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徴候・記憶・外傷/中井久夫

「21世紀になって個人から国家まで、葛藤の中で踏みこたえるよりも踏み越えるほうを選ぶ傾向が目立つ」と、この本の著者で、精神科医の中井久夫さんは書いている。
『徴候・記憶・外傷』という本に収められた『「踏み越え」について』という文章のなかで、中井さんは、行動を起こすことをすんでのところで思いとどまるより、行動に踏みきってしまうことの方が多いということが、個人単位だけでなく、国家などの大きな集団単位ですら起こっているというのである。

ここで中井さんがいう、踏み越えとは次のような概念である。

「踏み越え」transgression とは、あまり聞きなれない言葉かと思う。しかし、オクスフォード英語辞典(OED)によれば、15世紀から「法やルールの埒外に出る」という今の意味で、心理学より法学のほうで使われてきたようである。(中略)私の意味では、広く思考や情動を実行に移すことである。

法学で使われていたことからもわかるとおり、踏み越えによって実行に移される行為とは、どちらかといえば、喜ばれぬ行為、起こるのを避けたい行為である。この望まれぬ行動への判断の壁が、先にもあったとおり、いろんな単位で踏み越えられやすくなっていて、それは「テロとテロへの反撃という国家社会政治水準」というレベルから「個人の非行」にいたるレベルにいたるまで、「その例は枚挙に遑がない」くらい生じているという印象を、この文章が書かれた2003年の段階で著者の中井さんは持っていたようである。

さらに、中井さんは本来、ネガティブなものとして捉えられがちであった「踏み越え」が21世紀になって以降、反転して、ポジティブなものと捉えられるようになってきている徴候を指摘する。

さらに「踏み越え」がプラスの意味を持ってきた。「改革」「ビッグバン」「IT革命」である。これは長期的には有効性が期待値より低いおそれがあるのだが、そのことは軽視されている。フランス、ロシアの二大革命の末路から人は多くを学ばない。ロシア革命を否定してフランス革命が無傷で済むだろうか。革命の血を血で洗う中からナポレオンが出てきて、革命を外征に変えた。どれだけのフランス人、欧州人が非命に倒れたか。私の精神的な師の一人、アンリ・エランベルジェ先生が「個々の戦争犯罪だけではなく戦争をも犯罪学の対象としなければならない」といわれるのももっともである。

間違いなく、僕らがいま躍起になって進めようとしているイノベーションとは、このポジティブな意味に捉えられた踏み越えに他ならない。なぜだろう? いつのまにか、僕らには、とにかく踏み越えることで新たな価値を生みだすような変革のための行動をすることが求められるようになってしまっている。

いい人」でも明確に書いたとおり、イノベーションとは創造的であると同時に破壊的行為である。既存の何かを壊して、それに取って代わるものを打ち立てるわけだから、上の引用中の革命と何ら変わらない。かといって、それを理由に、ここでイノベーションに向かうベクトルを否定しようとしているわけではない。

見えないもののデザイン」では、イノベーション創出のための活動を考える際、目的を明確に言語化し、そこに含まれるヴィジョンをいかに実現するかの という課題を明確に設定した上で、具体的な活動のデザインをすることの重要性を説いた。
けれど、多くの活動は、何故活動するのか、何を求めての行動なのかを明確にイメージも、言語化もせぬまま、進められる。

それは基本的にはうまくいかないと思いつつ、中井さんが事故分析家の柳田邦男さんの言葉を引いて、迷路は入ったらなかなか出られないものだが、ごくごく稀な確率で迷路に入っても何の障害にもぶつからずに、すっと出られてしまう場合がありえ、それが事故だと言っているのを考えると、必ずしもちゃんとした課題の設定〜プロジェクトデザインがなければイノベーションは起きないわけではない。いや、確率的には低いのだが、それは起きる可能性はある。運悪く起きる事故のように。中井さんがいう迷路はいわば安全装置なのだが、何故か、その装置のしかけをすり抜けてしまう事故が起こってしまうこともあるからだ。

つまり、ちゃんとうまくいかせる確率を上げたければ、迷路をロジカルに解いてみせる努力をした方がいいのだが、確率を除けば、実はイノベーションの実現は事故的にも起こりうる。

中井さんはこんな風に書いている。

私たちは、イデアからイメージ、言語化を経て行動というコースを普通であると思い込みやすい。それは心理テストなどの場合に暗黙の前提としているコースであるけれども、果たしてそれは妥当であろうか。

