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ゲームの仕事をする傍ら東京大学工学系研究科都市工学専攻修士課程に通う。ここでは日々の妄…

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ゲームの仕事をする傍ら東京大学工学系研究科都市工学専攻修士課程に通う。ここでは日々の妄想をとりあえず言語化してみるのみであり、論理性、根拠などは一切気にせずなのであしからずー。

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都市空間↔空間認識↔海馬↔クリエイティブの間で彷徨う

以前投稿した長野県松本市の内容に少し関連するのだが、都市空間の『空間認識』について、最近気になっている。 松本でいえば、地図のような「客観的視点」では複雑な街路構造が存在しており、歩行者目線のような「主観的視点」では路地裏探索的な体験が得られるという都市空間となっているという2つの視点からの『空間認識』だ。 ここで一旦余談に入るが、私はファイナルファンタジー14というMMORPGながらPvPコンテンツばっかりやっているゲームプレイヤーで、そのPvPコンテンツのなかに、24

    • 【上諏訪】けやき並木と廃れと

      上諏訪温泉に行って参った。 ちなみに上諏訪の北側に行くと下諏訪という地名がある。 地名と位置関係に脳が慣れず、電車を降りるポイントを見失いかけたけど、方位は客観的なのに対して、上下は主観的なのだなと、勝手に理解して無事に上諏訪のほうで降りることができた。 諏訪のシンボルといえば、もちろん諏訪湖なんだけど、この時期、毎晩10分間打ち上がる花火を見に行く以外はほぼ近づかず、いつも通り街を探索。 この立体感あふれる建物は文化施設ではなく、千人風呂という広大な大衆浴場(隣に博物

      • 【松本市】旧城下町の都市構造が残る探索性の高いまち

        最近街歩きが好きなタイプな気がしてきたので、なんとなく街歩きレポをはじめてみようと思う。 ということで、今回は長野県松本市。 松本市といえば松本城であり、天守閣の残る数少ない城として国宝に指定されているけど、今回は城には行かずに周辺の旧城下町をひたすら歩き回った。 もちろん松本駅周辺もほとんど歩いていない。 松本市は第二次世界大戦の非戦災都市ということで、土地区画整理があまり行われなく、旧城下町の区画割りがそのまま残っているところが多い。 これは、松本城の南東あたりの現

        • 自分のこれまでと今後のまとめ(入学式をYouTubeでラジオ的に聴きながら)

          18歳のときの大学入学式はスーツを着て親と一緒だったなぁ。 一方で今日の入学式は、こうして文章を書く作業をしながら、YouTube配信をラジオ的に流しているだけの出席?、というのがなんだかエモい。 今週末から東京大学の大学院生を始めます。 専攻は都市工学です。 思えば、福島県の片田舎に生まれ、18歳で早稲田に進学し、卒業後また18年後に再入学をすることであったり、またまた30歳で東日本大震災と国家公務員退職と上海移住、40歳でコロナと会社退職と大学院生ということで、なに

        都市空間↔空間認識↔海馬↔クリエイティブの間で彷徨う

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        • 街歩きレポート
          2本
        • ゲームビジネス
          18本

        記事

          個別最適化UXにおけるパーソナライズとカスタマイズを考えてみる少し

          人々の行動ログを取得することにより、一人一人の嗜好に合わせた情報や商品などのサービスがレコメンドされる。 このようなパーソナライズによる付加価値に提供という文脈は、Amazon、SmartNewsなどのニュースアプリ、広告など既に様々なサービスのスタンダードであり、今後他の領域においても実装されていくのは間違いないなさそうだ。 一方で、行動ログとして蓄積されるものの、その行動自体に特別な意志がないことも多々あり、そのせいでユーザー体験が微妙になるサービスもある。 例えば、S

