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迷宮からうまれた「旅する土鍋」

あるとき土鍋をかかえてイタリアの広場に座ってまどろんでいたら、自分がどんどん小さくなって土鍋のなかに入りこんでしまった。かれこれ30年も時がながれた陶歴のなかで、うつわの迷宮にはいりこんだのは2回目だった。

1回目は30年前の学生時代、冷たいろくろ引きのうつわの中で水没しそうに慌てふためいていたが、2回目は妙に肝がすわっていた。


「このまま旅したい」

そうそう、みなさんにこれを説明すると驚かれるのだが、うつわを成型するときは、ほとんど内側しか見ない。目をつむれば指でなぞった残像がよみがえるほど内側への想いが強い。

うつわの内側で、立ち上がりのカーブを這い上がりながら「おぉ、スプーンやお玉にいいなめらかなカーブだ」とか「どんな料理が入るのだろう、むふふ」と壁面をクライミングしながら夢をみる。そして「このまま旅したい」(世界の料理や人々を「内側」で感じたい)という願望が芽生えた。

この願望が「旅する土鍋」の原点。

「旅して会いたい」

90年代、弟子入り修行のため住んでいた第二の故郷イタリアには、親戚のような人々がたくさんいるのでイタリアを周遊しているが、アイルランドやスイス、先日は知り合いのいない東欧にも小さな土鍋を持ち込んだ。

「旅する土鍋」(大土鍋)は、機内持ち込みサイズのバゲッジに、ぎりぎり入るようにつくるが、重量は実際のところ怪しい。現地では列車や長距離バスにゆられながら旅をする。親切な紳士や青年が多く「荷物を棚にのせてあげるよ」と手を貸してくれる。「すごく重いからいいです」と断っても、「任せとけ」と言うオジサンが持ち上げたとたん「おい、重いな、ダンナでも入ってるんじゃないだろうな」と言われたことがあり、サイコー!と思ったので、以来、荷物を持ってくれそうになる紳士には「オットが入ってますのでけっこうです」とお断りするようにしている。

目的地に着いたら、めいっぱい息を吸おう。

世界はまだまだ大きくて、これしか息が吸えないのかと感じる。わたしはとっても小さい。盛況であった展覧会も、自国を離れ自由に行動していることも、ほんの「偶然」であり、成功や功績ではないとあらためて知る。悩みもつまづきもゴミみたいだけど、捨てるのでなく、拾ってなんとかできるとポケットに戻すくらい寛大になれる。

小さな生きものなのに、どうして創作という困難きわまりない仕事を選んだのだろう。美しくカッコいいうつわをつくる人はたくさんいるけれど、わたしはそのために「内側」に潜んでいるのではない。土鍋という「客体」をつくる仕事をしているのならば、もっと「主体」に会いたい。

仕事に、創作に「成功」や「功績」がないのであれば、ほかになにが生まれるのだろう。悩みやつまづきは、ゴミくずで終わるのか。


「旅して知りたい」

地産の食材でその土地につたわる家庭料理を土鍋でつくってもらう。お礼に、その土地で調達できる食材で日本の家庭料理をつくる。自国の食文化が褒められると、ゴミくずがポケットからこぼれおち、捨てたもんじゃないやとつぶやきはじめる。

イタリア人は保守的であり、使いなれていない土鍋を表面から眺め「ムリだ、いつもの鍋でなけばつくれない」と言う。あきらめてはいられない。ここで、ポケットのなかから別のワードを探す。無意識に「コラッジョ」(度胸)という言葉をイタリア人と自分自身にハラハラと投げかけていた。

「一緒につくりましょう!」

この言葉を、旅先で言うたびに、わたしのポケットのゴミくずは「コラッジョ(度胸)」に変わる。ゴミくずだと思っていた悩みやつまづきがあればあるほど、増えるのだ。がんばれ!という意味もあるけれど、わたしは「勇気/度胸!」と意にとらえて、ちいさく手をグウにしてつぶやいている。

保温力の高い土鍋の特長を説明しながら、むかしのイタリアでも土器を使っていたのではないかとたずねる。少しずつ彼らが乗り気になって「土鍋に肉を入れて火に投げ込んで焼いたもんだ」とか「土鍋に豆を入れてピザ窯の余熱で蒸かしたもんだ」と、話に花が咲く。彼らにも、わたしにも「コラッジョ」が生まれる。

昼間のバールに集まるオジサンたち、広場に集まってしゃべりまくる若者たちのように、「土鍋」が「広場」に変わる瞬間だ。

「まだまだ旅したい」

7年目に突入する「旅する土鍋」。今年は5代目の大土鍋が旅をする。つまりイタリアの4ヶ所に大土鍋が住んでいる。普通サイズの土鍋やミニ土鍋は、うれしいことに数多く各地に住んでいる。

おしゃべりがはじまり、そこに吹く風、見える太陽、聴こえる音が土鍋に入っておいしくなる。検索すればあらゆる国の料理レシピが出てくる時代。表面的には近いものがつくれるが、「旅する土鍋」はその内側を感じたい。

この夏も、ミクロなわたしは、大きな土鍋をかかえて、たくさんのポケットのゴミくずとの旅がはじまる。旅とは、その土地の迷宮(内側)に入り込む「コラッジョ」というチケットを探すことでなのだ。



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