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うつわマガジン2019

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#土鍋

うつわに寄りかかる

うつわに寄りかかる

つかれたら、悲しくなったら、寄りかかりたくなるでしょう。元気なら、愉快なときなら、寄りかかってもらえてうれしいと思うでしょう。

「静かに寄りかかる」30年前、20年前、10年前、5年前と、うつわの存在が良い方向に変わってきている。土鍋の扱かわれかたもどんどん明るい世界に動いている。

小売についてではない。なんとなく、うつわがスポットを浴びてがんばっているなと。一時期のゴールデンエポックには、

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湖と山とパン

湖と山とパン

スイスとフランスの両親をもつ友人マガリーは三日月型の「レマン湖」にとけようとするオレンジ色の空を臨みながら言った。「ジュネーブ湖」とか「ローザンヌ湖」と土地を限定される名前で呼ぶことを望まないの。

あの山が、ほら25年前にいっしょに行った山。語尾をひゅひゅんとあげて彼女がしゃべる。母が住むのはあっち。父が生まれたのはあっち。出会ったのはちょうど真ん中よ。

国境は目には見えない。けれどしゃべる言

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旅する土鍋2019 「途立つ誕生日のスケルツォ」(後編)

旅する土鍋2019 「途立つ誕生日のスケルツォ」(後編)

(前編よりつづき)

後半目次

3. ドレスと口紅時速100〜 120キロくらいで飛ばせば、リグーリアからミラノまで2時間ほどで到着する。そんな道中も、おかしな話は継続的に、まじめに語られた。

ミラノに着いて一度解散。わたしは、居候している師匠宅のギャラリーの窓を開け風を通したり、洗濯物をゴソゴソやっていた。数時間後、驚くことにイーゥインちゃんは背中が大きくあいたドレスを身に着け、真っ赤な口

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旅する土鍋2019 「途立つ誕生日のスケルツォ」(前編)

旅する土鍋2019 「途立つ誕生日のスケルツォ」(前編)

イタリア語「スケルツォ」は「冗談」という意味かつ、音楽の世界では快活で急速な三拍子の楽曲を示す。おどけた感じが「冗談」という言葉と重なる。ショパンの「スケルツォ第2番 変ロ短調」などがそのひとつ。

前半目次

1. 肉眼と無限遠なレンズ私たちはリグーリアの海にいた。
前の晩に書いた七夕の短冊を見ながら「願いは叶うのだろうか」なんて、無限遠に合わせたレンズでもって話していた。娘のように年齢が離れて

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ヨーグルトがピンク色にそまるときの味

ヨーグルトがピンク色にそまるときの味

白いまちと白いヨーグルト

春の気配がないままに3月のビリニュス(リトアニア)には真白な世界が広がっていた。眼前の景色のような真白なヨーグルトを朝食でたっぷりいただく。

リトアニアは酪農国。
古くから日本同様に発酵文化をもつ国。

塩味でいただく白い世界

ヨーグルトといえばギリシアと思われるが、ご多聞にもれず東欧もヨーグルト国家。そのひとつにヤギ皮の袋に乳と菌を入れて発酵させていたケフィアヨー

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迷宮からうまれた「旅する土鍋」

迷宮からうまれた「旅する土鍋」

あるとき土鍋をかかえてイタリアの広場に座ってまどろんでいたら、自分がどんどん小さくなって土鍋のなかに入りこんでしまった。かれこれ30年も時がながれた陶歴のなかで、うつわの迷宮にはいりこんだのは2回目だった。

1回目は30年前の学生時代、冷たいろくろ引きのうつわの中で水没しそうに慌てふためいていたが、2回目は妙に肝がすわっていた。

「このまま旅したい」そうそう、みなさんにこれを説明すると驚かれる

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ちょっとブレイク「土鍋でみかんサラダ」

ちょっとブレイク「土鍋でみかんサラダ」

表面ではわからない酸っぱさ表にでている分かりやすい現象に飽きることがある。ただの天邪鬼かもしれないし、だからモノをつくる仕事をしているのかもしれない。

「夏みかん」は、晩秋には色づいても酸味が強くて食べられない。冬に収穫したあと貯蔵して酸をぬく、または木なりで春から初夏まで完熟させてから収穫する。表面ではわからないのだ、酸っぱさは。

むいてしぼってわかる酸っぱさ

写真は、先月、料理家である友

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ちょっとブレイク「うつくしく許されるいっぱいぶんの土鍋」