と。
事故の確率は常にある。それは行動への踏み越えが起こる際、必ずしもイメージや言語化のモードというセキュリティシステムを通らないケースがあるからだ。
中井さんがフランス革命やロシア革命、そして、それがある種の呼び水となって生じた戦争のことを問うのは、低確率といえども、事故は起こるからだ。
そして、チャレンジの数自体が増えれば、確率そのものは低くても、事故発生の件数は増えるはずである。

現実には、あるコースから別のコースへの移動には順序はない。行動化が先行して後に、イメージ、言語化コースに移ることもある。例えば、行動の追想であり、後悔であり、合理化である。審判や裁判はこの過程に社会的に通用する形式を与えるものである。裁判はそのために存在するといってよい。行為はすべて因果論的・整合的な成人型のナラティブ(語り)で終わらなければならないという社会的合意が裁判の前提である。でなければ、何か修復されない穴が社会に残るのである。

これはあくまで「何かが起きたあと」の理由づけである。「修復されない穴」を残さないためにも、穴埋めとしての行動後の説明が必要となる。「この過程は、強引に言語化する過程であり、させる過程である」と中井さんは言う。

イノベーションそのものは否定しないが、意図せぬイノベーションはいらない。後付けの説明で穴埋めするのは、あまりに破壊した対象に対して誠意にかけすぎはしないだろうか。そもそも、そのイノベーションは本当に必要だったのか?と、後付けの理由にはそれを疑わせる何かを感じさせるのではないだろうか?と思う。

「私たちの中には破壊性がある」と中井さんは言う。

自己破壊性と他者破壊性とは紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治ったような気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分の中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。

ここでいう捌け口は、西洋であればカーニバル的な祝祭であったし、日本であればハレとケであらわされた祭りと日常の世界であろう。それがなくなったあと、例えば、19世紀後半には、コナン・ドイルに代表される犯罪小説が祝祭の代わりを担った。だが、そうした娯楽や芸術作品からさえも捌け口の可能性が排除された現代では、インターネットの書き込みはたしかに捌け口としての役割を担っているだろう。

だが、それだけでは足りないのだろう。一見、ソーシャルグッドな方向性を示しているように思える、様々な新しい取り組みでさえ、そこに人びとが集まる理由の背後には、イデアやイメージ、言語による明確な論理を超えた、熱狂や衝動に動かされた「踏み越え」はないだろうか? SDGsへの過度な期待や人びとの群がり方をみていると、不安になる。

もちろん、中井さん自身、書いているように、言語化を介さない行動への踏み越えは必ずしも悪質なものばかりではない。キスの衝動なども含めて、何故それをしたいのか、する必要があったのかを明確に言語化できる行動ばかりではない。

だが、そこを差し引いたとしても、何かお祭り気分をそこには感じる。

そのくらい、人の思いや行動はあてにならないものなのだろう。記憶や歴史というものさえ、まったくもって真実とは程遠い恣意性のかたまりだ。

ビデオや映画でも、もちろん、文字どおりの連続性があるわけではない。飛躍があり、カットバックがあり、ズームインし、その他の映画文法を駆使して、ストーリーとしての連続性があることを観客に納得させるのである。それは、語り narrative としての連続感覚である。しかし、成人型の記憶は、それ以上のものである。すなわち、ストーリーは生きる時間とともに変わってゆく。細部の克明さも、個々の事実の重みも変わる。生死を賭けたと思う体験も回想の中では些細なエピソードに転化する。逆に、取るに足らない事件が後になって重大な意味を帯びてくる。生きるということはそういうことである。あるいは「歴史性」とは。

もちろん、何も悲観的になっているわけではない。

こういう本を読むと、あらためて、日々考え、表現し続けることの大事さを思う。
とりわけ、人間という生物的なしくみがいかに古くから変わらない層と常に変化し続ける人工的なしくみと連動して変化をやめない層の混合物であり、それが僕らの世界のあり方について考えたり、僕ら自身のありようについて考えるのがいかに複雑でむずかしいことかということにこういう人の心というものに向き合ってる人の本は気づかせてくれる。

まったく「人間」というものも「歴史」や「記憶」というものも、なんと一筋縄ではいかないものか、と。もちろん、そうであるがゆえに、それについて考え続けることが楽しいのだけれど。

フランス革命記念日・パリ祭の夜に。

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