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ブス人生のはじまりはモーニング娘。のオーディションだった

~山崎ナオコーラ著『ブスの自信の持ち方』に寄せて~

私が生まれてはじめて人から面と向かってブスといわれたのは9歳のときだった。
モーニング娘。新メンバーオーディションの告知がASAYANでなされた翌日、授業を終え公園に集まった女子たちはもっぱらその話題でもちきり。1997年の日本列島どこにでもあるありきたりな放課後の風景だ。
歌うことが好きな私に友達のひとりが「歌が上手なんだからオーディション受けなよ!」と言ってくれた、瞬間。間髪入れずにもう一人の友達が「無理だよ、だってこの子はブスだもん」世界は一瞬制止し、そしてぐるりと向きを変えて動き出した。
おおお・・・もしかしたらそうかなそうかなって薄々思ってはいたけど、他人から見てもそうだったかー!!
自分の人生のレールが「普通」から「ブス」の方にポイント切り替えされた瞬間だった。
了解!これからは私、そっちの人生歩みます!(敬礼)ブスという名の、電車に乗って…

そう決めると、私の振る舞いや言動は「ブスだから」にすべて紐づけられるようになった。
元々明るく大雑把だったけど、ますますそれに磨きがかかった。
ブスだから男子にぞんざいに扱われるのだと思っていたし、ブスだから乱暴な振る舞いをしたっていいだろうと横柄な態度をとった。すべては「ブス」が窓口だった。
(実際は生意気だったからぞんざいに扱われた、という、そんな当たり前体操な物語だったんだろうけど)
私は私のことをブスと言った女友達のことがそれでも好きで、私が三枚目ブスとして存在していることに彼女が満足そうだったから、なぜか安心した記憶がある。

中学で女子校に進み、私をブスだとからかう子はいなくなったけど、今度は自分の方が味を占めて、率先して「ブスの私」の主語をひっさげた。お笑い芸人のまねごとをし、前髪を短くし、奇抜なメガネをかけ、ブスをデフォルメした。
女の子らしいものは持たないし、色恋にも興味がない、90年代の女芸人みたいなキャラクターで居場所を確保した。
みんなが笑ってくれることに、やっぱりずっとほっとしていた。
「ブスってらくちーーん」と思った。自分の方からブスだと言えば、傷つかないで済む。人気者じゃないことも、彼氏がいないことも、理由がつく。

「彼氏なんていらないよ、だってあたしブスだもん!」

共学の大学に入りいよいよ逃げ道がなくなり、ちょっとずつ「ブス」の隠れ蓑を捨てる努力をせざるを得なくなった。というか、6年ぶりに接した男子たちは、人に対してはやっぱり陰でブスのだの美人だの言ってるくせに、自分から「あたしブスだからぁ」っていう女の子をさほど歓迎しなかった。(あれはなんなのだろう?)

ブスを脱ぎ捨てる。それはほんとーーーーーに過酷で大変な修行だった。
「ブス」という言葉を人から浴びせられる、それは、バシャッとバケツで水をかけられるような速乾性のある感じとは違う。無数のトゲの中に放り込まれたような感じに近い。小さなたくさんの「ブス」のトゲは簡単には抜けなくて、1本1本、注意深く取り除いていかなければならない。
だから時間がかかった。正直、31歳の今でもまだまだ、私の体内には「ブスな自分」の破片は残っている。

ブスだと言われたあの日から、髪を切ろうと痩せようと、何かがうまくいかなくなればすぐに「だって私、ブスだもんね」の元へ帰るようになってしまった。ブスという言葉はやさしいぞぉ、ぜーーんぶの言い訳になるからな。努力もなんもかんも全部水の泡にしてくれっぞ。
世間はブスに厳しいとかよく言うけど、私は逆だと思う。自分をブスだと公言しつづけた半生ずっと、こんなにも「ブス」のキラーワードひとつで、思考停止し、諦めることができたんだから。これは「バカ」にも「アホ」にもない、すごい効力だよ。

山崎ナオコーラさんの最新著『ブスの自信の持ち方』を読んだ。彼女がはじめて「ブス」と言われた時のエピソードからエッセイははじまっている。
ナオコーラさんの場合は、小説で賞を獲り脚光を浴びた後、本意では無い近影が世に広く出回ってしまったことで「ブスとしての人生」がスタートしている。
その後の孤独な戦いや、ブスと言われるきっかけとなった新聞社の仕事ぶりに対する考察などが綴られながらも、多くの美醜に関する本と決定的に違うのは、「ブスだと思うあなたの心を変えよう!」という自分への矢印ではなく「世の中を変えよう」という提言がなされている点だと思う。

「ブスは個人に属する悩みではなく、社会の歪みだ」

もしもこの言葉に私が9歳で出会っていたら、全く違う人生が待っていたと思う。
もしも義務教育でそれを教え込まれていたら、仮に自分が「ブス」をしょった人生の方に行かずしても、他者を傷つけることもないはずだ。

面白いものに手を叩いて笑ったり、美味しいものを食べてうっとりするひととき、そういった当たり前の毎日に、ある日突然「ブスが」という枕がつく。しかも、その後の人生通してその「ブスが」は、何か起きない限り自分の中でとれることはない。そうだな、何か、ってのは例えば、納得のいく容姿になるための努力かもしれないし、「きみは素晴らしい」といってくれるパートナーとの出会いかもしれないし、いろいろだけど。そこまで、そう、そこまでしないとだめなんだって、ずっとずっと思ってた。
でもまさか「社会を変える」という選択肢があったなんて。

私なりの「ブスの自信の持ち方」それは、徹底的に自分をブスだと思わないマインドコントロールだった。こっそり、写りの良い自分の写真のフォルダを作って時々眺めるとか、もう、いくらでも笑ってちょうだいって感じの小さな小さな積み重ねと、できる限りのブスマインドの封印が、私のしてきた努力だ。

それゆえ最近は、以前よりもブスについて考えなくなってきた。世間でも様々なルッキズム関連のSNS上の炎上などを受け、容姿については良いとも悪いとも議論しないという考えを持つ人も一定数出てきている。
(議論せず、蓋をしていくその感じ、ほんとはじつに日本っぽいのかもしれない)
でも、ナオコーラさんの向き合いは全く違った。多角的に、「ブス」を考察し、「ブス」を通して社会をじっと見つめ、言葉にし続けていた。

あぁこれは、簡単に自分の中で終わったことにしていいテーマなんかじゃない。こんなにも自分の人生を狂わせ、時に鼓舞し、甘やかし、寄り添ってきたブスなるものと、そう簡単に決別なんてしてはならぬ。
はっきり言って、ブスだったことを毎日悩んでいたあの頃に戻るのはこりごり。
でも待って、ブスを悩んでいた日のこと「あの頃」って言えてるじゃんアンタ!すごいよ、大進歩だよ。
じゃあ次にすべきはなんだろう?
社会を変えることじゃないか。

ちなみにこの本のあとがきが記された日付は、私の31歳の誕生日だった。鳥肌がたった。
心の準備は完璧だ。

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山崎ナオコーラさんは『人のセックスを笑うな』が我々アラサ-世代のバイブルだったりするわけだけど、私は『ジューシーってなんですか?』が大好き。テレビ欄を作る職場の男女のお仕事小説です。その会話の繊細なつむぎと淡々としたストーリーの運びが、心にとても染みこんで「ジューシーってなんですか?」のセリフに笑い転げ無意識に涙していました。
そういや当時テレビ誌を作ってる男の人のことが好きだったんだよなー。その人のことも「どうせ私はブスだから」って、告白しないで諦めました!懐かしい!

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