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2019/06/30 日曜日 記憶、Netflix

日記、155日目。

この日記を書いているのは、実は2019年8月4日である。
つまり、日記を1ヶ月を溜め込んでしまっているということだ。
当初の目標は毎日書くことだったけれども、やはり小さなことでも継続することは難しいと痛感する。

しかし実は、毎日数行だけれども、その日の記憶の断片を数行だけ記録をしているので、内容を眺めながら思い出して、書いている。

そもそも人はどうして記録をしたがるのだろうか?
というか、どうして僕は記録をしたいのだろうか?
過去の記憶を客観的に観察することで、生きている安心感を得たいのだろうか?
記憶を忘れることに対しての、怖さだろうか?
どうして、過去を忘れることは怖いのだろうか?
過去の経験に対しての執着心だろうか?

そんな生産性もなく、仕事の役に立たないことを考えながら、6/30の記憶を過去の記録からぼんやり思い出す。

6/30の記録。
・自宅でのんびり。イトーヨーカドーに買い物。
・宇多田ヒカルのライブをNetflixでみる。

ついにNetflixでも音楽系のライブ配信がはじまった。宇多田ヒカルは特に大ファンというわけではないけれども、僕10代後半から20代後半までの中心的な歌手であり、彼女の過去のヒット作を聞くと、当時の出来事をぼんやり思い出す。

そうそう、Netflixといえば、話はさらに脱線すると、今ちょうど、Kindleで「NETFLIX コンテンツ帝国の野望 :GAFAを超える最強IT企業 」を読んでいる。

Netflixは1997年にリード・ヘイスティングスと、当時、ソフトウェア会社の役員だったマーク・ランドルフが創業してる。

僕は好きな米国の企業は、ピクサーとNetflixだ。
これらの企業に共通しているのは、どちらも独自のコンテンツ事業者でありながら、確実な成長を遂げていること。
コンテンツ事業者は、ひとつのコンテンツが失敗すれば、会社ごと破綻に追い込まれると思われがちだが、そこで継続している企業は、華やかな世界では考えられないような、多くの泥臭い会社の生存を賭けた、内外対して戦いを挑み実行に移している。

成功などそう簡単に手に要られるわけはない。さらに、苦労しながら試行錯誤で得られたノウハウこそが、それは会社にとって模倣されない資産(参入障壁)になるのだ。まだ15%程しか読んでいないけれども、読み終えたら、また簡単にこのnoteにまとめたいと思う。

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