ちょっとブレイク「土鍋でみかんサラダ」
表面ではわからない酸っぱさ
表にでている分かりやすい現象に飽きることがある。ただの天邪鬼かもしれないし、だからモノをつくる仕事をしているのかもしれない。
「夏みかん」は、晩秋には色づいても酸味が強くて食べられない。冬に収穫したあと貯蔵して酸をぬく、または木なりで春から初夏まで完熟させてから収穫する。表面ではわからないのだ、酸っぱさは。
むいてしぼってわかる酸っぱさ
写真は、先月、料理家である友人ほりえさわこさん宅でいただいた日向夏。お母上とさわこさんがふたりで「白いふわふわの部分と果肉をいっしょに食べるのよん!」と、リンゴのように皮をむいた。酸っぱさと白いふわふわのやさしさが混ざり、なんともおいしい。
その横で、宮崎にゆかりある、大正生まれのおじいちゃまが品よく笑っていらっしゃる。おそらく哀しみも喜びもご存知であろうと、その笑顔をみるたびに胸はジーンと熱くなる。わたしのように表にでていることに飽きるどころか、怒りや哀しみにやるせなさを感じているどころか、皮をむかなくとも、すべての酸っぱさをお見通しで笑っていらっしゃるのだろう。「わたしなんかね、砂糖をかけますよ」と茶目っ気たっぷりに言うと「いやよ、やめてちょうだい」とご家族に明るく否定されている。
以前、ご自身のニューギニア戦のおはなしを少しだけうかがったことがある。わたしより背筋がすっと伸びていたので、いそいで姿勢を整えた。すべての社会現象やモノゴトに、皮もむかず、怒りを向けたり、哀しんでいたら、正確さを欠くのだろうと思う。わたしなど姿も声もちいさい人間で、しかも天邪鬼かときたものなのに、身のまわりに起こる「社会の懐疑」に近ごろ胸をいためている。アート界のこと、学費のこと、保育のこと、理不尽な事故、貧富や格差、税金のこと、政治のこと。わたしたちの国のこと、世界のこと。(クレッシェンド記号つけて読んでいただきたい)
和えてわかるおいしい酸っぱさ
蒸した鶏肉、生の春菊を土鍋に入れ、ほりえさわこレシピ「えのきドレッシング」を和え、夏みかんを散らす。(サラダボウル使い例)
天邪鬼は、ひとの口まねと心中をさぐることが得意だといわれている。柑橘系の旬もおわるころ、土まみれの天邪鬼は、口まねは不要とあらためて思い、そして酸っぱさの種類と堪忍をすこしだけ覚えた。
かの紳士に「3つの時代を生きられるのですね、お元気で」とごあいさつすると、はいはいと頷かれ、「あなたがつくった土鍋すてきですよ」と笑顔で添えてくださった。迷いある毎日だが、こんなにも背筋がのびるような、おいしい酸味ある賛辞をわたしは一生忘れない。
もうすぐです、2人展
我妻珠美 ・五十嵐貴子 うつわ展
「食を楽しむ」
2019.05.22(水)-28(火)
新宿高島屋 10F 暮らしの工芸
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