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射手座13度「明るみに出る未亡人の過去」と「下意識」


2021.12/5 射手座13度の日食から考えてきたこと

昨年の12月に起きた日食は、太陽がいて座13度(数え度数)の場所で起こりました。

この日食の度数は、私の個人天体に関係しています。私はもともと、ネイタル海王星がこの度数です。今回の日食以降はサビアンの意味、特に「下意識」について考えてきました。

考えても考えても、「下意識って何?」という疑問の答えがず~っと見つからなくて、最近はこのことについて考えることを忘れていました‥考えるの飽きちゃったのですね(;^ω^)

射手座13度は「明るみに出る未亡人の過去」
松村先生のディグリー占星術を参考にすると「未亡人」は「下意識(潜在意識)」のことなんだとか。
しかし、私はこの”下意識”というものがよくわからない。

決定版‼サビアン占星術を参考にすると、人間の意識の三つ組は超意識・日常意識・下意識で成り立っており、大きな変化を起こすためには超意識ではなく下意識に手を出さなくてはならないのだとか。

日常的な意識から超意識へ到達する際には、一度下意識を通過しなくてはならないのだそうです。

普段、私たちの意識の保護装置であるクンダバッファーによって下意識はタブーとされ、この領域が侵入してこないようにプロテクトされている状態になっています。下意識には触れられないように、またはアクセスできないようになっているみたいです。

次第に、下意識は邪悪で不道徳であり、下品なものだ、と考えるようになったのだそうです。

しかし、下意識は超意識と鏡像関係なので、超意識の足跡はすべて下意識に記録されているのだそうです。

そして、下意識の記憶は脊髄に蓄積されているのだそうです。脊髄って面白いものをため込んでいるのですね~。タブーとか、不道徳とかちょっと堅苦しい感じですね。

私がタブーとか不道徳について考えたときに思い浮かんだのは「7つの大罪」と「十二縁起(十二因縁)」あたりです。
こういう戒め的な事柄は、本当に純粋に良くないことなのか?政治利用や宗教の権威維持のために歪曲されているものなのか?判断に苦しみます。
でも、「7つの大罪」に対する欲求は誰もが持っている部分だと思います。
罪というより、もっと小さな感じで、いろいろな場面で顔を出すものだと思いますけどね。
っていうか日常的に「あるある~、よくある~」です。

現代社会って欲望に駆り立てて「7つの大罪」を煽っているね

最悪なのは、今の社会状況は人の持つ欲望を煽って思考を停止させる物が氾濫していることだと思います。欲望を煽って、社会システムに閉じ込めて搾取的な労働に駆り立てるというか?

私たちは常に社会にあふれる情報によって、7つの大罪に傾くように扇動されているのかもしれません。

こういう下意識の領域の低いエネルギー、低い感情、低い思考、低い衝動欲求について「無いもの・悪いもの」として見てみないふりをするのではなくて、

「これも私の一部です」と目をそらさずに見つめることが必要なのでしょうね。下意識という名の犬を飼いならす。みたいなイメージでしょうか。

私たちが持つ「7つの大罪」とは何でしょう?

wikiによると七つの大罪は、キリスト教の西方教会、おもにカトリック教会における用語。ラテン語や英語での意味は「七つの死に至る罪」だが、罪そのものというより、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すものなんだそうです。

七つの大罪(七つの罪源)は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作『修行論』に八つの「人間一般の想念」として現れたのが起源だそうです。

この八つの想念にういてエヴァグリオスによると「貪食」「淫蕩」「金銭欲」「悲嘆(心痛)」「怒り」「アケーディア(嫌気、霊的怠惰)」「虚栄心(自惚れ)」「傲慢」があるそうです。

でも、これって誰でも持っているし、普段から自分の思考や感情をよく観察してみると、このあたりの要素は数パーセントは混ざっていると思います。完全に利他のこころで、純粋に行動したり、考えたり、感情を動かすのは案外難しいのではないでしょうか?

そのことに気づくために、自己想起とか、自己認識などをして自分の思考・感情・体という三分節の特徴とか癖なんかを理解してコントロールすることが求められるのでしょうね。七つの大罪の関連付け(七つの大罪とそれに比肩する悪魔と幻獣と動物wikiより)

Wikipediaの表が興味深かったので、まとめておきます。

ちなみに、プルデンティウス(348‐405以後)の「プシュコマキア(英語: Psychomachia)」によると七つの大罪は、それぞれ美徳に対応しているそうです。

罪を知ることから美徳を学ぶ。みたいな、反面教師システムでしょうね。
罪に溺れたままや、罪を罪として認めない場合は美徳に昇華できないでしょうけどね。
下意識を知ること、下意識について理解することで、それと対になる高次意識である美徳にも目覚めるのでしょう。


新しい時代が生み出した「7つの大罪」について

wikiを調べていてビックリしたのが「新しい七つの大罪」についてです。
一つは2008年3月、ローマ教皇庁が公表したものです。内容は以下の通り。

遺伝子改造
人体実験
環境汚染
社会的不公正
人を貧乏にさせる事
鼻持ちならない程金持ちになる事
麻薬中毒

もう一つはマハトマ・ガンディーが1925年10月22日に雑誌で発表した「七つの社会的罪」です。

理念なき政治
労働なき富
良心なき快楽
人格なき学識
道徳なき商業
人間性なき科学
献身なき信仰

時代が進み、化学やテクノロジーが進化することで、私たちの欲望が生み出す「7つの大罪」多種多様に変化してきました。
経済中心の世界が進んでいくと利便性や効率性を優先するために、自然の恩寵や大地の恵みなど様々なものが犠牲になっていきます。

地球の「肺」と呼ばれるアマゾン熱帯雨林は焼き畑にされ、その面積は年々縮小しています。地球の大動脈のように生命をはぐくんできた大河のほとんどが、産業活動に伴う化学物質排出によって汚染されています。

自然と人間、神と人といった地上の秩序のバランスを取り持つために、ローマ教皇庁が公表した「7つの大罪」やマハトマ・ガンディーが発表した「7つの社会的罪」も、暴走する資本主義社会の中では焼け石に水なのかもしれません。