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いいね!を因数分解する

SNSなどで、わたしが純粋な気持ちで「いいね!」「♡」を押すときは、たいてい次の二つのいずれかが動機になっているのではないかと思う。

・「わかる!/同感」という、一方的な連帯感の表明
・「素敵/かっこいい/賞賛したい」などの、とにかくほめたたえる気持ちやエールを送りたいという意思の表明

どちらも、他者の言動に対するポジティブな反応からくるものだけど、同じように見えて微妙に別物だと思っている。

こういう文脈での「趣味が合う」と「話が合う」って、コインの裏表みたいな関係なんじゃないかな、というのが今日考えていたこと。

たとえば、会社のある先輩とわたしは美術館の好みがすごく似通っている。
休日はたいていどちらかが美術展に足を運んでいて、SNSなどで報告したら「それ行きたいと思ってた!」か「この前わたしも行きましたー」といったリアクションが必ず起こる。あまりにもそれが頻繁に起こるので、わたしは美術展に行くたびに先輩の姿を探しそうになる。

二十数年生きてきて、興味の矢印がここまで同じ方向を向いている他人には会ったことがないし、当の先輩からもそう言われたことがある。

だからたぶん、「趣味が合う」というのは矢印の方向性の話。

一方で、その矢印が同じ方向を向いていなくても、「話が合う」は起こりうる。

たとえば、仲のいい友達と自分の趣味の話になるとする。お互いの趣味は違えども、相手の話はいくらでも興味をもって聞ける、という状況は誰しも一度は経験しているんじゃなかろうか。
未経験の趣味の話であってもだ。

趣味が違うから矢印の向いてる方向はばらばらだとしても、そのときの、おそらく趣味というものに対する興味の深さみたいなものは、けっこう近いのでは、という気がする。
なにかに熱中する人は、同じくらいの深度で他のなにかに熱中している人と、なんだか気が合いそうだから、という理由だけど。

つまり「話が合う」というコミュニケーションは、「矢印の長さ」≒興味の深さが同じくらいのときに起こるのでは…ということ。

この矢印の方向と長さという2次元を考えるとき、対象は別に趣味に限らないだろうなと思う。
人と対面する姿勢だとか相手への興味だとか、仕事そのものにもあてはまりそう。

そういう目線でコミュニケーションの現場を観察するのも面白そうだな、と思った一日でした。

矢印の方向も深さも、自分とまったく同じ人…二つもいいね!をあげたくなる人がいたら、いつか話してみたいなあ。

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