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2018旅する土鍋

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2013年より毎年おおきな土鍋をかかえて「旅する土鍋イタリア」取材。2018年夏は『第2弾ペーパーブック』を仕立てる予定。WEBサイト、FBページでもご紹介はあるものの、ひと足先… もっと読む
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記事一覧

ちょっとブレイク「手づくりしているふたつのヨーグルトっぽいもの-ミニ土鍋でどうぞ-」

ちょっとブレイク「手づくりしているふたつのヨーグルトっぽいもの-ミニ土鍋でどうぞ-」

昨日はヨーグルトの日だったなんてつゆ知らず日常通り静かにホームメイドヨーグルトっぽいものを食べていた。

我が家は2種の「ヨーグルトっぽいもの」をホームメイド常備している。

ひとつめはケフィアヨーグルト。牛乳からつくる乳酸菌と酵母の共生発酵。ふたつめは豆乳と乳酸菌からつくるヨーグルトっぽいもの。ヨーグルト定義は「牛乳を原料に乳酸菌でつくるもの」だから…。ああ複雑だけど、気分で食べわけるだけ。ああ

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旅する土鍋「新作と洞窟の町」

旅する土鍋「新作と洞窟の町」

残念ながらというのか、生真面目な性格と効率的な計画性を持ち合わせていない。困りものであり、功を奏しているともいえるだろう。展覧会のたびごとに、あたらしいもの、見たことのないものをつくりだすわけだが、ここに計画性は通用しない。アイディアを探しにいくぞ!といって生まれるものでもない。経験や感情の「ストック」が一定量からあふれたとき、そこにこぼれるものであり、「こぼす」という抜け具合が必要なのだ。

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旅する土鍋 「詞の旅②」

旅する土鍋 「詞の旅②」

「皿の中に、イタリア」(著 内田洋子)

ご存知のかたも多いだろうこの本、カラブリア出身の三兄弟の魚屋と筆者の出会いと、料理や食材を介した人との交流がシズル感たっぷりに書かれている。内田洋子氏のイタリア関連本はいくつか読破したが、特段、この本は両手の指では足りないくらい読んだ、というか旅に何度も持ってゆく。ぼろぼろになったり、読み終わったものを旅先で譲渡したり、そんなことから何度も買い直してまた持

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旅する土鍋 「詞の旅 ①」

旅する土鍋 「詞の旅 ①」

フランス系スイス人の友人と、夜な夜な話をしたことを思い出す。心をうごかされたバンド・デシネ作家であるカトリーヌ・ムリス。2015年1月7日、新聞社『シャルリ・エブド』の襲撃事件を免れたあと、苦悩の日々を送っている作家。

スイスからバンド・デジネやイラスト関係の厚くて重い本を2冊抱えて帰ってきたが、そのとき入手したかった本「La Légèreté」(軽やかさ)のイタリア語版を、スイス人の友人が送っ

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「旅する土鍋2018」ケッパーの花とつぼみ

「旅する土鍋2018」ケッパーの花とつぼみ

「黒オリーブはガエター産か?」と刑事が聞くと「もちろん!カッペリ(ケッパー)はパンテレッリーア島のものだ」とレストラン店主が応えるシーン。黒オリーブやケッパーを入れる料理「タコのルチアーナ風」をオーダーするシーンだけで唾液があふれてくる。

上記は「刑事モンタルバーノ」というイタリアの刑事ドラマのワンシーン。毎回出てくる食事のシーンが好き。気の利いた会話がなされるのがイタリアならでは。

(IL

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「旅する土鍋2018」マルケ編 ①列車の中のサンドイッチ

「旅する土鍋2018」マルケ編 ①列車の中のサンドイッチ

七人の女サムライイタリアの包丁はなんとも切れない。
「ねえ、さわこ~」とキッチンに入ったら、料理人さわこ氏が2本の包丁をカキーンカキーンといい音を立てて擦り叩いていた。
その姿に、オヌシ!と言ってしまったほど彼女はサムライだった。

B&Bラ・シェンテッラのオーナーであるロベルト フェレッティ氏が昨年から企画してくださっている「旅する土鍋」のマルケ版。去年のイベントに続き、今年は参加者がもっと増え

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「旅する土鍋2018」ねこまんまとパッパ

「旅する土鍋2018」ねこまんまとパッパ

“イタリアは食材に恵まれているから何でもおいしいのよね” つい言ってしまいがちな言葉だが、海外至上主義に向かうべからず。同じ食材や味を求めたり、レシピを極上になぞらえようとするから「ムリ」が発生するわけで。それは日本に住みながらつくる毎日の食事、そして生き方も同じ。

