催眠の定義

現状では催眠の原理も統一的な理論がないため、催眠の定義は人それぞれで様々な考え方があります。著名な心理学者、催眠家の催眠の定義を列挙します。

「ひとつの考えまたは一連の考えに対し、集中した注目と受容性を保った状態である」
ミルトン・エリクソン
「信頼できる暗示に対して相対的に影響されやすくなっている状態をいう」
クラーク・ハル
「催眠とプラセボは共に『反応の予測』を共有している」
アービング・カーシュ
「催眠家の与える暗示によって、被験者の知覚や記憶、意図的行為に変化の生じる対人関係」
ジョン・キルストローム
「催眠中は意識に理論づけをしようとする力が弱まる為、与えられた事実または暗示を受け入れ、その通りに行動しやすくなる」
フランク・S・カプリオ ジョセフ・R・バージャー
「”条件付け”の一側面にほかならない」
ソルター
「催眠とは「ある考え」を受け入れる意志があるか、そしてその考えに干渉することなく自らを従わせる意志があるかだ。その場合の「ある考え」を私たちは「暗示」と呼ぶ」
アンドレ・ウェットゼンホッパー
「催眠という枠組みを提示した上での、特殊なコミュニケーション」
石井 多聞

議論のための定義

催眠には色々な定義がありますが、少なくとも「催眠"術"」の定義においては、共通するものとして

「特殊なコミュニケーションで暗示を提示し、何らかの反応を得る」

があるかと思います。

この定義をしないと

「テレビCMは催眠である」
「すべてのコミュニケーションも催眠である」
「音楽を聴いて没頭することも催眠である」
「恋愛は催眠である」
「セックスは催眠である」(ある意味あってる)
「世界は催眠である」
「催眠とは宇宙である」

などなど、世界のすべてが催眠になってしまい議論が発散します。
(上記のものは”広義”の意味での催眠とはいえると思います)

言葉が意味をたくさん包括してしまうと、問題点がぼやけたり、取り違えたりしがちになります。
ですので、適切な範囲で意味を区切ることが必要になるわけです。

「定義」とは、意味の断捨離である
石井 多聞

問題の本質を切り分けるため

これは別のノートで取り合えげる予定ですが、定義があいまいだと非常に困ることが、「催眠の危険性」を話すときです。

定義があいまいだと「本質的に催眠でなくても起こり得る危険」まで、催眠の危険性として取り上げられてしまいます。
本来は、従来のコミュニケーションでも起こる危険性であったり、使用する人間のモラル問題であるのに、催眠をスケープゴートにすることで本来の問題点がうやむやになってしまうのです。

例えば、銀行強盗に車が使われたとして、銀行強盗を引き起こす原因は車でしょうか?本来の問題点は、治安の問題であったり、貧困の問題であるはずです。なのに車を規制して「臭いものに蓋」をすることで、本来の問題が置き去りになったまま目先の安寧をとってしまう危険があります。

ですので、本来の危険性を見極めるためには、「催眠の定義」というものが必要になってくるのです。



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