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コンサルタントの理想像

エドワード・タウンゼントさんってご存知ですか?

ボクシングトレーナーをされてた方で、エディという愛称で親しまれてるのですが、ぼくは彼の思想がとても大好きなんですね。

いや、大好きというよりも、ぼくの経営コンサルタントとしての立ち振る舞い方は、完全にエディから影響を受けちゃってるんです。

エディはかなり凄腕のボクシングトレーナーでして、今80人近くいる歴代チャンピオンのうち6人はエディが育てたと言われています。その中には日本人も含まれていて、ガッツ石松さんとか井岡弘樹さんも、エディに育てられたボクサーなんですね。

そのエディなんですが、彼独特の思想として「負けたボクサーの味方」というのがあります。

1967年、エディは世界チャンピオンを誕生させたことで、一気にトレーナーとして注目を浴びるようになります。その流れで、ちょくちょく来日(普段はハワイ住まい)して、ボクサーに指導するようになっていったのですが、ある日、竹刀でシゴいてトレーニングをする姿を目撃します。

ボクサーを竹刀でシゴいて、発破をかけつつトレーニングをするスタイルは、当時の日本では当たり前とされていた指導方法でした。むしろ、「そうする以外にどんな指導法があるというんだ?」というレベルで、日本ボクシング界に染み付いていたトレーニング法だったんですね。

ですが、エディはその姿を見て真っ向的に否定します。

「アレ(竹刀)捨ててよ。アレあったら僕教えないよ! 牛や馬みたいに叩かなくてもいいの! 言いたいこと言えば分かるんだよ!?」

wikipediaからの引用なんですが、当時じゃ珍しい「信念」や「愛情」で選手を包むスタイルを貫いていたのです。

そんなエディの人柄を示すエピソードは、他にもたくさんあります。

勝てる可能性がないと判断すると、タオルを投入するのは誰よりも早かったと言われている。「ボクシング辞めたアトの人生の方が長いのヨ。誰がそのボクサーの面倒ヲ見てくれるの?無事に家に帰シテあげるのもワタシの仕事ネ」
「勝った時には友達おおぜいイッパイ出来るからワタシいなくてもいいの。誰が負けたボクサー励ますの?ワタシ負けたボクサーの味方ネ」と言い、勝ったボクサーの祝賀会には一切参加せず、負けた選手にはずっと付いて励ました。
とある会場でほかのジムの指導者が指導不足を棚に上げて(そのボクサーは懐に入るという技術を指導されていなかった)、試合に負けたボクサーを制裁していたことに見かねて指導者を叩き出すなど、指導では根性論を否定した、厳格ながらもわかりやすく合理的なアメリカ流の指導を徹底した。

全て、wikipediaから引用させていただいたエピソードなんですが、これらを見るだけで、いかにエディが選手を一人の人として向き合っていたかがよく伝わってきます。

こういうエピソードをみると、本当につくづく思うんですが、『経営コンサルタント』というとなんか響きも良いし、どこかスタイリッシュ・スマートなイメージを持たれやすいです。ですが、やってることは結局『人のふんどしを借りて相撲をとっているだけ』なんですよね。

どれだけ輝かしく見えようとも、それが真実なんです。

で、そんな『コンサルタント』という響きに憧れて独立する人も多いんですが、そのほとんどは独立してもあんまり上手くいかず、すでに輝いている企業になんとか取りつくろうと必死になっているだけだったりします。

まぁ、それが別に悪いって言うつもりはないんですが、ちょっと『自分がなさすぎる』印象も受けちゃったりするんですよね。

「いや、あんた何で独立したんだよ」って、ついつい心の中で突っ込んじゃったりするんです。

楽をしたい、自由になりたいから独立したって初期衝動も、大いに結構です。なんですが、「ただ自分が生きたいだけなのか」それとも「本当に企業の支えになっていきたいのか」この価値観・信念をしっかり持っていないと、いつまでたっても2流・3流のままじゃないんかな?って思います。

ぼくも世間から見ると、かなり無名の弱小コンサルタントです。

ですが、しっかりと責任を持って企業と向き合うこと、そして、辛辣な環境に身を置かれている企業や逆境に立たされている経営者にこそ、しっかりと手を差し伸べていきたい。

おこがましいのは重々承知してますが、こればかりは譲れない部分でもあります。

田辺輝恭

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。