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正直チバユウスケのことなんてそんな知らねえけど、客のことはなんとなくわかるよ。

チバユウスケの献花式に行ってきた。
私は正直チバユウスケのことをよくわかっていない。
チケットが取れなかった人には申し訳ないと思いつつ、それでも行ってきた。

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チバユウスケは、私の中でロックの心を根付かせてくれた人で、初めて見た時、テンプレのような感想だけど「うわぁ…すごいかっこいいな」と思った。
本当にそのくらいの温度で、でも、それでもこれが最後なのだとしたら、行かなくてはならない行事なんだと思った。

そもそもチバユウスケ、というより、ミッシェルガンエレファントとThe Birthdayを知ったきっかけは、大学時代のコピーバンドで後輩が演奏していたことから。
黒いシャツにグレッチを持って、しゃがれた声とライブパフォーマンスがとてもかっこよくて、すでにコピバンでここまでのかっこよさが出ているのに、本家本元はどれだけやばいのよって思っていた。

そのコピバンの「さよなら最終兵器」が本当にかっこよくて、「ヴィーナス!」の迫力が耳から消えず。「あ〜これが本当のロックでこれがライブなのかもしれないな」と思った。
それ以降、ミッシェルもThe Birthdayも聴くようになり(ROSSOはこれから聴いていく)、音源だけでもわかる、音楽の情熱というか、心が躍るようなアップテンポでファジーな曲たちに魅了された。

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時が経ち、20代半ばになると、たくさんのフェスに行きだし、そこで初めてThe Birthdayを観る。
やっぱり音源よりも圧倒的にライブの方がいい。チバユウスケの歌う時の角ばった横顔、アゴが大きく開く時の表情、ライブが終わった後にスンとする瞬間。そのギターボーカルを支えるように、太いベースと重厚なドラムと、歪みの効きまくったリードギター。カラフルな世界なのに、モノクロが似合うように感じる、渋くてエロい最高のライブだと思った。

また観たいと思った。これは私が生きていく中で、ある種の教養として定期的に観るべきライブなんだと。

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2023年の4月ごろ、大阪・泉大津の「OTODAMA」でフィッシュマンズのゲストが発表された。
UA、原田郁子という安定のメンバーに加えて、チバユウスケの名前があがる。UAもクラムボンも大好きで、こんなコラボはなかなか見ることができない。
「これはどうしたもんかなぁ、ARABAKIも行くし、さすがに行きすぎか?」と悩んでいる時、SNSで突如通知されたチバユウスケのガンの発表。唖然。

いつでも観れるライブなんてないんだなぁと思うとともに、そんなすぐくたばる魂じゃねえよなと思ってた。思ってたんだよ…。

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そんなミーハーも甚だしいような私だけど献花式にはちゃっかり行ってしまった。
前日に会社でこの話をしたら、「ミッシェルが解散した時っていくつよ?そんな知らないでしょ?」と同僚に言われて、確かにファンと呼ぶには薄っぺらいよなぁと思った。その言葉であんまり気乗りがしなくなったというか、他に行きたい人もいただろうになぁという気持ちになった。

でも取ってしまったチケットは元に戻らないので行ってきた。
革ジャン率の高さ、黒いツバ広のハットと黒いブーツを履いたチバユウスケを彷彿とさせるようなファン。それ以外にも見るからにチバユウスケファンだなぁと思う人がたくさんいる。私のベージュのトレンチコートがまじで浮く。
「これはサラッと献花してすぐ帰ろう」と思った。

Zepp DiverCity Tokyo。ライブを観に何度も行ったことがある。
ライブ中は薄暗いこのホールも今日はライブ後のように照明がついていて明るく違和感を覚える。ディズニーランドのように仕切りがたくさんあって、それに沿って順に並びながら前に進んでいく。
目の前のステージには、訃報時に使われた手を高く上げているチバユウスケの写真。そこに並ぶ16本のキャンドル。そしてその目の前には献花台。

入った瞬間は、The Birthdayの「GHOST MONKEY」が流れる。
しっかりPAが入っているので、ライブと同じような音圧で流れる。

こんなにも自分の番が来るなと思ってしまうこともない。
ミーハーなくせにしっかり悲しい気持ちになって、チバユウスケが死んだ現実がここにあるんだと実感する。

献花台目前になると、泣いているファンがたくさんいる。
革ジャンを着たおじさんも、一筋の涙を流している。ハンカチ絞れるんじゃないの?ってくらい泣いている人もいる。

私の番になる。手には一輪の花。横に長い献花台。赤、黄、白、ピンクなど、献花にしては鮮やかすぎる花たちがズラーッとそこに並ぶ。
14時過ぎのこの時間にも関わらず、これだけたくさんの花が並ぶ。まるでライブ中にふと我に返って観客の方を見た時のように、この人ってこんなにファンがいるんだと思い知る。

みんな手を合わせている。私も手を合わせるけれど、何だろう、何も思えなくて。
ロックを教えてくれてありがとうとか、まじでエロくてかっこいい人だとか、そんなこと思いたかったのに、何も思えなかった。
それよりも今を生きているファンたちが故人を偲んでいる様子に胸を打たれてしまって。

次はThe Birthdayの「誰かが」が流れる。
献花が終わると、また仕切りに沿いながら退路を歩いていく。その時に次の献花をする来場者とすれ違う。みんな泣きながら「誰かが泣いてたら、抱きしめよう、それだけでいい」と小さく口ずさんでいる。
もうそれが…私にとっては涙の出る理由になってしまって…。

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誰かが死ぬ瞬間って結構あっけないものなんだけど、その誰かが誰かに想われていることを知る時に私は心が痛くなるし涙が出る。
みんな生きてるんだなぁ、生きてくんだなぁ。これからもチバユウスケが生きて愛された分だけ、精一杯。

私はミッシェルのコピバンとか、ワンマンにも行かずフェスだけとか、本当正しくチバユウスケとそのバンドを愛することができなかったかもしれないけれど、こういう温かい空間に少しだけいることができたことを嬉しく思った。

(写真:ARABAKI ROCK FEST. 2023)

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