「お母さん、僕は人を殺しました」から始まる歌
僕は、主人公、登場人物の葛藤がリアルに描かれている作品が好きだ。
そして、Queenのメンバー・フレディの半生を描く「ボヘミアンラプソディー」もそんな作品だった。
「ボヘミアンラプソディー」は今日観た。正直、「見ず知らず」レベルでQueenのことはよく知らなかったが、映画を観て、Queenの曲を歌いたくなり過ぎて、映画の後にカラオケで何回も歌った。ついさっき観た映画がカラオケの背景に流れる。
家族の愛情を沢山受けて育ったフレディが、内なる自分と向き合い、時には家族の無理解、メンバーとの不仲、自分自身の性癖、誰にも理解されない孤独に苦しみながら、「本当の望み」を見つけていく。ボヘミアンラプソディーはそんな話だった。
フレディはお話の最後に、父親に想いを伝える。
父親がいつも心がけていた「善き思い、善き言葉、善き行い」を、歌を通して自分も実現するんだと。
父親もフレディの「本当の望み」に共感して、抱擁を交わす。
その姿が、僕にも重なるところがあると勝手に感じていた。
両親の教えに沿わない僕
僕の両親は、医療関係者で、医学部合格実績の良い中高一貫校に僕を通わせたが、僕は全くの無頓着で、文系コースを選択して、大学の文学部に進んだ。
せめて、資格を取ってほしいと言われて、教職課程も履修していたが、大して上手くもなかった卓球にハマって、大学の体育会で週6で練習していたこともあり、教育実習まで行ったのに結局単位を取りきれないまま卒業した。
新卒はゼミの先輩が入った会社に就職。部活を無理やり休んでやっと決めた内定先について「あまりいい会社じゃないかも知れない」と先輩は言った。
そしてその通りになった。「この会社を日本で一番いい会社にします」という抱負を入社時に書いた癖に、何も出来ないまま入社2年目で名実ともに窓際族になった。午前中で仕事が終わってしまうので、その後は何もすることがなくぼーっとする時間を過ごしていた。
「本当の望み」は、どこで見つかるのだろうと、毎日もがいていた。
「本当の望み」を5年間見捨てる
会社を出てから、アホみたいに色んなイベントに参加し、色んな人に会いに行った。3月末退職が2月末に決まってから、慌てて転職活動も始めた。退職が決まったことを母に告げると「こうなると思っていた」と本当に悲しい顔をしてこぼした。
それから、やっと見つけた転職先。僕は、誰も気づかないところに新しい価値を見出している会社、仕事が好きなんだと気づいていた。いくつも事業を始めている日本でも指折りのシリアルアントレプレナーの会社に内定が出た。「本当の望み」はここにあると思った。
しかし、俺は一度、「本当の望み」を見捨てることになる。新しい事業は、ルールがまだ固まっていない領域が多い。自分が内定した会社も、ご多聞にもれずで、既得権益者から訴えられていた。「裁判を起こされている会社にいくのか」と両親に言われた。
両親を悲しませることが、「善き思い、善き言葉、善き行い」なのか。それが「本当の望み」なのか。フレディはあっという間にやりたいことは見つけていたみたいだけど。
放射線技師が「本当の望み」だったのか
結局、両親の助言に従って、放射線技師の専門学校の入学試験を滑り込みで受けるのだが、自分の望みじゃないことをやらされている感覚は入学後3年間抜けなかった。
どうしたら、医療で誰も気づけていない新しい価値を見いだせるんだろうと思って、色々やっていた。本当に学生かと思うくらい、様々な立場の医療者、ベンチャーを知った。
この期間に、今の就職先の社長とFacebookでつながり、ハッカソンに出ているんだから、何がつながるか分からない。また、創業したての画像解析の会社で2年程インターンしたけど、「為本君はぶっちゃけ放射線技師では無いよね笑」と社長さんに言われた。
そう、放射線技師が自分に向いているかというと、少なくとも「本当の望み」ではなかった。
それでも、勉強はそれなりに頑張ったから、学年トップ5くらいの成績で、技師免許以外にいくつか資格も取って卒業し、高齢者専門病院に入職した。
想定通り、仕事ぶりは下手くそで、全く期待されてないことに気づいた。入職後、何ヶ月かしてバーンアウト状態になった。やる気が無いのかと言われたが、その通りだと心の中では思っていた。
「本当の望み」に近づく
「ケアの本質」「愛するということ」「死ぬ瞬間」という本を読んで、どうしたら医療職としての心構えを保てるか、色々考えたが、致命的に不器用なところは変わらなくて、いつまでも期待されなかった。
