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人間の根源的なあり方

人間の根源的なあり方。

ティールは言う、17世紀後半以降、つまり啓蒙の時代以降、西洋はヒューマニズムという普遍的かつ偽善的な価値観のもと人間の根源的なあり方を覆い隠してきた。その根源的なあり方とは、人間に潜在する暴力性と悪徳である。

木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』に、そう書かれている。
ここでいうティールが誰かといえば、ペイパル創業者にして、Youtubeをはじめ、LinkedIn、Airbnb、 Space X、 Tesla Motorsといった錚々たる企業への投資を行う投資家であり、トランプ支援者でもあるピーター・ティールである。
ティールは啓蒙が自由・平等に・博愛の精神などで抑圧したつもりのものがいま溢れだし表面化しているのが現在だと考えている。確かに、無理矢理覆い隠そうとすれば、いずれ堤防は決壊して抑えこんでいたものが一気に噴き出すのが世の道理ではある。

だが、そこで噴き出してくるものは、果たして「根源的なあり方」としての悪徳や暴力なのだろうか?と思う。
悪徳や暴力的なものが表面化しているのは確かにそうだとして、それは本当に根源的なあり方なのだろうか?と。

イタリア・ルネサンス社会の暴力性

確かに、ティールが言うように、ヨーロッパの歴史をみても、啓蒙の時代以前、暴力や悪徳はいまとは比べられないくらい、人間社会にデフォルトのものとして存在していたかのように思える証拠がある。

たとえば、いま読んでいる19世紀ドイツの歴史家ヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』には、小さな専制君主国家が群雄割拠していた、14-15世紀のルネサンス期のイタリアの状況が描かれているのだが、これを読むと「暴力性と悪徳」が本当に人間の根源的なあり方ではないかとさえ思えてくる。

それまで半島全土を支配していた教皇権力が弱まったため、当時のイタリアは小さな専制君主国家がひしめき合い、それぞれ自身の存続のために自分たちより弱小な隣国を暴力的に併呑しようと常に画策していたという。

これらのような政治的体制は、内面的な理由から、その領域が大きければちょうどそれだけ持ちがよいので、いくらかでも強力な専制君主は、つねにより小さいものを併呑する気になっていた。

暴力性や悪徳は、隣接する外部からの脅威として作用するだけではなかった。国の内部においても、相続や権力争いを巡ってさまざまな抗争、奸計が繰り広げられた。しかも、その暴力性や悪徳に満ちた策略の対象は他人同士だけではなく、血の繋がった家族同士においてすら、及んだのだ。
ブルクハルトはこう書く。

この外部からの危険には、ほとんどつねに内部の擾乱が呼応した。そしてこの状態が君主に及ぼす反作用は、たいていの場合、非常に破壊的なものでなければならなかった。一方からは偽りの全能、享楽とあらゆる種類の我欲への誘いが、また他の一方からは仇敵と謀反人とが、このような君主を、ほとんどいやおうなしに悪い意味の専制君主にした。せめて自分のごく近い肉親の者だけでも、信頼できたなら!

敵は外にいるだけでなく、身内にいる。「最悪の事柄は、わりに小さな支配者やごく小さな支配者において、もっとも多く積み重ねられた」のだといい、「その場合、家族の一人一人がだれもかも、地位相当に生活しようとする多人数の家系にとっては、相続争いはあたりまえのことだった」のだという。
家族が互いに毒を盛り、罠にかけようとする。イタリア・ルネサンスというどことなく華やかそうな印象もあるが、実は、暴力性と悪徳が日常的にあった時代なのである。

残忍な笑い

このイタリア・ルネサンス期の暴力性と悪徳を伝えるのは、ブルクハルトだけではない。
同時期の美術を論じたポール・バロルスキーの『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』にもこんな記述が見られる。

