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世界の手ざわり

昨日は残業がしんどくて、日記を更新できず。
今日は飲み会もあったけど早めに帰宅。

#わたしをつくるもの

残業で心身ともに疲れが取れない。
そもそもダメージを受けるのは、寝不足に加えてよくないもの(甘いもの、パン、カフェインetc)を過剰に摂取し、よいもの(自分の場合、自家製ヨーグルトと野菜)をあまり取れていないから。
わかっていながら、よくない方へよくない方へと加速して向かってしまうのですが。

自分は自分の食べたものでできている、というのはほんとうなんだなあとつくづく思う。
栄養素うんぬんの前に、食べ物と食べること自体の影響、心と身体の健康状態に与える影響を、たまに過小評価してるなと感じる。

私の脳も身体も食べたものから再構成されている。当たり前なんだけど。
通りに植えられている10m以上のケヤキの樹も、もとは数センチの種子。土と日光と水だけで最初の姿の数百倍の大きさになる。
外からみた人としての自分が、おおかた外から取り入れたものだって考えると面白い。

食べ物で構成されているのが身体という容れ物だとしたら、中に入っている心もとい「自分」は何でできているのか?
かつて見た景色、聴いた言語や音楽、出会った人々。そういったあやふやな残像みたいなもの。残像だけど、それはその人の個々の行動と一生を左右するくらいの力をもっている。
そして外からの刺激を受けずに自分を確立することは、たぶんできない。それは神だか人間だかが、私たちの種に課した生存戦略だ。

日に透ける大木の葉、誰かのまなざしの中の海原、夜明け前の静けさ、そういうものをことさらに感じるとき。ふだんはあまりにも「自然」すぎて知覚することもできないけれど。そういう世界の手ざわりが、言葉や音楽や芸術や、文明まで作らせたのかなと考えると、ちょっとうれしい。

最後まで読んでいただき、うれしいです。 サポートをいただいたら、本か、ちょっといい飲みもの代に充てたいとおもいます。