知に。
そして憧れだったTOSSサークルに入りました^o^

名古屋市には全国的に有名な先生がいて、
その先生と良き先輩、仲間と共に、最初は月一、だんだん週一の割合で勉強会をしました。
サークルでは、模擬授業と言って、教師が子ども役になって、5分間の授業をします。
5分後、授業についてあれこれ意見を言い合う、
というのが、模擬授業です。

これが本当に楽しかった。
前に立つのはドキドキするし、批評されるのは恥ずかしいし、時に傷つくし、でも「自分の授業が良くなっている」という確かな手応えがありました。そして、価値観を同じくする仲間との出会い、交流が本当に刺激的でした。

当時、全国のあちこちで「セミナー」が開催されていました。セミナーでは、実力のある先生がご自分の実践を紹介したり、知的な模擬授業を受けられたり、時に自分の授業を批評(斬って)もらえたり。なんて、刺激的!
そして私も、県外のセミナーに参加するように。
東京、大阪、福岡、遠くは熊本や新潟にも、一人で、時には仲間と参加しました。

そのうちに参加するだけでなく、前に立って模擬授業をしたり、実践を発表したりして、だんだんと顔と名前を覚えてもらえるようになりました。

この頃は、月に一度は県外に出かけていたので、交通費、セミナー代、書籍代など出費が物凄かったです。貯金は底をつき、給料日前には常に金欠でした。公務員にあるまじき…

それでも、お金とは違う資産が、決して減らない資産が、自分の中にできました。
この頃の教師修業が、今の私を支えています。


あと、よく聞かれたのは「旦那さんはいいの?」です。こんなに奥さんが家を空けて、旦那さんは許してくれるの?と。

我が家は、夫は夫で私より忙しく、私より家にいなかったので、全く問題ありませんでした。
それに、お互いに必要以上に干渉しないというAB型気質(私も夫もAB型)なので、あれこれ言われることなく、自由にさせてもらえました。

6.はじめての原稿依頼&執筆
TOSSでは、毎月明治図書出版社から教育誌を発行していました。教科指導、学級経営を広く学べる雑誌から、国語、算数など教科に特化した雑誌、特別支援、家庭教育まで、本当にたくさん。

ライターは、主に向山洋一氏はじめ、実力のある先生方。そんな中に、若手教師が執筆したり、投稿したりするページもありました。
ライター発掘は、セミナーでの発表による認知度や、実践の中身、セミナー後のアンケート欄などから、雑誌編集部行います。

そうした中、私にも1ページの原稿依頼が届きました。初めて明治図書出版社から緑の封筒がーしかも「原稿依頼在中」の判のあるーが届いた時の嬉しさ!
私も文章が書ける!発表できる!やったー^o^

原稿執筆にあたり、言われたことは以下の2点。

1.原稿依頼は個人に来たのでは無い。サークルに所属する個人に来たのだ。だから、サークルの信用を損なう行動(〆切守らない)は厳禁。そして提出前には必ず複数人に検討してもらうこと。

2.中学生が読んでも理解できる内容、文章、表現にすること。具体的には、一文は短く。主述のはっきりした文を書くこと。

この2点。これは今でも私が心している点です。
こんなふうに始まった原稿執筆。
それから月に一本、二本と依頼を頂けるようになり、隔月誌での連載、そして月刊誌の連載も頂けるようになりました。

7.出版依頼、プロット作成、原稿作成チーム結成
当時は、教育書出版ラッシュ期でもありました。
有名な先生の単著、その先生のサークル共著や、中には若手教師の単著も出版され、まさに出版ラッシュ。

その流れで、私にも編集長からお話をいただきました。お葉書には「先生の単著かサークル共著で」とあります。迷わず共著でお願いしました。

力も経験もない私には、単著よりも共著の方が、価値のある本を出せると思ったからです。
それからプロット(目次)を送り、執筆メンバーを募り、分担し…というように、執筆は進んでいきました。

私が責任者なので、執筆はもちろん、検討も真剣にしました。もっとこうして、ああしてと、同輩にはもちろん先輩達にもお願いし、生意気なこともたくさん言ったと思います。反省。
そしてゲラ(見本)が届き最終チェックで出版。

完成本が届いた時には、やはり嬉しかったです。
自分のしてきたことが形として世に出る、というのは、やはり格別です。

反省点はプロットが多すぎたこと。
一冊2700円の超高値になり、それもあって、再販がかかることはありませんでした。(再販がないと、出版社の利益は出ないのです。)
その後、2冊目の共著のお話もあり、結果「2冊の編著の著書」ということになっています。

7+α.おまけ
さて、私の初本のあとがきは、次の2行から始まります。

◾️
日本のどこかに、授業がとても上手な人がいるに違いない。
どこにいるのか、いつ会えるのかはわからないが、とにかくそういう人が存在して、いつか私はその人に会える。

◾️

この姿勢は、実は今も変わっていません。
対象が、その時々で、人だったり場所だったり、腑に落ちる答えだったりしているけれど、いつも何か探しています。
そうして、一つ一つ、自分にしっくりくる事物を見つけて身につけていけたらいいな、と思います。

またまた、長くなってしまったので、ここでも区切ります。今後の展望は、次回に!

読んでいただき、本当にありがとうございました!


私の創作活動の糧は「読書」です。より多くの書籍を読み、より有益な発信ができるよう、サポートいただけると嬉しいです。