赦すのと忘れるのは違う

 どれほど惨たらしい悲劇であっても、犯罪であっても、罪であっても、事実を事実として記録し、記憶し、伝えていかなければならない。たとえそれが、日本が行ったことでも、アメリカが行ったことでも、ロシアが行ったことでも、中国が行ったことでも、いかなる宗教団体でも、極右でも、極左でも、政党でも、国王でも、大統領でも、首相でも、天皇でも。

人は間違う生き物であり、いかなる宗教団体であれ、政治団体であれ、政党であれ、国家であれ、間違う人の集団であるのだから、やはり間違うし、失敗する。そして他者を、他集団を傷つける

個人も、集団も、国家も、大いなる過ちを犯す。人類の歴史は、過ちの歴史でもある。もしも、赦し合うだけでなく、過ちを記録し記憶するのをやめたとき、人とその集団改善することすらできなくなり、失敗を繰り返すだけになる。

私は、学生時代(中退したが)とその後数年、青春のほとんどを広島で過ごしたから、広島への愛着は強い。出鱈目でちゃらんぽらんで、異性の事ばかり考えていて、くだらない冗談ばかり言っていた自分でも、広島が地元の同性代と話して感じたのは、この地の人たちの平和や核廃絶への強い気持ちは、まるで固有の民族意識のごとく、感情に、心に、染み付いているという、自分では本当に理解しきれないだろう感覚だった。

自分が広島で過ごした数年間は、いかなる政治運動にも関わらなかったし、周りにそのような人たちがいなかった。 中核派と民青同盟が喧嘩したりもしていたが、ともかく中核派は危ない人達にしか思えなかった。同じ学科の女生徒に、本当にサングラスとヘルメット姿の中核派が近づいて勧誘していたとき、割って入り引き離した。それすら、いい格好したかったというのが、本当のところだったが。

そんなノンポリであるにも関わらず、広島での生活は、方言が寝言で無意識で出てしまうように、私の戦争感、軍事力、核武装、平和憲法への考え方の根本に影響を与えていると思う。

広島弁、広島独特の県民性や、広島風お好み焼きと、自分の出身地である大阪と比較して、軽い冗談にはできても、人類史においてたった二度、広島と長崎だけに起こった、人類にとっての過ちであり罪である、アメリカによる原爆投下と、その時受けた被害だけは、絶対に冗談にはならないのだ。

原爆を投下され7万人近くの死者、12万人の負傷者を出し、今もなお12万近くの被爆者がいるこの国が、この事実を被爆国として記録し、次世代に伝えるのは、被爆国の義務であろう。それは被爆国しかできないのだから。

そんな広島の歴史教科書から、はだしのゲンが消され第五福竜丸事件も消され、「23年度からの改訂版は世界の核実験、核軍縮の動きを地図や表、グラフから具体的に捉えられる内容」にしたという。

こうやって私達、被爆国の国民は「敗戦」を忘れていくだろうし、「被爆国」であったことすら、忘れるだろう。そしてきっと、「反戦」を忘れるだろう。

広島サミットほど、皮肉なものはないし、本当に恥ずかしいものはないだろう。

唯一の被爆国であり、被爆した広島県出身の首相が、その広島で「核廃絶」を「理想」に棚上げし、日本は核を落とした国が保有する核の傘に守られている国家として、核保有は核抑止であり、平和につながると世界に向けて肯定したのだから。


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