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出口を探して

出口はあるんだろうか?
ふと、そう思うことがある。

自分自身の考えにとらわれずに済む出口。外の状況に応じて、それに適した解をその都度見つけようとは常にしているけど、それでも、我にかえると、それも所詮は自分自身の考えから抜け出せずにその主張を続けていただけではなかったか?と。

もちろん、こちらから出したものに対する反応をみて、相手との対話が生まれていると感じることもある。けれど、それはたまたま相手との相性が良かったから、こちらが自分の外に出なくても、相手ももともとその範疇にいてくれただけかもしれない。
はたして、そうではなく逆に相性が悪い相手だとどうなんだろう? いや、その答えはわかっている。その相性の合わなさを乗り越えていくスキルは自分はそれほど高くない。まあ、低いというほどではないしてもだ。

ひとつまえのnoteでも、それらしきことは書いたけど、仕事とは大きな意味でのコミュニケーションだと思っている。自分の仕事なんてものはなく、常に、誰かや何かと自分とのあいだに仕事はある。その仕事を成していく活動は、自分以外のものとともに行うコミュニケーション的行為以外のなんだろうか。

いや、ほんとは生きる上でのあらゆる行為が自分の外にあるものとのコミュニケーションなんだと思う。
ようは、コミュニケーションの対象は、人間だけじゃないし、生物でさえない。当然、コミュニケーションは言葉によるものに限らず、呼吸をする、街を歩く、食事をする、服を買う、物を作る、排泄をする、なども含めて、僕らは自分以外のものとコミュニケーションをしている。
つまり、環境のなかでどう生きるか?という問題だ。

そのコミュニケーションは必ずしも、互いに通じ合ってる場合ばかりではない。一方的にこちらがまくしたててること(場合によってはこちらがそうされることも)だってある。いや、むしろ、その方が大部分であるはずだ。

僕らは自分のことばかり考えて、まわりのことをほとんど見ていない。非人間的な環境のように背後に隠れたものには見向きもしないのは当然として、街を歩いているときの周囲の人間、ひどい時には目の前で自分が話している相手のことや一緒に仕事を進めているひとたちのことだって、見ずに自分のことばかり考えてしまう。

なんで、こんなことになってしまったんだろう?と思う。
この自分という殻の出口のなさ

こんなときは大抵、敬愛するジョルジュ・バタイユの思考に近づいていく。
ドゥニ・オリエは、『ジョルジュ・バタイユの反建築』のなかでバタイユの「コミュニケーション」についての考えについて、こう書いている。

バタイユがコミュニケーションのテーマをめぐって展開しているすべてのことがらは、エロティシズムと文学との「コミュニケーション」自体をしかるべく位置づけるためのものである。それはメッセージの伝達ではなく、自動詞的なコミュニケーションであり、諸存在を閉じ込めている個々の限界を決壊させ、彼らを賭けに投じるものである。そこには、必要であれば、メッセージの破壊が伴うだろう。バタイユにとって、コミュニケーションは言語学者がそれに課した構造(送り手、受け手、メッセージ等)に従いはしない。コミュニケーションはその構造を破壊するのだ。

「個々の限界を決壊させ」るのが、バタイユの考えるコミュニケーションだ。そこではむしろ、通常のように、メッセージは伝わらない。メッセージが破壊され、そのメッセージを通常は成り立たせている言語学的構造が破壊されるところにコミュニケーションはある。
そう、こういうコミュニケーションであれば、それは出口となる。

これと関連することを、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロが『食人の形而上学』のなかで、ドゥルーズ=ガタリを参照しながら、こう書いている。

『千のプラトー』の2人の著者[ドゥルーズとガタリ]は、この議論を非常に特徴的な仕方で一般化させている。「もし言語というものがあるなら、それは同じ言語を話さない2人のあいだにこそ存在する。言語とはそうしてつくられているのであり、つまり翻訳であって、コミュニケーションではない」

「この議論」とデ・カストロが言っているのは、レヴィ=ストロースの「神話は、けっして自身の言語に属しているのではなく、他なる言語への1つのパースペクティヴなのである……」という議論のことで、「神話は、何よりもまず翻訳なのである」とする考えのことだ。

