「自分の母に母という役目から離れた時間や側面があったら」を子供の立場から見たら

「母親になったのに365日24時間、一生死ぬまで母親として生きないなんて子供がかわいそう」とかいう無自覚バブちゃんがよくいるけど子供だったことないのかな?
もしくは一生ベビーベッドの中で生きて死にたい母親依存の分離不安段階から成長できない深刻なネオテニー病なのかな?

「私の人生は100%24時間、心の隅から隅まで、
おまえの母親であることに奉仕した人生よ」とかいう母親に一生まとわりつかれてみろ、病むぞ。

無自覚にそういう呪いに病みながら生きてる人間も多くて困る。
母親を背負ったら(子供のために奉仕しすぎた人生だったので)軽すぎて泣いてしまって三歩も歩けなかったーという歌を石川啄木が残したが、あれを岸田秀は「母親というおんぶおばけ」と称したと記憶している。

「自分の母親じゃない、それとはまったく関係ない自立した社会人、個人、人間としての彼女の側面」が見れたら、かつて子供だった自分のわずかな思い出からも、それは新鮮で、それがなにかのプロや面白い趣味とかの側面だったらカッコいいと歓迎するね。
主観でも、事実ひとりの子供の意見として。

ママに褒められなきゃなんもやる気がしない幼稚園児でもなきゃ、そこから少しでも成長して自我が芽生えてたら、母親が多少自分のことよりそっちに時間や気をとられててもなんも思わん。
むしろ「おまえの成長と母親たる自分の点数であるおまえの出来上がりだけが私の関心のすべて、私はいい母親」とプレッシャーをかけられるほうがよほど毒になる。

ひとりの一番身近にいる社会人として、どう社会と向き合っている人間7日を見せてくれるほうがカッコいい。

「個」を我慢してまで子供への奉仕に労力を使った親は
必ず子供にも「その分の孝行、見返り」を求めずにはいられなくなる。
それをも禁じられているなら必ず病む。おかしくなる。人間だからな。
その結果ケースによってはもともとは普通だったのに我が子を悲惨な結果にしてしまう母親、もそりゃ出てしまうだろうさ。

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