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人生を変えてくれた親友の話

どうも!初めまして!たむじょーの親友役のたけです!
4月2日にたむじょーYouTubeの新メンバーとして加入しました。今回はたむじょーとのこれまでとこれからについて書いていきたいと思います!

たむじょーとの出会い

たむじょーとは小学生の時、本当に毎日遊んでいました。今でもたむじょーの家の電話番号を覚えていて、今でも朝の10時になるとたまにかけてしまいます。(笑)

小学生の時はたむじょーが1番速くて、自分は2番でした。
中学生になる前にたむじょーの転校が決まった時は、寂しさ半分、たむじょーいないなら俺1番になれるじゃん!って気持ち半分でした!(笑)

自分の中学校は長距離に力を入れていたので、着実に力をつけていける環境でした。
一方で、たむじょーの中学校は人数も少なく、力をつけるのが難しい環境だったみたいです。
毎年年賀状を送り合ってはいましたが、たむじょーから陸上の事について書かれていなかったのが印象に残っています。

お互いの競技の状況を知らずに迎えた中学3年の夏、たむじょーが千葉に帰ってきていて、本当に偶然会いました。
その時既に、たむじょーは陸上部を引退していて、自分は高校でも陸上を続けることになっていました。

たむじょーも陸上競技を辞めたことに後悔はあったみたいで、自分がこれから冬にある駅伝を頑張ると話したら、たむじょーは「俺もやりたい!」と目を輝かせていました。

たむじょーもいろんな事情があって兵庫に転校したので、冗談っぽく、「こっち戻ってきちゃいなよ!」と言ったら、夏休み明けには自分の隣の席にいました(笑)

たむじょーの駅伝をやりたいという意志は固く、一度も兵庫に戻らず、転校してきました。

そこからのたむじょーの頑張りは凄まじくて、そのおかげもあって関東駅伝まで進むことができました。
県駅伝と関東駅伝でアンカーを務めたたむじょーはどちらもめちゃめちゃギリギリのところで関東駅伝出場権と関東駅伝入賞の順位で襷をもってきました。
今と同様、その場を盛り上げる能力が昔からありました(笑)

たむじょーとの約束

別々の高校に上がる前に、たむじょーと「箱根駅伝に一緒に出よう!」と約束しました。
同じ大学で襷を繋ごうと話したのを覚えています。
自分はちょうどその時期に股関節の怪我をしてしまいました。高校2年の時には手術をして、その当日に中学校の時の恩師とたむじょーが二人で病院に駆けつけてくれました。
そのおかげで何とか手術も上手くいって、走れるようになりました。
しかし、復帰を急ぎすぎたせいかすぐに悪化してしまい、陸上競技を引退するという選択をしました。
もちろんたむじょーとの約束もあったし、あのまま続けることもできていたかもしれせんが、当時の自分では、どうしても続けるという選択を取ることができませんでした。

たむじょーに電話して、「陸上辞める」と話すと、たむじょーの方が「約束したじゃん!」って泣いてくれました。
たむじょーはそこで、「俺がたけの分も箱根駅伝でるよ!」と言ってくれました。
そこでたむじょーの絶対に達成するという意志も伝わりましたが、なぜかそれを達成するという確信が自分の中にありました。

高校、大学でたむじょーが目標を成し遂げていく姿を見て、「悔しい」とか「羨ましい」とか思ったことは本当になくて、「箱根駅伝に出たい」という想いをたむじょーが本当に背負ってくれたかのように感じていました。

箱根駅伝当日、中学校の恩師と友人でたむじょーの応援に行きました。
たむじょーファイト(小声)で応援しましたが、たむじょーが1番きつい場所で応援したので、聞こえていませんでした。
ただ、たむじょーが自分の前を通った時、「やっぱり達成するんだ」って思ったし、自分のことのように嬉しかったです。

たむじょーとの約束は「一緒に箱根駅伝に出よう」という約束だったけど、一緒に出れたような気がしました。

最後に

たむじょーと一緒に出ようと約束した箱根駅伝を諦めるという選択をしましたが、それ以上にたむじょーと続けた陸上競技生活が、自分にとってかけがえのないものだと思っています。
辛かった出来事より楽しかった時間を思えば、こうやってまた競技を始めたり、やり直せる。こうやって思えたのもたむじょーや撮影者が居て、きっかけを与えてくれたからだと思います。
本当にありがとう!

以前は、静かに生きていくのも良いと思ってたけど、少しはうるさくても良いかなと思い始めました!笑

たむじょーや撮影者、視聴者の皆様で、たむじょーYouTubeをより良いものにしていきたいです!

最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
これからも応援よろしくお願い致します!

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