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ヨーロッパ文化史についてのおすすめ7冊

世の中、夏休み。
台風の影響でなかなか出かけられなかったりする人もいるであろうということで、ヨーロッパ文化史に関しては比較的いろんな本を読んでいる僕がおすすめの7冊をご紹介。

書く前はただ普通におすすめの本を順に紹介しようとするだけのつもりだったが、書き始めると、我ながらヨーロッパの文化というものをなかなか鋭い角度で切り込んで俯瞰したものになった。
長いが、それなりのものになってるので、ぜひご一読。

で、紹介するのは、この7冊だ。

スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ/ジョルジョ・アガンベン

最初に紹介するのは、イタリア人哲学者ジョルジョ・アガンベンの1977年の著作『スタンツェ』
ヨーロッパ中世における言葉とイメージによる文化を扱ったものだが、ここで明らかにされる中世の人々の思想世界はなかなか興味深い。

例えば、愛。
「中世の心理学によれば、愛とは本質的に妄想的な過程であり、人間の内奥に映し出された似像をめぐるたえまない激情へと、想像力と記憶を巻きこむ」とアガンベンは書いている。
場合によっては、愛は病とさえ考えられたのが中世だ。

病の名は「アモル・ヘレオス」。
モンペリエ大学の教授ベルナール・ゴルドンは、1285年頃の著書『医学の百合』で、「アモル・ヘレオス」を「女性への愛によって惹き起こされるメランコリックな苦悩」であるとし、この病気の原因は、「姿や形に強く印象づけられたことによって、判断力が麻痺してしまう」ことにあるとした。
判断力の低下が、人を欲望にかりたてると考えられ、欲望は、記憶と想像力にはたらきかけ、「とり憑かれたかのようにファンタスマへと向かわせる」。

彼は、愛を内面の表象像の「際限なき思いめぐらし」であると定義し、「かの情念は、なによりも魂が見たものについて抱く思いから生じるのである」と付け加えている。

妄想の結果、中世の愛は内面の表象像に向かい、実物の女性よりも、内なる幻影=ファンタスマに向かう
実際、中世の騎士道物語では、騎士たちが手の届かぬ貴婦人たちに愛を捧げて闘いに赴くというのが典型的なパターンなのだ。

さらに驚くことには『薔薇物語』という騎士道物語は、「実に2世紀ものあいだ、貴族たちの恋愛作法を完全に支配したばかりか、およそ考えられうるかぎり、ありとあらゆる分野にふれての、まさに百科全書を想わせる題材のゆたかさによって、読み書きのできる一般の俗人に対し、知識の宝庫を提供し、生きいきとした精神の糧をそこからひきだすことを、かれらにゆるした」(ホイジンガ『中世の秋』)大ヒット作なのだが、主人公が幾多の闘いの末、手に入れるのは、貴婦人そのものではなく、女性の姿をした木像だったりする。

愛の形だけでなく、像の形が現代とは明らかに違うのが中世だということだ。
そうしたヨーロッパ中世の異質さを教えてくれる一冊だ。

観察者の系譜/ジョナサン・クレーリー

時代は大きく下って19世紀における視覚の変化について考察したのが、ジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』である。

なぜ20世紀のはじめに突如として抽象画が生まれたのか?
画家たちはなぜ急に、ずっと続いた自然の模倣をやめたのか?

あるいは、その予兆として、19世紀の終わりに印象派が、15世紀以来続いていた遠近法的な視点を放棄したのは何かきっかけがあったのか?
よく言われるように、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが印象派を30年も先取りした絵を1840年代には描き始めていたとしたら、何がターナーにそうさせたのか?