レオ10世を自作の喜劇で楽しませることのできなかった修道士が、鞭打たれたあげくに皆が縁をもった毛布で空中に放りあげられたという話にしても、この惨劇を見ていた教皇やその取り巻きが死ぬほど笑ったと聞かされても、われわれ自身は楽しむ気になれない。「われわれは醜く歪んだ者どもを見て笑うのです」と、ルネサンス詩人はキケロやインティリアヌスに倣って述べているわけだが、レオナルドの素描に見られる畸型の人物たちが笑いを誘う目論見から描かれたのだとは、われわれ現代人にはどうしても信じられない。

喜劇が面白くなかったからといって、その作者である修道士を毛布にくるんで放り投げるなんてことがあるのも驚きだが、その様子を笑いながら見ているのが教皇とそのまわりの人びとだというのも現代人の感覚だと信じられない。

引用の後半の畸形の人物を笑うということにしても同様だろう。ローマのパンテオンの前のこんな噴水の彫刻が当時のその感覚を表しているように思う。

さらにこんな例も紹介される。

ホイジンガは『中世の秋』で、15世紀初めのパリで行われていたさる「気晴らし」の残忍なユーモアについて語っている。それは、4人の盲人が棍棒を持ち、賞品である1匹の子豚を殺そうとして、人同士互いに殴りあうというものであった。彼等は闘いのまえに行われたパレードで、「全員、豚の描かれた大きな旗を前に持ち、太鼓叩きに先導されて」歩くその姿ですでに人々の笑いものにされていたことは疑いない。

こんなことが普通に行われていたこと自体、にわかには信じがたいことだろう。それほど、当時の人びとの感覚は僕らからかけ離れている。

金銀の皿を側に放り投げて笑う

ローマを流れるテヴェレ川のほとり、ラファエロが描いたフレスコ画「ガラティアの勝利」ほか、さまざまな芸術作品に彩られたヴィッラ・ファルネジーナがある。

このヴィッラはファルネーゼ家に渡る前、銀行家のアゴスティーノ・キージの別荘キージ邸だった。そのキージがこのヴィッラで繰り広げた行いだって、上記2例のような残忍さこそないが、僕らの感覚とはずいぶん違っている。

ヴィッラの庭園には、ユーモラスな彫刻や、お人好しの訪問客を冗談にずぶ濡れにする剽軽な隠し噴水や、ユーモア満点に彫刻や絵画を詰めこんだ奇矯でウィット満点の人工洞窟があった。この剽軽精神のすべてを一点に凝集した感のあるのが、シエナの裕福な銀行家アゴスティーノ・キージのヴィッラである。(中略)キージの剽軽趣味はたとえば、宴会で会食の1コースが終わるたびに、使われた金と銀の皿をテヴェレ河に放り投げさせて客を仰天させたという逸話によく表されている。

この行為を表するのに「剽軽」という言葉が適しているのだろうか?
人に対する暴力性とは異なるとはいえ、使われた金銀の皿を川に放り込むのだって、ずいぶん暴力的だ。

これがイタリア・ルネサンスの社会だとしたら、ティールのいうように、人間社会に根源的なあり方として、暴力性や悪徳が隠されているといえるのだろうか。

残忍な処刑もショーになる

こうした残忍さが人間の根源的なものかと考えたくなるのは、ルネサンスのイタリアのみならず、後期中世のフランスやオランダ、ベルギーあたりの北方でも同様の暴力性が見られるからだ。

たとえば、先にも名前のあがったホイジンガの『中世の秋』にもこんな記述が見つかる。

後期中世の司法の残酷さがわたしたちをおどろかすのは、その病的倒錯によってではない。その残酷さのうちに民衆のいだく、けだものじみた、いささか遅鈍な喜び、その残酷さをつつむ陽気なお祭り騒ぎによってである。モンスの町の人びとは、ある盗賊の首領を、あまりにも高すぎる値段だというのに、あえて買いとったが、それというのも、その男を八裂きにして楽しもうとしてのことであった。

