旧統一教会の解散請求に思うこと

 私は法律の専門家ではないので、現憲法上の宗教の自由と、カルト的(主観)宗教法人の解散が、法学的にどうかなんてのはわからない。

だが、元々宗教法人という制度 = 国による支援、保護、優遇が、必要ないと思っている。

宗教法人を無くすのは宗教への迫害でも、信教の自由を阻害することにもならない。ただ国は関わりません。犯罪行為があれば取り締まりますお金に動きがあれば、個人として、あるいは一般法人として、税を徴収しますという、それだけのことだと思う。

宗教法人を無くすならNPO等に移るのかもしれないが、NPOとしてふさわしければ、別に宗教団体の構成員の多くがNPO活動を行い、活動に献金を求めても問題ないだろう。だが、そこに「教祖」とか、「宗教」が介在してはいけないし、NPO法人の役員の子供も、そのNPOに入らなければならず、そのNPOが詠う規定に従わなければならないなんて、ありえないだろうし、NPOでも違法な勧誘や活動は固く禁じられるだろう。

これは別に自分が無神論(蓋然性の意味で)で考えるようになったからではなく、神と呼ばれる抽象的な非実在を信じていたときから、(かつては、キリスト教の礼拝も、それが主催する英会話教室にも通ったし、母親がはまってしまった新興宗教も含めて、様々な神様を信じていた。)あるいは仏教のお坊さんに、本来必要なかった過度な敬意(宗教者としての)を払っていたときから、宗教に国家が関わる必要はないとずっと思っていました。

(もちろん、犯罪行為を取り締まるのは当然で、違法なNPOや、暴力団、半グレ集団を取り締まるのと、何も変わらん

宗教で大事なのは、「考える」よりも、教えを「信じる」ということ

そして、何かを信じるのも、信じないのも、結果的に「信じていた」のに、違ったとしても、あるいは第三者が、自分が信じているものを否定したとしても、それで悲しむ必要も、失望する必要もないのである。 そんなの同情する必要も全くない

何を信じ続けるか、やめるか、何も信じないか、完全に自由である。ただ、国家として、旧統一教会(どこの宗教でもよくある跡目争いで、分裂し、信者同士での争いもあるのだが、まぁ、それは本当にどうでもいい)の主流派と思われる、世界平和統一家庭連合 という 一宗教団体を、国は公益法人とは認めないそれだけのことだろう。

すでに明らかになった被害者の数だけで、ずっと前に本来は指導を受け、もっと厳しく管理されるべきだったのだが、結局は政治家との深いつながりで、存続を許してしまったのが解散命令が出れば、少なくともこの件については、「日本の行政と司法が、まともな判断を行った」、そういうことであろう。

何人の現役信者が、真の父母とやらを心から信じ、彼らを教祖として崇める世界平和統一連合は、公益法人にふさわしいと思っていようが、日本という国家は、そして国民の多くは、そう思っていないし望んでもいない。それでも信仰の自由は認められるし、任意団体として存続し続けるのである。

財産の管理等が必要なら、営利法人として活動すれば良い。もちろん、宗教活動とやらのための税優遇はなくなるが、頑張ってファンタジーを紡いで、それを信じる会員から稼いでも、何も問題はないだろう。Vtuberへの投げ銭や、アイドルへの推し活とかわらんだろうから。



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