見出し画像

法身(ほっしん)信じてもらえる事

本日も北鎌倉、円覚寺の日曜説教に赴きました。
毎月、第二日曜日は円覚寺老師の横田管長のお説法です。

すっかり心奪われているので、極力出席して帰りに写経をお納めしてお庭を散策して帰るというルーティーンが出来ています。 今日はリアルに同じ年の誕生日が一週間ほどしか違わないお友達と参加しました。

本日のメインテーマは法身(ほっしん)についてでした。


法身(ほっしん)とは?

法身 (ほっしん、: धर्मकाय dharma-kāya)は三身(法身、報身応身)の一つで、真理そのものとしてのブッダの本体。
色も形もない真実そのものの体をいう。
真理()の身体、真理(法)を身体としているものの意味で、「法仏ほうぶつ」「法身仏ほっしんぶつ」「自性身じしょうしん」「法性身ほっしょうしん」などともいう。

WIKIPEDIA より引用

簡単に言うと、ブッダが亡くなった後にも彼の教えたことは残った。 その教え”真理”のこと法身(ほっしん)は指しているようです。
ブッダが生きてた時代には諸説あり、紀元前4~5世紀ごろのようですが100年ほどの乖離があるようです。
しかしながら、実際には生存してたことは確かであります。
仏像を彫る身として、数年前に知ったのは仏像というものは彼の死後にすぐ造られなかったということ。

これを知っている人はいかほどでしょうか?

ブッダは自分以外の他者を信じること、拠り所とすることを勧めず法(仏教の教え)を拠り所として生きなさいとしたので仏像が造られなかったそうです。 なのでブッダの死後500年ほどが経過してようやく仏像が造られるようになるわけです。

法身 性西(しょうさい)禅師(1189-1273)

鎌倉時代に実在した、文字が読めなかったが優れた僧侶で知られたのが、宮城県 松島の瑞厳寺(ずいげんじ)の開祖・法身 性西(しょうさい)禅師です。 
今年、死後750年を迎え、これまで散文されていた性西禅師についての情報が集約されたことから、様々なことが明瞭になって来たので、横田老師はお話をしてくださいました。

特別展|国宝 瑞巌寺 (zuiganji.or.jp)

 性西(しょうさい)禅師は42歳までは現在の茨城県常陸の真壁の領主にお勤めをしていた平四郎という家臣でした。

ある冬の夜に、良かれと思って領主の下駄を懐で温めて待っていたところ、領主は、平四郎がその下駄に座って怠けていたと激怒し、平四郎を下駄で蹴り飛ばし、雪の上には血が散って下駄の鼻緒は折れてしまった。
平四郎の額には、深い傷が残ったようです。 

この事件をきっかけに、19年もお仕えした家臣をやめてしまった平四郎は心が折れて僧侶になったそうです。

禅宗の僧侶で文字が読めないことは大変な苦労を伴うのですが、平四郎は大変な苦労をしつつも、中国へ渡り幾多の苦行を乗り換えて素晴らしい僧侶、性西(しょうさい)禅師になったのです。

蹴られた人に 75歳で再会したとき

中国で素晴らしい僧侶となり、日本に戻って来た性西(しょうさい)禅師。
日本に戻ってきて修行をしていた時期に、北条時頼公に出会い、時頼公は性西禅師の素晴らしさを見出され、宮城県松島の瑞巌寺を天台宗から、臨済宗に改宗しお任せしたわけです。

そんな大出世をされた禅師が75歳になったころ、あの雪の夜に蹴られた茨城県真壁の領主に再会したそうです。17歳だった領主も35年が経過し、すっかり大人になっていました。
その日、性西禅師は領主にあの鼻緒が折れた血がついている下駄を持って行き、領主に差し出し

私がわかりますか? 昔あなたがこの下駄で蹴った
 元家臣の平四郎です

と言ったそうですが、ギョッとして謝って来た領主に対して返した言葉が

この下駄で蹴られたからこそ、今日のわたくしが居るのです。あの夜のことがなければ、私はただの家臣の平四郎のままだったのです

と領主にお礼を述べたのです。

あの夜、蹴り飛ばされなければ僧侶になることもなかったし、文字も読めないのに厳しい修行をして僧侶となり 
”法身(ほっしん)” を得て、揺るがない、恨みも憎しみもない、永遠の真理に目覚めることが出来、
大きな真っ白な心を得ることもなかったと。。。

