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Web系(自社サービス)への潜り込み方とそのあとの生存戦略

はじめましての人ははじめまして。知ってる方はこんにちは。炭山水です。

※写真は以前ジョギングしてて撮ったものです。緑とコンクリートの組み合わせがグッとくるものがあって。

「Web系ってところに入社するとスキルがつくらしい」「いやいや泥臭い仕事多いよ」みたいな話題をTwitter界隈やエンジニア向けのブログ(人材紹介系アフィリエイトブログの類を含む)ではよく目にします。

でも地上の楽園ですよという話とか、特定の仕事を叩くとかそういうのもあってもいいけれど、本当にWeb系(自社サービス)と呼ばれるお仕事を目指したい人たちが「で、具体的にどうしたらいいのか」っていう現実的な話もあってもいいんじゃないの?と思い、筆を執りました。

僕の体験談が多少なりとも参考になれば幸いです。

また、ここでは"Web系"という言葉を「Webサービスを、個人向け法人向け問わず、自分の会社の事業として提供している会社」として話をします。「Webの技術を提供して他の会社の事業のお手伝いをする会社」についてはは今回は話しません。

前提:ここで話すWeb系の会社がどんな会社か

詳細は伏せますが、時は201x年、コンプガチャ問題などでソシャゲバブルがいったんの転換期を迎え、パズドラが台頭するかしないかの頃。

スマートフォンを買うということも一般的になり始めて、Webを通じてサービスを提供するという空気がまた改めて世間で盛り上がり始めた頃でした。老舗サービスはとっくにいくつもありましたが、XXXマッチングサービスとか、キュレーションとかそういうのが流行るもう少し前の時期です。

X000万くらいの投資で、担当数名が飯を食っていけるか食っていけないかくらいの売上は上げていました。

障害が大金や人の命にかかわるようなサービスでもなく、数十万数百万ユーザーを抱えるサービスでもなかったため、僕がたまにTwitterなどで口を酸っぱくして言っている「Web系やるなら24時間365日突発的な仕事に備えなきゃいけないんだぞ!」っていうほどのことはなく「まあ明日対応するか」くらいの緩さでした。
※ 窓口をやっていた人は利用者様からの電話を常に受けていたのでその限りでもないですが、絶対に対応しないといけない時間帯は僕がやっていたサービスの性質上限られていましたので、ずっと安眠できないとかはなかったと思います。
※ 今は「意識低かったな」と感じています。その緩さで取りこぼしてしまった売り上げもあると思います。

僕が入社した時期の会社の状況となぜ入ることができたと思うか

当時の会社は、制作専業会社&開発専業会社に外注して作ったサービスを運営だけしているという体制でWeb事業をしていました。運営のみ自社、保守も運用も改修も外注となると、お金もかかるしスピード感もどうしても悪くなります(これは会社間取引である以上仕方のないこと)。

故に「よし、もうこれは内製化だ!」となり、エンジニアを雇用することとなった時に、ちょうど僕もその会社と出会いました。というかそこの事業のボスと知り合いでした。つまり完全なるコネ入社です。

コネ入社と内製化という、立ち上げに近いフェーズだったことの組み合わせが良かったんでしょうね。

これは推測ですが、何か新しいこと立ち上げるとき、誘う側は投資思考になるようです。維持より投資って思考になってると、採用においては、現時点のスキルシートよりも、「構築済みの信頼関係」とか「どれだけ事業にコミットしてくれるか」とか、そういうところを重要視する頭が働くようです。

お世話になった事業のボスが特にそういう人だったというのもあるかもしれません。信頼したからには責任をとるというか、絶対俺が信じたやつには俺が価値を出させてやる、というタイプのボスでした。見捨てない、といったら良いですかね。ちなみに超怖かったです。

余談:ほかにどんな状況の会社にどんな入り方が想定できるか

上記のようなたまたま「仲間探し」くらいのノリで入社できた場合を除き、エンジニア就業経験のない方を採用するとしたら、

・規模拡大や退職に伴う人手不足で、急ぎ採用をしたいケース
・すでに成熟したWebサービス(サイボウズさん、Yahoo!さん、カカクコムさんなど)で、継続的に新卒採用するケース

このあたりが考えられるかと思います。前者は、どうしても経験者が採用できないときの応急処置であると予想されますので、教育制度など整っておらず、「とってもキツイ」という推測が成り立ちます。後者は中途の他業種転職はその時点で門前払い…。