ドゥルーズとガタリは、その「翻訳」という考えをより押し広げるが、ここで彼らがいう「コミュニケーションではない」翻訳こそが、バタイユのメッセージの壊れたコミュニケーションに重なる。
簡単に通じているような関係の中に出口はないということだ。

話はすこしそれるが、昨日、松濤美術館で行われている「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」を観てきた。

展示は前半パートで、廃墟を描くことではおなじみの18世紀のイタリアの画家・版画家・建築家のジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージの作品を起点にして、その後、グランド・ツアーの流行とともにイギリスから発信されることになるピクチャレスクの流れのなかであらわれた作品が概観される。そして、20世紀に入ると、廃墟の画題は、デルヴォーやデ・キリコなどのシュルレアリスムの画家たちにより、夢想的なイメージを表現する言語的な要素して用いられるのようになる。
啓蒙の時代に重なる百科全書的時代における、ピラネージやイギリス・ピクチャレスクがマニエリスム的な過剰も含みつつも歴史主義的な視線のなかで展開されていたとすると、シュルレアリスムの画家たちの作品は産業革命以降のキッチュな言語処理的な思考で廃墟的な視覚言語を扱っている。
いずれも視覚的な思考の方向性こそ違えど、「環境」というのものをいかに扱うか、という題材を扱っていることに気づくだろうか。

いま読んでるティモシー・モートンの『自然なきエコロジー』に影響されてるところが大だが、表現としての廃墟という人為的でありつつ、自然の儚さも含有した環境がリアルなものとして歴史的に描かれることと、イメージとしてのキッチュさを表すものとして描かれる両方の戦略がそこにあるわけだけど、その両方ともにやはり何か出口のなさを感じてしまったわけだ。

モートンは環境に対峙しようとするロマン主義以降の芸術作品の陥る状況について、こう書いている。
まさに出口なしの状況の説明として。

出口はないように見える。屋根伝いに脱出しようとしたところで(歴史主義のような高尚な批判)、美的なものを再設置する距離化を実行させることになる。半地下を通って脱出しようとする(低俗なものへと潜っていく)ことはただ美的な次元を拡張し、感傷的でサディスト的な刺激の世界を発生させることになる。私たちは身動きできなくなっていることを認めなくてはならなくなるだろう。

対象に対して、距離を置くことで美学は成立する、安心な距離がそこにあるがゆえに、対象は幻想的に美しくなる。その距離からは対象のおぞましさも危険も近寄ってはこない。それが屋根伝いに逃げることだとして、逆に、対象のおぞましさや危険に出会おうと地下に潜ったとしても、そこには別の「感傷的でサディスト的な刺激」という美的な次元が生じるだけだ。

実際、「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」展の後半で紹介されていた、幻想の廃墟・渋谷を描いた元田久治の作品などは、シュルレアリスムの画家たちのキッチュな廃墟的な視覚言語を活用した現代版でしかない。

それはいまから10年前に描かれたとはいえ、現在の再開発が進みリアル廃墟が人為的に生み出される渋谷という地から日々感じとれる、なんとなくの恐怖の日常に対する隣接感と比べると、あまりにエステティックなのだ。

言語化された廃墟は、言葉の通じない相手としてのリアル廃墟に比べて、あまりに出口のなさを感じてしまう。

モートンはこうも書いている。

低俗的なものが批判的になるには、低俗なもののままいなくてはならず、そして空虚にされず、Tシャツのデザインのように着こなされないでいなくてはならない。

Tシャツとしてファッション化された、安全地帯にばかり逃げ込もうとしてたら、コミュニケーションにはならず、出口は見つからない。

自分中心でばかり考えている人が苦しいのは、自らそういう出口を塞いでしまい、風通しのわるい息苦しい環境にみずからを閉じ込めてしまっているからだ。それは描かれた幻想の廃墟でしかない。
苦しさから逃れたければ、それがどんなに危険に見えようとも、ヒリヒリとしたリアルな空気を伝えてくれる動きのある現実の廃墟のある景色のなかに飛び込むしかない。そこにこそ、自分の言葉がまるで通じない人たちとのリアルな壊れたコミュニケーションがあるのだから。

そういう、出口こそ、日々探していこう。


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