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植活のススメ

最近、まわりで花束のお届けサービスが流行っている。
noteカメラ部でも、ちらほらと。

よい。

わたしはこのサービス使っていないのですが(「使ってないのかよ」というつっこみはさておき)、お花を買うことは好きなのでとても良いサービスだと思うのです。

お花を買う理由を考えたとき、「お花は絶対になくてはならないものではない」から、とわたしは答えます。

なくてはならないもの、というのは、わたしにとっては空気であり水でありお布団のことです。

お花は、食べられもしないし、お金をうむわけでもない。
ただそこにあり、空間を飾るだけです。

その身のこなしの軽やかさが、わたしは好きなんだと思う。
だから、もし仕事帰りに近場の花屋が開いていたら、一輪か二輪か三輪くらいのお花を買って帰ることが多い(と思っている)。

カラフルな草花は空間的な彩りを与えてくれるだけでなく、時間的な彩りも教えてくれる。

花の命は短い。何もしなければ半日で萎れ、あんなに冴えていた色合いも時間とともにどんどん薄まってしまう。

それは何より、お花が生き物であり時間の流れとともにあるものだということを、強く実感させる。
花瓶に生けてから取り去るまでの数日間のあいだ、わたしは、花が生まれるもっと前の段階の若葉や蕾の追憶をたどり、また実をつけるものであれば、その子孫が土に根をおろし上へ上へ伸びていく様を空想する。

それは確実に終わるいのちだけれど、こうして一瞬輝いて消えていく姿は、わたしたちにつかの間のやさしさを与えてくれる。

特にこの時期、植物たちは静まり返っているように見えるけど、内部ではぐんぐんと伸びている。茎の中や蕾に徐々に生命力がたまっていくのが、本当にわずかだけれども確かなスピードで感じられる。

切り花だと、経過時間による変化を愉しむのは少し難しい。けれどもこの時期だと桜や梅の蕾のままの枝も売っているので、それで十分季節は味わえる。

一昨年、富士桜を枯らす前は、春のあいだ本当に毎朝が楽しみだったなぁ…夏の暑さでやられてしまったけど。

富士桜、花の可愛さもさることながら、幹の色と光沢がすごく上品で大好きだったので、またぜひ機会があれば育てたい。
ちなみにこの富士桜は、拙アルバム「盆栽ダイアリ」の表紙写真にしているように、切り花ではなく盆栽です。
わたしはもっと盆栽仲間を増やしたいので、ここで植物活動=植活がもりあがるのは心からうれしい。(笑)

盆栽をすすめると、枯らしそうってよく言われます。が、日本の野山にもともと分布していた「山野草」であれば、(ちゃんと土をメンテしていれば)毎朝水をやるだけで元気に育ってくれるものが多いです。
気候が合うってほんとうに大事だ。

都会でも、日当たりや風通しなどの環境に適した植物を選べば、きちんと生きてくれる。

この子は雑貨屋で3〜4年前くらいに買ったエアープランツ。窓辺に置いたまま、水をかけるのは1週間に1回くらい、という超放置プレイながら毎年少しずつ大きくなっている。

気の長い、植物によってはそれなりに手間もかかる趣味だけど、この愉しさがもっと広まったらうれしいなあ。

明日は特に予定がないので、庭の盆栽たちの手入れとメダカ鉢の掃除をしようと思う。
1週間おつかれさまでした。

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