おいしいものだけでなく、モノをつくるのも同じ。

少し前も書いたが、なにを求めて我を批判し、至上主義に迫るのか。なにを求めて自虐的

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「旅する土鍋2018」 晩餐会の寸景と祝詞

「旅する土鍋2018」 晩餐会の寸景と祝詞

スプマンテのポンッ!という音と、賞賛の言葉と喝采がとぶ瞬間は、映画を観ているようで。

「旅する土鍋」は人生の岐路にも遭遇するわけで、カラブリアの家族の息子のお祝い晩餐について。

(写真:フィンガーフードやミニドルチェ!)

カラブリアの家族にはふたりの息子がいて、先日の記事は歯科医になった次男とのツーショット。今回は、整形外科医の専門学位を取得した長男の授与式と研究論文発表会のため大学へ。論

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「旅する土鍋2018」チャンボッタとかチョケチョとか?!

「旅する土鍋2018」チャンボッタとかチョケチョとか?!

「チャンボッタ」

オチャラケたくなるようなるような名前の料理は、どちらも「カポナータ」や「ラタトゥイユ」に類似し、カラブリア州に限らず、ローマ以南で名前や材料を変えて『ごった煮』として肩ひじはらずつくられている家庭料理。この夏もカラブリアのマンマがつくってくれて無論美味。レシピも書いてくれたが覚えられるほど特別なことはない。使う野菜も前者の2つに似ているが、酢を入れる前者とは異なり、葡萄酒も入れ

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旅する土鍋2018 -遥かなる時の旅-

旅する土鍋2018 -遥かなる時の旅-

2018/08 カラブリア州 コリリアーノカラブロ

ワレモノである同行者は、焼しめられた大きく頑丈な図体でありながら繊細な心の持ち主なのだ。移動が多い「旅する土鍋」は体力勝負であり、梱包しっかり丁寧に、忍耐強く彼とつきあわなくてはならない。

去年にひきつづき、今年も「旅する土鍋」と一緒に15時間強バスに乗ってミラノからカラブリアへ。車内では、運転手がダンボールから無造作にタラッリ小袋を配り、

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「旅する土鍋2018」旬に満ち足りた料理

「旅する土鍋2018」旬に満ち足りた料理

料理に際して無理をしない。我が家の毎日のごはんも決して無理なんかしていないから、もう引くこともないのに、どうして完全がその先にあるような「手抜き」とか「時短」という自虐的なコトバを使ったりするのだろう?
うだるイタリアの太陽に満たされながら突然に疑問符が浮かんでしまった。お人柄もそうだが、料理に対しても足るを知る心をもっているイタリア人を前にいつも学ぶことがある。何事に関しても無理をしていないから

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旅する土鍋 2018 −微笑みと広場−

旅する土鍋 2018 −微笑みと広場−

2018 07/19 Bologna ボローニャ(ボローニャ山間部)

ボローニャシリーズつづき
ー生きるものとしてー
ーつくりたかった景色–

なぜこ毎年、全身全霊で「旅する土鍋」をかかえてイタリアを回っているの?そう聞かれることには慣れたし、確かにしつこいなあと自身でも思ったりね。まだまだ見たいし感じたいことがたくさんあって、そのひとつが「ピアッツァ=広場」の原体験なのかもしれなくて。

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旅する土鍋2018 −つくりたかった景色–

旅する土鍋2018 −つくりたかった景色–

2018 07/19 Bologna ボローニャ(ボローニャ山間部)

ー生きるものとしてーよりつづき

弟子業を終えてイタリアを離れ日本で窯をかまえてから、”つくりたい作品”とか ”目指すべき作品” ”理想の作品” という縛りのある思考がなかったように思う。それ故なのかとても気持ちが自由であった。20年を振り返ると、自らをワクワクさせたいという感情が先立っていたと内観する。

ボローニャの彼

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旅する土鍋2018 –生きるものとして–

旅する土鍋2018 –生きるものとして–

2018 07/19 Bologna ボローニャ・ロイヤーノ(ボローニャ山間部)

デザインとは成形のステップにおいて使われる言葉だけではなく、モノコトの先にある何かを探すときに、そしてヒトが集まるという意味でも使われるのだろう。「旅する土鍋」は料理をつくり”おいしい”と言わせるためにあるのではない。

20年前ミラノの工房でろくろを回していたときに突然あらわれた彼女はこれから美大生になる学生だっ

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