僕の考え方を変えた4つの寓話

こんにちは、石井多聞(@tamonhypno)と申します。

突然ですが、僕は寓話的な話が大好きです。
そこで「僕の考え方を変えた4つの寓話」を話していきたいと思います。

人間万事塞翁が馬

むかし、中国北方の塞と胡の国境付近に老人(塞翁)が住んでいた。

ある日、老人の馬が胡の地方に逃げてしまった。
周りの人々が気の毒に思い慰めると、老人は「そうでもない」と言った。

やがて、逃げた馬は胡の立派な駿馬を連れて戻ってきた。
周りの人々が幸運を祝うと、老人は「そうでもない」と言った。

しばらくして、駿馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
周りの人々が見舞いをすると、老人は「そうでもない」と言った。

次の年、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は兵役を免れ、戦死せずに済んだ。

有名な故事ですので知っている方も多いですよね、「じんかんばんじさいおうがうま」と読みます。
「人間(じんかん)」とは「人の世」という意味で、ヒューマンの事ではありません。

人の世とはとかく複雑なもので、何が幸運になって、何が不幸になるかなんて、自分が死ぬ瞬間までわからないものです。

僕はこの話を知ってから、絶対の正解なんてないんだなぁと思うようになりました。逆に言えば、すべての答えが正解である可能性があるともいえます。
だから、必要以上に判断を悩まなくなったし、他人に自分の考えを押し付ける事は少なくなりました。

白い蛾と黒い蛾

ヨーロッパのある森に、オオシモフリエダシャクという蛾がいました。
オオシモフリエダシャクは、明るい体色の白色型と、暗い体色の黒色型という2種類のタイプに分かれています。

森は白樺の木が繁っており、白樺の木の上では白色型が保護色となっていましたが、黒色型は逆に目立ってしまい、鳥に食べられてしまいます。
そんな理由で森のオオシモフリエダシャクは、ほとんど白色型で占められていました。

しかし森の近くに工場が建てられ、石炭の煙によって木の樹皮はすすで黒く汚れてしまったのです。

すると白色型は黒く汚れた木の上では目立ってしまい、逆に黒色型は保護色となり目立たなくなりました。

こうして、森のオオシモフリエダシャクは、ほとんど黒色型で占められるようになったのです。

この話は生物学の「工業暗化」を説明するときに、しばしば使われます。

工業暗化という現象自体は確認はされているのですが、原因については諸説あって「鳥の捕食を避ける方法として保護色は有効なのか?」などの議論があり、暗化は淘汰によるものなのかはハッキリしていません。

まぁ、生物学的な話は置いておいて、寓話的に考えるとこの話は結構おもしろいんですよね。

進化とは「現状への最適化」でしかありません。
そこには「優れている」「劣っている」ではなく最適化しているかだけの話なんです。
だから、環境が変わってしまえば、強者と弱者は簡単に入れ替わってしまう。
たとえ、競争に勝ち残っていたとしても、それは単に運が良かっただけで、偉くもないし優れてもいないんだ、と思うようになりました。

僕は一時期、少しだけテングになっていた時期がありまして、この話を聞いて少しは謙虚になれたかなと思います。

僧侶雀蛇

昔あるところに旅をしている僧侶がいた。

ある日僧侶が道を歩いていると、雀が蛇に捕らえられている。
雀が涙を流しながら僧侶に命乞いをするので、僧侶は雀を不憫に思い、蛇に語りかけた。
「その雀はまだ若い。私の腕の肉と交換に助けてやってくれないか」
すると蛇は不思議な天秤を持ち出すとこう言った。
「これは命の重さを量る不思議な天秤だ。この雀と釣り合うだけの肉を差し出せば雀を助けてやろう」
僧侶は少し訝しげに思ったが、涙する雀を見てその交渉を呑むことにした。

僧侶はまず腕の肉を少し削ぎ落とし、天秤の反対側に載せた。
肉は雀と同じくらいの大きさだが、天秤はピクリとも動かない。
更に肉を削ぎ落とし載せたが、やはり天秤はびくともしない。
次々と肉を削ぎ落とし、とうとう片腕を失ってしまった僧侶だが、
やはり天秤は一向に動く気配を見せなかった。
業を煮やした僧侶が自ら天秤に乗ると、ようやく天秤は釣り合ったという。

たまげた僧侶を尻目に、蛇は不適な笑みを浮かべて曰く、

「どうだ坊主。この雀の命は、腕の肉切れ一片で足りるとでも思ったか。
己の命も犠牲に出来ぬ分際で命を助けるようなぞ高尚なことをほざきおって、おこがましくも哀れで愚かな人間らしいことよ」

呆然とする僧侶を横目に、蛇は雀と僧侶の腕を丸呑みし、どこかへ去っていった。

作者は不詳です、ネットの色々な場所で出回っているので読んだ方もいらっしゃるかと思います。作者を知っている方は教えてください…

作者こそわかりませんが、この話の原型はインドの『ジャータカ物語』「シビ王と鷹と鳩」で間違いないと思います。
僧侶がシビ王、蛇が鷹、雀が鳩になっているだけで内容は同じです。
ラストでシビ王の行いに感動したインドラ神(鷹に化けていた)が、体を元に戻してくれるんですけどね。

僕はラストに救いがなく、人間の傲慢さを痛烈に批判していてる、こちらの話の方が好きです。

非喫煙者スペース

この話は、かつて僕が在籍していた会社の話です。
もしかしたら、見る人がみたら身バレするかもしれないなぁ…

僕の在籍していた会社には、喫煙室がありました。

喫煙室に対して、一部の非喫煙者たちは快く思っていませんでした。
喫煙者だけが「タバコを理由に堂々と休憩しているのがズルい」という事でした。

そこで非喫煙者たちは「僕たちも非喫煙者スペースを作ろう!」と立案しました。みんなのデスクを少しずらしてもらって共有スペースを作り、テーブルにお菓子を置いて、非喫煙者たち同士で語らいの場を作りたいと。

僕自身は「裁量労働なんだから、勝手に休憩取ればいいじゃん」と思っていたのですが、彼らも喫煙者と同じ権利というものが欲しかったのでしょう。
非喫煙者スペースの是非に関しては、この話とは関係ないので、ここまでにしておきます。

彼らは「非喫煙者スペースの要請」を、責任者であるプロデューサーに提出しました。プロデューサーは、この提案を受けた時は「いいんじゃないかなぁ」くらいに思ったそうです。
決して反対はしていませんでした。
まぁ、強く賛成もしてませんでしたけど。

しかし、プロデューサーは結果的に、この提案を却下しました。
彼らは、一体なにをすれば、提案を通す事が出来たのでしょうか?

僕の在籍していた会社は、上場しており大企業の部類に入っていたと思います。会社に物理的なスペースが足りなかったり、休憩すら与えないブラック企業だったわけでもありません。

プロデューサーは提案を却下した後になってから、提案を通す方法を思い至ったそうです。
「あのとき、あの方法で提案を出されたら通してたなぁ」と仰っていたのが印象的でした。
ちなみに、その答えは今でも僕の行動指針の1つとなっています。

答えは、後日別のノートに書きたいと思います。
皆さんも良かったら、答えを考えてみてください。

いい答えが浮かびましたら@tamonhypnoまでDMをください。
何でそんな事をするのかって?
この話で皆さんとTwitterでお話できたら素晴らしいなぁと思ったからです。

お読み頂き、ありがとうございました。

【追記】
回答のノートを書きました、人間同士の意思決定について書いています。


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