司法による刑の執行そのものが残忍なショーと化すわけだ。民衆はそれを待ちのぞみ、それに対価を支払うのも厭わない。

もうひとつ別の例も見よう。

1488年、マキシミリアンがブリュージュで捕虜になっていたときのこと、この捕われの王の居室からよくみとおせる広場に、足場を高く組んだ拷問台が設けられ、裏切りの疑いをかけられた市参事会員たちが、なんどもなんども拷問にかけられた。民衆はなかなか満足せず、早く処刑してくれとの参事会員たちの懇願にもかかわらず、さらにかれらの苦しみをみて楽しもうと、処刑してしまうことをゆるさなかったという。

殺してしまうことよりも、人が苦しむ様子をできるだけ長く見たがる民衆。その暴力性はとどまることがない。「処刑は、民衆の心に糧を与えた。それは、お説教付き見世物だったのだ。恐るべき犯罪には、恐るべき刑罰が工夫された」とホイジンガはいう。

1488年だというから、15世紀、南方イタリアではすでにルネサンス期に入って1世紀以上経過している。そのころ、ブリュージュ、いまでいえばベルギーの都市である北方はいまだ中世の流れのなかにある。ただブルクハルトが対象にしていたイタリアの記述と同じ時計的時間のなかの出来事だ。

いずれにせよ、現代の僕らの感覚ではまるで信じられないことが日常的に行われていたのだ。

根源的なあり方などあるのか?

しかし、17世紀の啓蒙の時代以前がこうした暴力性や悪徳に満ちたものであったからといい、啓蒙の活動がそれらを抑え込むように展開したからといって、一方を、人間に根源的なものであり、他方を、それを無理矢理抑え込むような人工的なものと考えるのは、理にかなっているようでいて、実はずいぶんとおかしな見方だと思う。

根源的な、という言葉で、動物的なもの、野性的なものとのつながりを見ようとするなら、そもそも間違っているだろう。動物が他の動物を殺したり、同種の動物に危害を加えるのは、中世やルネサンスの人々がそこに楽しみを感じたり、権力や財産の奪取を試みたりするような「人間的な意図」があってのものではない。彼らは殺戮を楽しんだりもしないし、暴力そのもののためや悪徳の目的でそれを行使したりはしない。
あくまで、その暴力的な行為に意味を見出すことが可能なのは、人間的な価値体系においてでしかない。

そして、その価値体系自体が時代によって変化する。
つまり、暴力性や悪徳に意味が見出されるのは時代とともに変化する価値体系によるもとであって、人間の根源的なあり方などによるものではない。

いやいや、そもそも、根源的なあり方なんてものが極めて人工的な作り物だろう。ティールが考えているようは根源的なあり方というものがただひとつ確固として存在しうるという想定自体がきわめて右翼的だともいえる。

残念ながら、揉んだはそんなシンプルなものではない。なにがどうなって、そんな危険な価値観が生じるのかもわからないし、そもそも何が危険かなんて基準さえあやしむ必要がある。いろんな危険の基準があって、互いを互いに危険視する。ようは、それがイタリア・ルネサンスの小さな専制君主国家が群雄割拠する状態で起こっていたことに違いない。

疑心暗鬼のもの同士がきわめて近い距離のなかで近接し、混じり合う。まさに現代のインターネットとモバイルで均一につながった世界空間そのものではないか。

その状況においては確固な善も正しさもない。すべての行為がそれぞれアートである。

ブルクハルトはこう書く。

たいていのイタリアの国家は、その国内関係において、芸術作品、すなわち反省に依存する意識的な創造物、正確に計算された目に見えるもろもろの基礎の上に建てられた創造物であるように、国家相互の関係および外国にたいする関係もまた、芸術の作品でなければならなかった。それがほとんどすべて、かなり新しい簒奪にもとっているという事実は、それらの外交関係にとっても国内関係にとっても、宿命的なことである。

この状況はきわめて現代的ではないだろうか?




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