          個別最適化UXにおけるパーソナライズとカスタマイズを考えてみる少し

          都市という生態系(2):デジタルによるフェアネス、専門知識の民主化、祝祭性によるコンヴィヴィアリティ

          前回の続き(のつもりで書いてみる…)。 前回の内容について簡単におさらいすると… まず、私の地元郡山にて都市の廃れゆく生態系を目の当たりにしたことから、その不可逆性の抵抗として、最近の都市トピックであるスマートシティのことを考えてみた。 いろんな企業の理念や取り組みを見たうえで生まれた疑問が、テクノロジーの活用方法のみが強調されることが多く、市民側の利用体験が抜け落ちているという偏重感。 ただ、その文脈に一緒に乗って考察したとて、スマートグリッドで、MaaSで、CO2削減ヒ

          都市という生態系(2):デジタルによるフェアネス、専門知識の民主化、祝祭性によるコンヴィヴィアリティ

          都市という生態系

          最近地元である福島をフラフラする機会があったのだが、郡山駅から郡山市役所に続く、いわば中心市街地の中核オブ中核の通りの中腹らへんに、突如広大な駐車場を持つショッピングモールのような集約型商業施設が出現し、めっちゃ驚愕してしまった(「えーーーーっ」って声が出た)。 郡山駅から郡山市役所まではおおよそ車で10分なので、駅から車で5分足らずといったところか。 ショッピングモールって、普通は中心市街地から離れたいわゆる郊外の幹線道路沿いにあるものじゃなかったのか…あれ?あれ? 悲

          都市という生態系

          短期と長期、公共性への回帰、死生観的円環

          以下、完全に個人の話。 途中いろいろあれど、国家公務員もゲーム業界もざっくり7年ぐらいずつ経験してきて、転換期を感じている今日この頃。 公務員は、教育、社会保障、環境、公共事業など、ハード・ソフトの社会インフラ整備を取り扱う。 そのような公共なるものは、1つのプロジェクトを長期的に取り組むものがほとんどであるが、人事異動が2年程度で発生し短期的なため、何か特定のイシューに対し知識経験的に深い終着点には辿り着くことは難しい。 そういった取り扱うイシューとの長期的な関係性や

          短期と長期、公共性への回帰、死生観的円環

          ゲームビジネスの要素を利用したDXによりユーザーエンゲージメントをデザインする的なマーケティング理論を思考している

          マーケティングとゲームの交差点というテーマで、ここまで2回に渡り投稿してきてまして、今回で一旦区切りとなります。 第1回は、ゲームのインタラクティブなエンゲージメントデザインには、デジタルマーケティングとの共通点はあるんだけど、ここ最近ゲームのほうでユーザー体験がどんどん拡張されているのもあり、そろそろまた交差するタイミングにきているんじゃないか、という話。 第2回では、本題に行く前に、そもそもエンゲージメントデザインのゴールとは?何を達成するものなんだっけ?というビジネ

          ゲームビジネスの要素を利用したDXによりユーザーエンゲージメントをデザインする的なマーケティング理論を思考している

          ゲーミフィケーションをアップデートしたゲームビジネス型DXのゴールとなるネットワーク効果とかの話

          前回↓↓↓の続編です。 前回の締めくくりに書いたように、2010年代のゲーミフィケーションを2020年代のDX時代にアップデートしていく、そのエンゲージメントデザインも含めたビジネスモデルのことを「ゲームビジネス型DX」として、話を進めたいと思います。 2010年代前半におけるマーケティングとゲームの交差によって現れたゲーミフィケーションは、デジタル技術やゲーム市場の発展によるゲームデザインの進化により、シンプルに「楽しい」だけの遊びではなく、様々な「感情」を付加価値とし

