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ためについて自己紹介②卒業前に震災を経験した大学生時代

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普段の授業で創造性を発揮した中学高校時代


私が通った中学校は、中高一貫校だったため、高校受験はせずそのまま6年間同じ学校に通うことになります。

しかし、勉強に対して厳しい学校だったため、昼も夜も学校側が勉強を促し、学校の宿題も大量に出るようなところでした。

遊びたい盛りの中高生からしたら、地獄みたいな場所だったかも知れません。

ところが、私は、幼少期から知ることに対する欲が凄かったので、宿題も他の人よりは苦になりませんでした。むしろ、自分に課せられたタスクをこなしていくことを当たり前のように感じている部分もありました。

勉強も結構ボリュームがありましたし、部活動も卓球部に入ってしまったので、自ら創作活動をする機会はなかったと思います。芸術の授業が週1回あり、そこで絵を描くのが一つの余暇みたいになっていました。

私が通っていた学校では、放課後に課外授業を先生が行い、授業で対応できない部分を補う講座がいくつかありました。その中で、美術の授業があり、一度簡単なクロッキーを描くことがありました。

大していい出来じゃなかったなと思ったのですが、陶芸の先生が、「これは素晴らしい・・」と褒めてくださったことを今だに何故か覚えています。

普段は絵を描くことをあまりしなかった私ですが、知らぬ間に自分の創造性を発揮する場面がありました。

それが「授業中」です。

私はノートをまとめる際に、板書の内容をそのまま書かず、授業で口頭で聞いた話も含めてその場で付加してまとめていました。

その際に、「イラストや絵を交えた方が理解が深まるかも知れない」という考えから、かなり独自なノートの書き方をしていました。

話を聞きながら、リアルタイムで聞いた内容をノートのどのスペースに落とし込んでいくかを考えながら、絵も交えつつまとめていく訳です。

それはかなり頭を使う作業であり、それ自体でも楽しかったのを覚えています。そして、それがグラフィックレコードをまとめる際に非常に役に立っていると感じています。

その頃から、「時系列で何かを整理する」という作業については非常に長けていました。

大学時代

高校卒業した私は、大学時代は突然卓球バカになりました

週6で卓球の部活に参加し、月曜日だけお休み、残りは1日数時間は必ず練習。夏休みは1日ずっと練習。毎日身も心もへとへとになるまで頑張っていました。

学部は文学部でしたが、全く本を読んでいる場合でも無く、疲弊していました。両親もそれを見兼ねて、「早く部活やめろ」と言っていましたが、私はその時どうしてもやりたくて仕方がなかったので、止める選択肢がありませんでした。

私は本当に勉強が好きだったので、高校までは勉強さえしていればよかったのが、ある意味楽だったのです。大学に入った時、勉強以外に打ち込める何かを探さなくてはと思い、「卓球が大好きだから、卓球をやってみよう」と思い、入部しました。

今でも、社会人チームに複数参加し、大会に出るくらいには好きです。

また、この時のご縁がきっかけで、卓球専門メディアのRallysの立ち上がり期に一度お世話になり、Webのライターを一時期やっていたことがあります。

卓球部で培った経験は、今でも貴重な思い出になっています。いつかマンガにしたいと思います。

卒業前の一大事

大学では、教育学を専攻していたため、教育活動全般に関心を持ちやすいタイミングでもありましたが、あまりにも部活が忙しく、両立が困難を極めることもありました。

何とか4年で卒業しましたが、卒業年に誰もが思いもよらない一大事がありました・・

それが東日本大震災です。

私は卒業が決まってのんきに大学のキャンパスまでぶらぶらとほっつき歩いていたら帰れなくなってしまいました。結局、キャンパス内で一夜を過ごしました。

この時はまだ状況が飲み込めず、ちょっとした合宿気分もありましたが、津波と原発の映像が流れるのを見ながら、誰もが予想していない自体が起きているということだけは分かりました。

本当に呑気だったと思います。ただ、その日の夜、友人と夕飯を食べていると、隣の席で女子会で談笑しているのが聞こえてきて、「強いな・・」と思った記憶があります。

当時は、mixiがまだ比較的アクティブなサービスでした。Twitter連携やつぶやき、コミュニティ機能などが出てきて、迷走している感もありましたが、日記に詳しい人が被曝に関する正確な情報をまとめてくれたりなどもしてくれました。

外を歩いていると、晴れた日に、子供が「放射能が飛んでくる!」と口元を押さえていたりするのを見て、目に見えない死への恐怖が突然目の前に襲ってくることの恐ろしさを感じていました。

コロナ禍の時もそうですが、震災でも、理解不能な出来事が起きる予想が不確実な時代になってきたのだと思いました。

そして、この時の体験が、明らかに創作をする際にも大きな影響を与えていると思ったのです。目に見えない理解不能な出来事、起こったことに関する感情を感じとって、表現として昇華するには、目に見えない出来事の背景をどうにかして捉えたいという思いが根底にあったかも知れません。

③に続く


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