ちょっとブレイク「うつくしく許されるいっぱいぶんの土鍋」

4分後にはうつくしき温かいおうどん160ccのお湯をそそぐだけのインスタントうどん(お椀で食べるどん兵衛/日清食品)が「ミニミニ土鍋」(約200cc)にジャストなのだ。

とにかく時間が足りない。鉛のカラダをだまして動かしている。仕方なく窯をつけっぱなしで外出し、てっぽう玉のように帰宅した。たまらなくおなかが空いているのだ、あれを食べよう。

白い霧が晴れるころ、4分後には温かいおうどんがいただけ

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ちょっとブレイク「春の土鍋」タンポポちらしのポタージュ

ちょっとブレイク「春の土鍋」タンポポちらしのポタージュ

冬のバターナッツと春のタンポポがスープの中で出会ったら

冷暗な場所で冬のあいだ保存していた古参バターナッツかぼちゃと、庭の新人タンポポが出会う。春の新タマネギも仲介役で。出会いというものは、理想から現実の味にかわる瞬間だ。

「バターナッツのポタージュ」
Cocciorinoの土鍋(白)

かれこれ15年~16年くらい、山梨の個人農場に野菜の宅配をおねがいしている。彼らの有機農法(一部自然農法)

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ちょっとブレイク「春のおとない」

ちょっとブレイク「春のおとない」

春うららであるが、こちらは泥どんよりとでもいおうか。

生きたものを相手にする仕事とは、つめるなと言われても、根をつめなければならないことがある。相手がどんどん育ってしまうのだから、全ての体力でおいかける。子どもを育てることにも似ている。土の中の根っこも、人も、つめられたら苦しいだろう。

イタリア人の陶芸師匠の仕事っぷりにはこの「つめる」がなく「おす」くらいなんだよなあと、冷たい水道水で手を洗い

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ちょっとブレイク「春のうつわ」レシピをよむ

ちょっとブレイク「春のうつわ」レシピをよむ

うつわに物語があるのだから料理の物語も読みたいと思うようになったのはいつごろからだろう。

料理は好きだし、一人暮らしや海外生活の経験からか、食材や道具は代用品を考えるクセもついた。つくるのに困ることもなかったので、レシピをわざわざ見ながらつくったり、料理教室に行ったこともなかった。それが一転したのはいつごろかな。

伝えたい想いがあるのだから料理教室もレシピ本も、物語を読み解きたい。上手につくる

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ちょっとブレイク「春の土鍋」グリンピースごはんと、てやんでぇ

ちょっとブレイク「春の土鍋」グリンピースごはんと、てやんでぇ

「きらいな食べものものがない」先日、家族でこんな話をした。特別おいしい食事をつくっているわけではない。

我が家は、手がゆずれる人(決して時間があるわけではない)が、冷蔵庫にあるもの(食材を買いにいくこともある)でごはんをつくる。食べさせている、させられているという感覚はなく、むしろ、みんなの好みの味を知ることができる。

誰もつくれなかったら買う、外食に出るなど。しかし経済的に考えると、忙しくと

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ちょっとブレイク「春の土鍋」蕗のおすまし

ちょっとブレイク「春の土鍋」蕗のおすまし

「ココロニ」の下で会いましょう去年の春、蕗の葉の下に住む人に会いに旅に出た。アイヌ語で蕗は「ココロニ」、下は「ポック」、人は「ウンクル」。つまり、ちいさな神様「コロポックル」なのね。

民族博物館では「熊送り」(イオマンテ)のことを知って神の国を信じた。子熊を大切に飼育し、大きくなったらお土産を持たせて神の国へ送るというアイヌの儀式。

気づくと、蕗の群生地で真剣にコロポックルを探していた。

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ちょっとブレイク「春の土鍋」くるっと半回転でポタージュに

ちょっとブレイク「春の土鍋」くるっと半回転でポタージュに

追いこみ仕事があるため夕食がめっきり遅い。けれどしっかり夕食は、玄米と子持ちカラフトシシャモ、おからにひじき、春野菜の和風スープ。多めにつくり残ったスープは朝食で和のポタージュに、くるっと半回転。

世の中の風潮から、ちょっぴりあたらしい気持ちで工房の回転イスにすわる。狭小工房では自動車整備士が使うような丸いイスで絵付けするテーブルとロクロを移動している。いや、移動というほどの距離でない。床を一歩

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