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自分を束縛するものは何?

あなたは自分の選んだ人生を歩んでいますか?それともたまたま与えられた人生を生きていますか?

あなたは「しなければならない」ことを、いつもやっていますか?それとも「したい」ことをやっていますか?

あなたは毎日ストレスを感じていますか?それとも平安を味わっていますか?

もし、自分の望んでいない生活を送っているのなら、それは「記憶」がジャマをしているのかもしれません。

・〇〇をしたらXXになるだろう
・昔こんな結果になったから、今回もあまりいいことにはならないだろう
・やってみたいけど失敗した人もいるらしいからな

多くの人はこのように学習を繰り返して、少しずつ着実に賢くなっていきます。そして、出来るだけ痛い目を見ずに済むように、被害を被らないように対処できるようになってきます。

けど一方で、現状をなんとかしたい・変えていきたいという、「成長」の意欲も抱えています。ではなぜ、「変えていきたいな。でもな、、、」といった葛藤が生まれてしまうのでしょうか?

それは映画を見ればわかりやすいです。

映画は、一見スクリーンの中で人が動いているように見えますが、実はこれは静止画の集合体なんですね。つまり、パラパラ漫画のように、1枚絵を何枚も連続してめくっているだけということです。今の映画では24FPS(フレーム/セカンド)、つまり1秒間に24コマの静止画を連続して表示させています。これによって ぼくたちは動いている動画に見えてるんですね。

じゃあ、なんでこの断続的な情報がひとつの継続したイメージに見えるんでしょうか?

その答えは「記憶」なんですね。

記憶によって前の静止画情報を覚えているから、次の静止画を受け取った時に情報をリンクさせて、意味づけをさせているんです。ちょっとスケールの大きな話になるんですが、これは量子力学でも同じことが言えます。

地球上にある全てのモノは、原子構成要素レベルで話すと、エネルギーの振動によって出来上がっているとされています。

音も光も物質も脳からのシグナルも、全てエネルギーの振動とされています。なので現代物理学の最終的結論は、物的世界は物的なものではないと言われています。

全ては1つの断続されたエネルギーを連続して受け取ることで、継続された情報として認識しているだけなんですね。

つまりは、世の中の出来事すべても、断続したエネルギーを一つずつ受け取って、それを継続された情報として、ぼくたちが勝手に動画として意味付けしているだけということなんです。

全ては静止画の集合体。

その静止画と静止画の間の出来事に、ぼくたちは勝手に意味を作っているだけなんですね。

となると、あなたがAという出来事で湧き上がるBという感情に対して、「なんでそれが出てきてるのか?」と深掘りしていく必要が出てきます。

そうです。

今までの経験の蓄積から勝手に生み出される「直感」にも、注意を払ってもいいかもしれません。そしてその感情に対して直感ではなく、論理的に対処できるようになると、またひとつ成長できるかもしれませんね。

ありがとうございました!

【田辺輝恭のミッション】 「個々の覚醒と偉大なる繁栄」 ”攻めの経営道+守りの保全道” この2つの融合により、小さくとも偉大な起業家・経営者の誕生を 人生をかけて支援することを使命とする。