          ゲーミフィケーションをアップデートしたゲームビジネス型DXのゴールとなるネットワーク効果とかの話

          マーケティングとゲームの交差点、これからのゲーミフィケーションによるエンゲージメントデザイン

          1日に飲めるコカ・コーラの量には限界がある。 ということで、デジタルの世界とスマートフォンが普及して、たとえば小売であれば商品購入以外の新たな顧客との接点が一般化し、さらにその関係性がインタラクティブになってきたという経緯的な話から、 流行りのDXについて、いろんな文脈から今盛り上がって?いますが、ゲームビジネス的観点が重要なんじゃないか、という話ができればと思っています。 (以前アップした記事にも同じようなことが書いてありますが、また少し違った観点から) デジタルによる

          マーケティングとゲームの交差点、これからのゲーミフィケーションによるエンゲージメントデザイン

          ゲームビジネスはもとよりDXである(2)〜サブスクリプションモデルとか〜

          前回の続き。 ここで一旦サブスクリプションについて触れる。 新聞や電気、ガス等インフラのような毎日ほぼ必然的に利用する分野では古くから月額サービスは存在するが(新聞の必然性は今は失われている)、現在インターネット、クラウド技術、スマートフォンなどの普及に伴い、デジタルによるユーザーとの継続的な接点が形成可能となったため、サブスクリプション型サービスが注目を集め続けている。 AdobeのPhotoshopなどのサービスやMicrosoft Officeなど、もともと数年に一度

          ゲームビジネスはもとよりDXである(2)〜サブスクリプションモデルとか〜

          ゲームビジネスはもとよりDXである

          DX(デジタルトランスフォーメーション)というワードはすでに手垢だらけで、定義なんてあるようでないものになっているが、大雑把に整理すると、労働生産性のうち分母の労働投入量もしくは分子の付加価値、さらにDXを実行するための組織変革論、だいたいこれらの視点から語られるパターンが多い印象がある。 そのなかで今回の投稿は「付加価値」に着目して書いてみる。 インターネット、そしてスマートフォンなどデジタルが普及した現在において、サービスや商品の提供側と顧客との接点機会を増やすことが可

          ゲームビジネスはもとよりDXである

          現実世界のバイアスをゲーム視点から発想してみる

          ゲームの今後について、その特性の分解による考察は以前行ったが、 今回は「現実世界の労働者」と「ゲーム世界のプレイヤー」というテーマにて、両者の相違する事象を整理し、それぞれの特性を考察してみた。 当然、現実世界では衣食住や家族のためにリアルマネーを稼ぐ必要性があるため、このような違いが発生するといえる事象もあるが、今回は一旦考慮しないものとしている。 というのも、今後の発想展開として、これら現実世界の事象のなかに、ゲーム視点からすればブレイク可能な「バイアス」とも捉えられ

          現実世界のバイアスをゲーム視点から発想してみる

          ゲームドメインにおけるデータ分析の特徴

          現在とあるゲーム会社にて新規事業とデータ分析を担当しており、今までは新規事業側で後々使えそうな考察っぽいことを書いていた。 ので、今回はゲーム分析側の話を書こうと思う。 ゲーム業界における私のキャリアはスマホゲーム運営のプロデュース、ディレクションがほとんどで、データ分析についてはちょっとしたきっかけで1年前に事業を立ち上げたって程度で、とりわけ技術に関しては専門家ではない。 しかも、ゲームというある意味特殊なドメイン?のデータ分析しか経験していなく、他業界の話は知らないな

          ゲームドメインにおけるデータ分析の特徴

          ウィズコロナ時代の倫理とソシャゲーの精神

          無駄にマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」っぽいタイトルに寄せてみた。 ただし、タイトルに負けない立派な文章であれば良いのだが、なんとなくな思考を書きなぐっただけの「雑記オブ雑記」である。 以前、『リアルとバーチャルの格差の変容』と題し、 ・リアル社会がバーチャル社会の価値観をつくっているのかも ・現状リアルで認識されている経済的格差によりバーチャル社会における平等性が求められ、それによりゲーム体験としての「Pay to Win」価値から「ク

          ウィズコロナ時代の倫理とソシャゲーの精神