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人の本性は言葉の選定から見えることもある

ちょっと告白しちゃうんですが、、、

ぼくは『言霊』の存在とその影響力を信じています。

こういう系の話は、人によって受容の差がというものがありますので、ぼくの価値観を押し付けるつもりは毛頭ありません。ですが、日本には古来より、言葉には魂が宿ると言われ続けていました。

声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与える。つまりいい言葉を使うといいことが起こって、不吉な言葉を使うと凶事が起こるということですね。

こういう考えのことを『言霊』といいます。簡単に言うと。

それに新元号を決める参考元となった万葉集。そこにも日本のことを『言霊の幸はふ国』と表現している一文(ちょいマニアックなことを言っちゃうと柿本人麻呂の歌の一部)があります。まあ、それだけ昔から言霊という考えは尊重されてきたということですね。

それに言葉には魂が宿るという考え方は、日本特有のものというワケでもありません。

聖書の中にも『はじめに言葉ありき』という表現がされています。言ってしまうと言葉=神という図式を真意としているということですね。

こういった背景情報や歴史があるからというワケじゃないんですが、ぼくは使う言葉をあえて選択するように心がけています。(いい言葉でも悪い言葉でも)

例えばなんですが、ぼくは商売をしている身でありながらお客のことを『お客様』と表現したことはありません。

なぜなら、様にはへりくだるという意味合いが含まれているからです。

それの何が悪いのかというと、ぼくは商品を売る側と買う側は対等な立場だと思っています。つまり、売る側は自信を持って価値を提供する、買う側はその価値を受け入れて対価として金銭を提供する。このように、お互い均等な立場であると思っています。

確かに”様”を使うと、丁寧な対応や誠実な態度をしているような印象を得ることができます。ですが、相手に失礼がないように呼称するのが目的なのであれば”さん”でも十分なワケです。

つまり、必要以上に自分自身や会社を下げる必要はないということです。

それによく、妬みやグチを口からダラダラ出し切った後で、「あ、こんなこと言ってたら現実になっちゃう。やめとこやめとこ。」という人がいます。こういうのも知ってか知らずか言霊を意識した発言のひとつなんでしょうが、本当に気を配るべきは、日々つかう単語ひとつひとつなんですね。

食事にしても「メシ」と呼ぶか「ご飯」と呼ぶか「食いモン」と呼ぶかで、食料に対する姿勢や価値観が現れてきます。

「組織の末端まで」と表現するか「すべての仲間」と表現するかによって、その人の本性が見え隠れしてきます。

かなり細かい話になっちゃうんですが、多くの人は「なぜその単語を選んで使ったのか?」という部分まで考えず、何となく使い慣れてるし言いやすいからといった理由で、言葉を選択しています。

ちょっと気になる言葉があったら、「なぜその言葉を選んだのか?」といった背景情報やその人の哲学まで、しっかりと聞き入れていきたいですね。

もちろんぼく自身も「言霊を意識している」と言いながらも、あまりにも思慮に足りない言葉を使う人に対して、つい怒りの感情が湧いたりしてしまいます。(そして後先考えずに怒鳴ってしまうと、、、苦笑)

言霊を大切にしながらも、その価値観を人には押し付けない。心のバランスを整えていきたいものです。

ありがとうございました。

田辺輝恭

【田辺輝恭のミッション】 「個々の覚醒と偉大なる繁栄」 ”攻めの経営道+守りの保全道” この2つの融合により、小さくとも偉大な起業家・経営者の誕生を 人生をかけて支援することを使命とする。