痛みから何を得る? MEAN TO BE

私が英語を習っていて好きな言い回しが 

MEAN TO BE 
そうなるようになる / そういう運命だ

でした。

性西禅師のエピソードで一番ぐっと来たのは、最後の最後で自分に起きた辛いことすら、成長の糧になったのだと辛い目に遭わされた相手に直接、面と向かって逆に有難う!と言えたことです。 

耐えがたいことほど、人を許せません。
許せって簡単に言うなよってマジで思いますけど、ズタズタに傷ついている自分を守るために言えない時もあるし、成長できてないから許せない自分もいます。
時間が必要な場合もあります。

かくいう私も、いろいろ人生あったけど
筆舌に尽くせないほど憎くてどす黒くて
許せない 許せない 許せない。。。
に飲み込まれて
貴方が呪いみたいになっている
って霊媒師に言われて、電話口で号泣して呪いの塊になる手前で、自分を取り戻したことがあった時期もありました。

それほどの許せない気持ちを体感したからこそ、逆に有難うって言えるようになるまで、どれだけの苦難を乗り越えて性西禅師がそう言えるようになれたのか? 

自分ですら10年以上かかりました。
この話を聞いて、苦い想いを思い出して胸が苦しくなって涙が溢れてくるのを歯を食いしばって、5分ほどぐっとこらえました。

どんなことがあっても
きっとそれは自分のために起きていること。

だから、前を向いて歩いていけば そうなるようになってたんだ!ってなるはずなんだ。 

昨日 仏像彫刻の師匠にも言われましたが

みんな仏縁が有って仏像を彫っていて

”(先輩たちのように)こうなれるってTamiさんは
 自分を信じてやってるでしょ? 
    見ててわかるから。自信もって”

って 下手っぴなのに言ってくれました。
これでも同時期に始めた人の中では一番速く進んでるそうです。

親には全く信じてもらえず、褒めてもらえたことは有りません。43歳の私にすら子育てに失敗したって言われる始末だけど。

そんな存在の親がいたからこそ
仏像彫刻の師匠がいろいろ教えてくれて、オカルトもスピも同じノリで楽しめて、熱い言葉をかけてくれる。
何より信じてくれることが本当に何よりも私は嬉しくて。師匠のお言葉を聞いて、この人に会えて良かったと思えました。

すべては いつかこうなるように出来てるんです。

やっと、なんか彫ってる感出てきたー!

Gift 信じてもらえること

信じて貰えてない
信じて貰えてる

本気であればあるほど、気づいたときの喜びや幸せは大きいですが、日本人にとってはちょっと恥ずかしくて、思ってる相手に伝えることは簡単でないような気がします。

見守る気持ちでしょうか。
信じて、手放して、あとはどうなっても気にしない。
自分は自分の道を行く。

だけど
応援してくれる人がいる、嫌なことを指摘しても見守ってくれるから、出来るって信じてるから!と伝えてくれるチアリーダーの存在は、自分が逆境に立った時に居てくれた人ほど、決して忘れられない存在です。
私も、今でも恩義を感じて大切に思っている友達が少ないですが居ますし、一生友達です。

意外と一番難しいのは、自分を信じ切ることです。
だけど応援してくれる人が居るって自覚した瞬間から
ちょっと強くなれます。

小さなギフトだけど、私は良いなって思ったら 
その人を褒めます
美味しいゴハン 素敵な物 アクセサリー
接客でおすすめする内容だったり。
その人にその場で気持ちを伝えます。
凄くいい!とか 本当にうれしい!とか

有難いって思ったら
有難うって言います

凄く簡単だけど
意外とそんなことが大切な気がします
だってそれって、凄くあなたがイイですよ!って
応援して信じてるって
メッセージになると思いますから。

円覚寺の横田老師が好きすぎて、見ると
大好きを連発して、ニヤニヤしてるTamiでした。

おやすみなさい。
また明日! おわり。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?