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「旅する土鍋2018」旬に満ち足りた料理

料理に際して無理をしない。我が家の毎日のごはんも決して無理なんかしていないから、もう引くこともないのに、どうして完全がその先にあるような「手抜き」とか「時短」という自虐的なコトバを使ったりするのだろう?
うだるイタリアの太陽に満たされながら突然に疑問符が浮かんでしまった。お人柄もそうだが、料理に対しても足るを知る心をもっているイタリア人を前にいつも学ぶことがある。何事に関しても無理をしていないからではないだろうか。

写真:どの土地でも数件のトマト農家をまわったり庭で採れるトマトをごちそうになるが優劣の問題ではない。満ち足りている味はどこも最高。そして最高のモッツァレッラを探し調理はシンプルに。


同じ食材・ちがう土地での再会

今年も暑かった夏は、どの地をまわっても、トマト、ズッキーニ、ナスのメリーゴーラウンドで、どれかを、あるいは全てを食べるという毎日だった。またトマト?なんてボヤく人なんていない。もっとトマトがとれますように!と願わくば。お、こんにちは!また出会いましたねという挨拶は、10日、20日、50日経つと大きな愛に変わる。

夏場、人間が必要としている栄養価をたくさん含む野菜。旬の食材を決してこねくりまわさないし下手に煮たりつぶしたりしない。調理は至ってシンプルだし、旬の食べ方をする。これを「手抜き」とは言わないし彼らは逆に「完璧」であり「最高」であると表現する。つくるのがメンドウだな、強いてはつくりたくないなと思うような料理は、その旬からいくつものポイントをうばうのかもしれない。

写真:陶芸師匠の自慢料理はナスの網焼き庭のパセリとミント乗せ!この夕食の目的はヴィンチの友人が手がけたビオダイナミック葡萄酒をおいしくいただくこと。

写真:ボローニャの森の友人宅。ナスに塩ををふり余分な水分を出して庭の薪窯で焼き、ニンニクのかけらとオリーブオイルと塩をかけるだけ。


旬とは無理をせず、満ち足りた贈り物

暑いのだから、無理はしない。陽が落ちるころまで煮炊きをせずに昼寝をしたり、夕涼みをしながら静かに本を読んだり、他愛のない立ち話をしたり、今夜予定している料理の話をしたり。ああ、まだ暑いわねえ、アペリティーボ(食前酒/軽いおつまみ)でもする?なんていうこともある。そしてほどよく食欲もわき、陽気になったらキッチンに立って自慢の料理を始めるなんて理想的である。現実は共働きの家庭も日本同様に多く、特に小さな子どもがいたらアペなんて余裕はないけれどね。だからこそ、料理は至ってシンプル。コンビニがないし、それを知らないからこそ、そこに完全がある。食に不完全という言葉はなく、食は満ち足りて感謝することなのだろう。

写真:友人宅の旬野菜のピッツァ

旬とは、無理をせず、満ち足りた贈り物。感謝。Corriorino 2018 




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