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鬱からのベトナム・タイニン旅 1 「過去」

「何かを残したい。ネガティブになっちゃ駄目だ。明るく生きていかないと」

日本の秋風のような心地良い風。
バイクが行き交う交差点。
派手な服を着た宝くじ売りのおばちゃん。

2019年1月23日、時刻は朝7時半。ベトナム南部の街タイニン。

朝食の丁度良い満腹感にうっとりしながら、カフェから道路を眺める。

「皆は元気かな」「お金をどう稼ぐか」
そればかりが脳裏をよぎる。

旅に出てきたからには、前向きに何か発信したい。
そう思いながら、思いを紙に綴る。

横にいる太った男達は
コーヒーとタバコを片手に、携帯に夢中だ。

そういえば
YouTubeで林先生が言っていた。
「やりたいこと」と「できること」の違い。
俺には何ができるのか。。。

2018年12月。
全てがブチっと切れた。
落ちたペンを15分ぐらい眺めた。
日本の友人5人に電話をして、
親に電話をした時、涙が出てきた。
何もうまくいなかった、
ホーチミンでしていた仕事の
名ばかりのジェネラルマネージャーが辛かった。
僕がそこにいる意味は無かった。

精神的に崩れ、2018年年末日本に帰った。
初めての緊急帰国だった。

福井の友人は久々の帰国を迎えてくれた。
うれしかった。
(反面、ホーチミンのみんなが心配だった。)

3年ぶりに家族全員で過ごす年越し。
大掃除、御節作り、紅白歌合戦、たわいのない話。
気を良くした父親が我が家の詳しい家系図を教えてくれたりもした。

しんしんと雪が降るほど福井は寒かったが
熱燗とおでんと旧友との団欒は
沁みるほど、暖かかった。

不安でいっぱいだったが、夢は言い続けた。
「今年1年で独立して1人で生きる」

「うんうん」と聞いてくれる友人もいたし
「お前なら何かできる」と言ってくれた友人もいた。

だけど1番多かったのは
「生きて帰ってこい」

本当に幸せだ。

23歳から海外で働き始めて、3年目。
「アジアで一旗あげるから、見送ってくれ!」と小中高大すべての友人に声をかけて3年前にパーティーをした。20人以上集まってくれた。

自己イメージは「東南アジアで働いている自分」

ある意味、固執してるかもしれないが、
「東南アジアで働いている自分」を崩したくない。

もっとやれる。
大口叩いて福井を出てきた。
もっとやれる。
友人に示しをつけるために。
もっとやれる。
1年やって、ダメなら諦めて次を考えよう。

そう思って、再びホーチミンへ向かった。
「今年1年で独立して1人で生きる」ために

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