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サンマのようにおよぐな

多くのブースに行列ができ盛りあがる中で、芸祭の焼きそば屋台の鉄板にはカバーがかかり、立ち上がるソースの香りはなかった。

「大雨で上がったりだ、泊まる」という短いメール。息子が芸祭の焼きそば屋の店長だというので、売り上げに貢献しに行くか。いや、親なんて来たら限りなくうっとうしいよね。迷いながらも向かった学園祭。

焼きそばのカケラさえ売っていなかったのは、メンバーの失態で営業停止(卒業生のわたしから見れば全く大したことないことが原因で、むしろかわいそうになった)になったからだと、あとから知った。

しばし空を眺めていると、棚から盾だか矛だかが、落ちてきた。

(写真: さんま一匹分の長手皿コッチョリーノ)

わたしの時代こそ「自分を(作品を)お金で売ること」にこだわりはなく、むしろ「金はいらん今を見てくれ!」「金よりもできるだけ多くの人に見てくれ!」「金もいらないのに見たくないならいい!と仁王立ちしていた。そして、失うことを恐れていなかった。

放置された焼きそばやの寂しい屋台からも、そんな声がきこえた。

昨今の風潮は「セルフプロモーション」というピッチな生き方、「スマート」という対価と賢い期待、「サスティナブル」という環境持続、「エシカル」という良識・・・ロスのない生活でいっぱいだ。

正義だと思うが、少しだけ解放されたところに、愛がある。カッコつけている場合ではないけれど、まずは温度を感じたい。それは理想論だけでは語れない。

青春はケロっと言った「つまり、あれはオフサイド、ハンドでペナルティかな」。チームプレイに不穏な空気はためにならないからねと加えて。若人たちは、売れずにあまった焼きそば用のお肉を仲間とひたすら焼いて胃袋に幸を詰め、一人暮らし人はさらにうひょと幸を持ち帰ったそうで。彼らなりの温度、経験と幸。青いって、愛って、いいな。

われら大人は、体裁と名誉を気にしながら、自尊心まみれの活動をしてはいないか。

あとがきコッチョリーノ 

▶︎タイトルの「サンマ」はどう関係するんだい?と思うかただけお読みください。▶︎北海道近海の水温が高い状態が続いているため、サンマが不漁であると言われている今秋。もし海水温が下がっても、日本列島から離れて泳ぐことに慣れたサンマは習性を変えて戻ってこないというようなことを読みました。▶︎昨日10/30 「食品ロス削減の日」(法第9条/消費者庁) でした。▶︎さて「未来のために」と表現するのは大人だけで、少年少女たちの声は小さいけれど確実に「自分たちのために」環境を見つめています。それよりも少年少女たちがサンマのように習性を変えて戻ってこなくなることも危険です。▶︎未来のための我らの行動や考えがベストであるかのような言い方をしないように、そんな想いを込めてタイトルをつけました。

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