見出し画像

硝子の欠片の記憶たち(5)

◇平成26年9月5日(金)

 夏の行き先を失くしてしまった。気温が、ゆるやかに低下している。ノースリーブ、向こう側が透けて見えるブラウス、麻のカーディガン。夏服をたたみながら、手編みのサマーヤーンの半袖も、リボンつきのボーダーシャツも、黒いレースのブラウスも、その他いくつかの服も、今年は一回も着ていないことに気づいてしまう。気に入っていないわけじゃない。去年の夏は何度も着た。また着ようと思って、目につくところに出しておきながら、ただ、一回も着なかった。ごめんね、と思う。ひかりにも雨にもさらしてあげられなくて、ごめん。もう少しだけ暑い日がつづいたら、あれもこれも着ていくと誓う。まだ着ていない夏服があるから、まだ、夏を終わらせたくない。終わらない夏に、行き先はない。着ていない夏服に、こころは宿らない。だからまだ、終わっていない、から。息を吸っても吐いても苦しいのは、喉の奥がまだ炎天だから。次々と言葉を重ねたのに、何一つうまく言えたような気がしない。フリルばかり重なって、重くなって、いつの間にか身動きが取れない。きみは本当に馬鹿だね、と言われたことを忘れられない。知ってる。脱がされるために、何枚だって着るから、なんだってするから、この夏を引きちぎってよ。

きぬぎぬの冷え方ばかり覚えればもう秋めいている馬鹿野郎  田丸まひる


○平成26年9月8日(月)

 町のあちこちで黄色い花が咲いている。待宵草だ。風流な名前だけど、雑草みたいにぼうぼうと生えている。日が沈むと開き、朝が来ると萎む。ひと夜しか咲かないらしい。
 今夜は中秋の名月。白くてくっきりとした大きな月だ。雲もない。こんな夜に平安の貴族なら、月見の宴などして管弦をかき鳴らし、杯を酌み交わすのだろうか。それとも、愛しい人を想って歌など詠んで、従者に文を持たせたりするんだろうか。2014年に生きるわたしは。こんな夜にうたつかい十月号の印刷をしている。今回はとうとう中面の紙が12枚になってしまった。明日の製本会のメンバーの筋肉痛が心配。
 2011年の9月11日の夜、関西の飲み会でうたつかい創刊号を配った。きっとあの夜も、ほぼまんまるの月が出ていたはずだった。飲み会の場所に辿り着くのに、とにかく必死だったので、梅田の夜空を見上げる余裕もなかった。そう、あの夜、たくさんの人に初めて会った。なにもかもがなつかしい。
 大切な人は増える一方なのに、会いに行ける時間は年々少なくなっていく。今夜も、こんなに月がきれいなのに一人でいる。あの人は、どうしているだろう。

窓越しの夜にあなたの声を待つ月の光に腕をひたして  嶋田さくらこ



◇田丸まひる@MahiruTamaru
未来短歌会所属。「七曜」同人。短歌ユニット「ぺんぎんぱんつ」の欠片。新鋭短歌シリーズより第二歌集『硝子のボレット』を出しました。

○嶋田さくらこ@sakrako0304
「うたつかい」編集長。新鋭短歌シリーズ12『やさしいぴあの』は去年の12月に出ました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?