見出し画像

情報の行間を読んで発想力を高める

KJ法がちゃんとできる人って少ないよね、という話になった。
川喜田二郎さんの『発想法』って50年も前に書かれた本なのに、すごいことが書かれているよねという話の流れのなかで。

実際、KJ法といいつつ、多くの場合、ただの分類で終わってしまっているのではないかと思う。その分類さえ、まともな意味をなさない分類になることだってある。そもそも作業を進めていくなかで、すこしも思考が展開されていかない。いや、情報をどう扱っていいかが分からず、グルーピングしたり標識をつけたりする作業がままならないケースも少なくない。

そもそも発想法としてのKJ法なのだから、実施してみて、何かそこから新たな発想や理解が生まれないなら、それはうまくいっていないということになる。
けれど、ほとんどの場合、そこからなんら新たな発想、理解が生まれなくても平気で終わりにしてしまう。

その程度のことだと思っているなら、はじめからやらなくてもいい。だって、何も生まれない作業に時間をかけるのは無駄なのだから。

情報自体が明示していないことを読む

KJ法という手法に限らない話だったりする。
様々な情報から、それぞれの情報が言及している以上の情報を発見できないという人は少なくないのではないか。その場合、明らかに多くの発想の機会をだいぶ逸している。

そもそもの話、その情報が明示的に言及していることしか理解できなかったら、多くのことがわからないだろう。
情報を発するほうだって、すべてを言語化したりできることはなく、言葉として発しない事柄だってある。自分にとって当たり前すぎる背景などは語られずに省略されることは少なくないはずだ。また、複数の話を続けてする場合などは、話同士の関係を伝えることを省略したり、忘れてしまうケースだってある。
ようするに、人の話というのは、たいてい、「行間」だらけだ。だから、明示された言葉しか読み取れず、行間を読むことができなければ、相手が話そうとしてることの大部分は理解できていないということになる。

明示されていない行間を読もうとしたら、相手が言葉にしなかった背景について考えようとする態度が必要だ。
相手がまだ目の前にいるなら、背景を想像しながら、実際に相手に背景についてや、情報間の明らかになっていないつながりについて質問してみて、行間を埋めてみるといい。
すでに情報提供者が目の前にいないなら、この言葉はどういう背景で発せられているかを想像することだ。その背景を想像しながら、他の情報もまた同様の背景を共有していないかを考えるといい。

行間を読むということが仮説づくりの基本

それがKJ法におけるグルーピングで似たもの同士を見つけたいときに本当にやるべきことだったりもする。

川喜田さん自身、KJ法はアブダクションだと言っている。仮説創出の推論方法だというわけだ。

発想法という言葉は、英語でかりにそれをあてると、アブダクション(abduction)がよいと思う。--川喜田二郎『発想法』

仮説をつくる推論なのだから、書いていないことを見つけようとする姿勢がなければ話にならないだろう。
だから、明示された言葉の類似ではなく、その言葉が共有する「行間」にある背景や意思、期待、その他の感情や状況を読みとって、その類似でグルーピングすることが大事なのだ。
背景、感情、状況などに目を向けるから、明示されていない理解が生み出され、新しい発想のタネもそこから見つかる。とにかく明示された情報に対し"why?"と問い詰めてみることだ。

そもそも、やりたいことは新たな発想を生むことなんだから、書いてあることをそのまま扱っているだけでは何かが見つかるはずはない。それでは仮説形成になるわけがない。隠れているものを見つけるのだから、行間を想像すること、それが仮説をつくるという姿勢にほかならない。

そういう情報の扱いを日常の会話においても、KJ法をやる場合においても行っていないから、明確に言葉にされたことしか、知識として得られなくなる。当然ながら、そんな状態では何らクリエイティブなことなど生じるはずはない。

川喜田二郎さんは、こんな風に日本人のカンを褒めたたえているが、それはあくまでかつての日本人のことかもしれない。

自分の頭のなかに体験的に積まれている範囲内で、カンを働かせてその雑然たる情報を統合的に処理する。このような人間的能力にかけては、日本人は世界でも稀な才能の持ち主であろう。しかしその範囲を超えた複雑な情報処理に直面すると、めんどうくさくてやろうとしないあるいはどうしてよいのか放心状態にもなりかねない。--川喜田二郎『発想法』

いまや、そのカンさえ失ってしまったのかもしれないので、普段からKJ法的な発想をするクセをつけておいた方がいい。

実際、その思考法に慣れると、情報を集めれば集めるほど、いろんな発想が出てくる脳の使い方ができるようになる。情報を集めたり、知識を得たりすることのほんとうの意味がわかるようになる。
もちろん、それは言葉による情報だけでなく、視覚による情報でも同じようなことができる。
しかも、言葉とイメージの組み合わせは、もっと面白い結果もうむ。だから、このマガジンは「言葉とイメージの狭間で」だったり。

というわけで、行間を読むのが苦手な人は、じっくりとKJ法の練習をしてみるといいと思う。

共感力より行間力だ。

#KJ法 #発想法 #思考法

基本的にnoteは無料で提供していきたいなと思っていますが、サポートいただけると励みになります。応援の気持ちを期待してます。