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知識を深める、とは

知識を深める。

簡単に言うが、いまひとつピンとこないワードではあった。
でも、今日そのことについてピンとくる説明にあった。

解像度を上げる

1つには「解像度を上げる」ということ。
何らかのテーマについて、どれほど解像度高く理解できているかということ。

どういう状態が解像度が高いかと言えば、特定のテーマを提示されたとき、そのことについて、どれだけ長い時間、さまざまな角度から語り続けられるか?ということだろう。

確かに、それならピンとくる。
僕も1時間でも2時間でもずっと語り続けられるテーマがある。
なんなら8時間くらい、喋り続けられそうなこともある気もする。

そして、それらのテーマに関する知識は確かに深い。そう、感じる。

関連づけを行う

もう1つは、学んだことをどれだけ自分の中のさまざまな知識と関連づけを行えているかどうか。
複数の知識との関連づけの数が多くなればなるほど、理解は深まったと言ってよい。

その連関を増やしていく思考が新たな学びを自分のものとしていく。
だから、ただ本を読むだけでは足りない。本で得た新しい知識を自分がすでに持っていた知識と結びつけて、さまざまな解釈を生成する編集的な思考を経て、はじめて本で読んだ知識は自分のなかに深く入り込む。

そうした連関を得た知識は、さらに他の知識との結合を生みやすい。
イノベーションを新結合と呼んだのは経済学者のシュンペーターだが、ようするに新たな結合を埋めるかどうかも、どれほどの知識を自分のなかで深められているか?ということ次第なのだろう。

発想法やワークショップ・メソッド以前に

深い知識があればこそ、新しい発想は得やすいということだろう。

世の中に発想法など数あれど、ようは深い知識に裏打ちされていれば、そんなメソドロジー的なものはとても敵わない。ワークショップやファシリテーションのメソッドも同様だ。

深いレベルの知の連関が形成されていなければ、発想の広がりを期待するのはむずかしい。それは数多くのそうした場を設計、ファシリテートした経験からも実感として感じられることだ。

発想方やワークショップメソッドの前に各自がしっかり知識を深めて臨むことが大切だということだろう。

研究による積み重ね

そして、そうした積み重ねが個人レベルではなく、アカデミーという領域において通じて蓄積することが、研究を行う1つの意義なのだろう。

知識の蓄積を自分だけが行なっている、このアイデアは自分だけが思いついたものだ、などという思い上がりは恥ずかしい。
たいていのものは過去に誰かが似たような研究をしていたりするものだ。その時とは状況が違うから適用先がすこし変わってそれが新しいアイデアに思えたりするのだろうが、それが過去に何度も先人たちが思考してきたことと変わらないなんてことは往々にしてある。

それが研究というものの厚みであり、僕らのように在野にいるものはその厚みのある知を知らないがゆえに、薄っぺらな思いつきで天狗になったりするのだろう。

あらためて、知識を深めるという姿勢の大事さを感じた。

と同時に、在野の者でよいので、研究者的な努力をしようとあらためて思えた。


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