それから、卓球のメディアを先輩が始め出した。大好きな卓球の仕事は、時間を忘れて没入することが出来た。そして、もともとインターンしていた医療系ベンチャーでも動きがあり、関われるチャンスを探していた。
やがて2年目の終わりを迎えて、辞めることを決意した。しかし、伏線を張っていた卓球メディアの会社、医療系ベンチャーの両方とも募集が無くて、途方に暮れた。
そんな中で、エッジの立っているプロダクトを扱っているベンチャーから、たまたまお声がかかった。全然違うことをやっていたから、本当にたまたまラッキーだったとしか言いようがない。
ベンチャーに入ったことで、「本当の望み」にかなり近づいた。いつもはニコニコしている技師の係長が「次は逃げてはいけないよ」と言った通り、入社して4月からがむしゃらに頑張った。
全然やったこともない職種だったわりには、何とかやれている方だと思う。今までで一番マッチしている感じがしている。今のところ。
誰を「殺した」のか
僕の母は、ボヘミアンラプソディを2回観たという。ボヘミアンラプソディは、'Mama just killed a man' から始まる歌。
「お母さん、僕は人を殺しました」という歌詞は、きっとメタファーだろう。大事な人を裏切ってしまった、ということに違いない。
フレディにとっては、恋人、メンバー、関係者がそれにあたる。
じゃあ、僕に取っては?それは、両親だったのかも知れない。
僕は、今の会社に転職したことをつい最近まで両親に告げていなかった。
以前ベンチャーへの転職に反対されて、「本当の望み」を離れることになったから。5年越しにベンチャーに転職することになって、やっと「本当の望み」に近づいたのだ。何故言う必要があろう。
そう思っていたが、ある時、働いている会社の製品を母が購入していることに気づく。無言で写真だけ送られてきて、正直怖かった。
だから、年末実家に帰るのも勇気が必要だった。
でも、蓋を開けてみたら、家族が一番うちの会社のファンになっていた。BOCCOもQooboも両親が一番使っていた。自分が毎日見慣れているプロダクトを家族が嬉しそうに使っているのが、本当に嬉しいと言うか、ホッとした。「本当の望み」と「善き思い、善き言葉、善き行い」がマッチしたんだと思った。
会社の「音楽性」
だからこそ、そのプロダクトが語る「善き思い、善き言葉、善き行い」言い換えると「音楽性」を見失ってはいけないのだと強く感じた。
今の会社は、創業者の思いが強い会社。創業、プロダクトのストーリー、「音楽性」がしっかりしているから、いつか大事な人が離れてしまっても同じ「音楽性」を語れるようにしないといけないなと思っていた。それがコミュニティマネージャーの肩書きをまかりなりにも背負っている人の役割だと思った。
お母さん、僕は「人を殺す」かも知れない
大事な物を失ってしまうかも知れない
「音楽性」を見失ってしまうことがずっと怖かった。元々持っていた大事な会社のカルチャーが、気づかないうちにいつか無くなってしまうんじゃないか。バンドの場合は再結成すればいいけど、会社の時はどうすれば良いのだろう。ナイキやソニー、Appleでは大事な人は変わらない。
社長はソニーに憧れて、社名に設立趣意書の文言を入れてしまうくらいだ。ナイキの創業ストーリーの「SHOE DOG」を読んで何度も泣いたと言っていた。もし違う人だと会社も変わってしまうんじゃないか。
色々試してみたけど、どうすればいいか分からなくて、人のいないところでポロポロ泣いていた。それは今でも続いている。
フレディが思い出されてくれた
大好きだった卓球の仕事も、本格的に諦めることになった。自分が伝えたいことが見えなくなって、再び「本当の望み」が分からなくなった。
そして、誰も自分のことを理解してくれないような気持ちに陥って、勝手に孤独の暗闇にはまった。家に帰っても全然寝られない日々が続いた。
「何の罪も犯していないのに、罰を受けていた」
でも、自分を愛してくれる人が「本当の望み」を"ほぼ"理解してくれたから、きっと大丈夫だろうと思い直すことが出来た。
「誰もが気づかない視点で人が幸せになる仕組みを生み出す会社を作る」のが、今の「本当の望み」だ。
それは、関わってきた全ての環境・人に言えることだ。
何となく忘れていたものを「見ず知らずのフレディ」が思い出させてくれた。
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