※ ちょっと気になって調べてみたらYahoo!さんは未経験者の中途採用やっているみたいですね。

最初はひたすらにPHPerとして修業し続けた

閑話休題

入社した時、僕のほかにはLAMP一筋この道5年の中堅エンジニアが同僚としていました。というか僕と同時に入社しました。

歳もほぼ同じでしたし、中途ながら同期というやつに当たると思うのですが、かたやWebに関する技術の経験がほぼない僕、かたや中堅PHPエンジニア。ビハインドすごかったです。僕がわからんわからんと一日中悩んでるだけの改修を1時間とかそこらでパパっと片付けてく同僚って構図でしたから。

そんな中、最初はとにかくPHPerとして追いつけ追いつけという意識で仕事してました。自分でも考えて、同僚に質問もして、そして自分でも考えて。その繰り返しです。なんでこうすればいいのか、の理解はサボらないようにしたつもりです。

また、「これ、ほんとにやれるかな」と尻込みして手を挙げないとか、「よくわからない仕事だから僕の範囲じゃないな」とかってに限界を定めるとか、そういうことはしないようにしていました。

「何かやることありますか」で、駆け出しに任せられるタスクなんてハッキリ言ってありません。

それはわかってたから「それやるんでやり方教えてください」の姿勢でいました。

そんなこんなで半年か1年くらいたったと思います。とりあえず、機能改修くらいであれば、自分で改修個所を調査し、コードを書き換え、動作を確認し、リリースするくらいのことを、同僚の1/3くらいのスピードでできるようにはなりました。

独自の価値を出すことを意識し始めた

取りあえずドシロウトは卒業したわけですが、気づいてしまったわけですよ。このままじゃ同僚の劣化版だと。

僕がキャッチアップしてる間、同僚もレベルアップするわけですから当たり前です。

だから今ならスタートラインは同僚と同じという分野を意識し始めました。サービスのアプリ版出すぞとなったらAndroid僕がやります!って言ったり、広告打つぞとなったら、リスティング僕がやります!って言ったり。

素人が無茶したと我ながら思いますが、おかげさまで、「未知の仕事」の始め方とか、やると言ってやり切るクソ度胸とかそういうの身につきました。この何年もあとに年収がグリグリ上がる時期が来るのだけれど、その原点はこの時期の働き方にあったのだと思います。

数字も意識していた

これは僕だけではなくて同僚もですが、事業の売り上げや経費などはすべてボスから共有されていました。なんならこれ見ながら会議とかもしてました。

ボスの意図として、プログラマーを誘ったつもりはなくて、事業をやってく仲間として、技術に明るい、もしくはその素質のあると見込んだ人間を誘ったってことなんだと思います。後半手前味噌です。

なので、いい意味でそういう方向に洗脳されていったし、その後Webサービス運営以外の領域でエンジニアやる際にも、大いに活きてる自信はあります。

例えば僕の現弊社での評価は、有能無能とかじゃなく「今までいなかったタイプ」だそうです。今まで会社としてやれてなかったことができる人という自信もあります。その辺も、サービス運営に初期から関われてよかった点ですね。

まとめ

僕がやってきた中で僕なりに「ここがよかったのかな」というポイントをまとめると、

・しがらみはむしろ積極的に作っていけ。そしてスジをお互い通せ。
・最初は周りのつよいエンジニアのマネをひたすらにしろ。
・ズブの素人から初級者くらいになったら、社内でだれもやっていないことで価値を出せ。
・事業の数字は意識しろ。

こんなところでしょうか。

おわりに

僕もかつては、Web系をさも地上の楽園かの如く喧伝する言説がどうにも苦手で、対抗言論として「Web系のしんどいところ、現実」をTwitterで発信したりしてきました。

でも、やっぱり、Webサービスというものにあこがれて目指す人の足を引っ張る意図はないわけで、「こうやって頑張ってみなよ」と応援するつもりでここまでお話ししました。

諸般の事情により、この時携わっていたWebサービス達は2年ほどで僕の手を離れ、そしてさらに2年ほどでサービスも終了します。

しんどいこともたくさんありました。でも後悔はしてないし、その後の人生の転機ともなる濃ゆーーい2年だったと思います。本気でこういうことやってみたいと思うのであれば応援くらいはしたいですし、手の届く範囲であれば手助けもできればと思います。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。また、当時の同僚、ボスにも、Webドシロウトの僕にここまで付き合っていただき、この場を借りて感謝したいと思います。

Twitterもやってます。こちらでも絡んでいただけると嬉しいです。


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