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ちょっとブレイク「春の土鍋」グリンピースごはんと、てやんでぇ

「きらいな食べものものがない」先日、家族でこんな話をした。特別おいしい食事をつくっているわけではない。

我が家は、手がゆずれる人(決して時間があるわけではない)が、冷蔵庫にあるもの(食材を買いにいくこともある)でごはんをつくる。食べさせている、させられているという感覚はなく、むしろ、みんなの好みの味を知ることができる。

誰もつくれなかったら買う、外食に出るなど。しかし経済的に考えると、忙しくとも実際は鉛のカラダを引きずってごはんをつくるのが現実。

20代、50代、60代と年齢さまざま、わたし以外は男性。ついでにいうと、わたし以外は薄味このみ。わたしの味で調教されたのでないことがわかる。きっと遺伝子レベル。

園長先生が、疲れて夕食前に寝てしまう幼稚園児に「食べなくたって大丈夫、眠いときは寝るべし」と言った。好き嫌いのある子の親には「お弁当にきらいなものは入れないで」と言い、偏っても賑やかなビジュアルでなくても、食物アレルギーを持つ子と一緒にストレスのないお弁当を楽しませた。

春の食卓に登場したグリーンピースごはんを思い出す。

わぁ!と手をたたくわたしのそばで、苦笑いをしていた父。なんで食べないの?としつこく聞いた。今ならわかる。きらいにも好きにも理由はない。そして「好きにさせる」という感覚も、てやんでぇなのだ。

亡き父上に、ちいさなおむすびをつくった。
「やっぱり好きじゃないね」という声がききたくて。


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