この疑問に対するクレーリーの回答が僕にはしっくり来た。
そのきっかけはゲーテが1810年に出した『色彩論』だというのがクレーリーによる回答だ。

クレーリーは、ヨーロッパにおいて「観察者」というものが大きく変化したのが1820年からせいぜい1830年頃にかけてだと言っている。いや、正確には「観察者」の立ち位置が変化したというよりも、その頃にはじめて「観察者」という概念が生まれたのだとクレーリーは言う。

ゲーテは『色彩論』の「まえがき」で「色彩は光の行為である。行為であり、受苦である」と書いている。これこそ、視覚という概念の大きな転換であり、「観察者」を生みだしたゲーテの発見であるというのがクレーリーの主張だ。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが1843年描いた「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ」という作品がある。これだ。

ゲーテは、デカルト以来、視覚は外的刺激に対して機械的に像を結ぶという仮説を否定し、観る人によっても、いや同じ人でさえ、観る状況によって変化するきわめて人間的で、生理学的なものであると指摘した。

その説明に、ゲーテが用いたのが、太陽を見たあとに目の裏側に残る残像だ。
太陽をしばらく見た後では、目をつぶっても残像が見える。それは人間の視覚とは、外側の刺激そのものが目を通して入ってくるのではなく、身体自体がなんらかのしくみで像を生み出しているからにほかならないとゲーテは主張した。
それを視覚的に表現したのが、このターナーの作品というわけだ。

このゲーテの視覚モデルは、デカルト的な空間=機械的なものとは異なる、時間=生物的なものが導入される。太陽の像は空間のなかにスタティックに存在するのではなく、人間という生物の生きる時間=運動のなかに存在するのだから。
実はこれ心理学という学問の萌芽でもあった。

ゲーテにはじまる心理学の発展が、西洋の視覚を抽象表現的なものに変えていく。その文化史的変化をクレーリーのこの本は教えてくれる。

シェイクスピアの生ける芸術/ロザリー・L・コリー

「シェイクスピアにとって「アカデミック」とは、その濫用された語の二通りの意味において、何であったのだろう」。
『シェイクスピアの生ける芸術』の著者ロザリー・L・コリーは、冒頭、そんな問いかけをするところからはじめている。

すなわち、彼にとって、何が単純で、容易で、自然であり、何が研究や学識を要するものであると感じられたのだろう。諸事、アートのなかに封じられると、慣習のかたちをとって「静」と化し、我々が思いを巡らす相手とされる。だが、アートが静を破って、アートがなすはずの、そして現になすようなありとあらゆる仕方で、「生ける」かのように見え、我々を「ゆさぶる」ように見えるとき、もっとみのり豊かではあるが、もっと困難な道のりが始まる。

"「生ける」かのように見え、我々を「ゆさぶる」ように見えるとき、もっとみのり豊かではあるが、もっと困難な道のりが始まる"というあたり、再三あちこちに物事を静的に捉えるのではなく、ダイナミックに変化し続けるものとして見ることが大事だと書き続けている僕が好むのがわかるだろう。

「シェイクスピアは、まさに駆け出しの頃から、文学の素材……文学上の慣習、伝統、ジャンル、様式、創作に利用できるありとあらゆる要素や道具……を扱うのが驚くほど巧みだった」というのが、コリーのシェイクスピアに対する評価だ。
その扱いが巧みであればあるほど、シェイクスピアの劇作品は多彩になり、そこに登場する人物たちもそれぞれの劇に応じた様々な性格=キャラクターを成す。

『オセロー』の主人公オセローのように紋切型の思考にはまってしまったあげく、愛する妻を殺してしまうキャラクターも作れれば、『アントニーとクレオパトラ』における西洋(ローマ)と東洋(エジプト)の対立のような人工的な対立を下敷きにしてそれを超越していく愛の物語も可能にしたりする。

「ソネットの物語において、嫉妬はまこと、愛の死を招くこともある。だが、それはせいぜい比喩的な死でしかない」とコリーは書く。
けれど、ソネット的な紋切り型に囚われたオセローは現実において、ソネットの型にこだわりすぎたゆえに、より残酷な結果を手繰り寄せてしまう。

また、シェイクスピアは、さまざまな形で、西洋の文学の形式のひとつである牧歌様式を用いたことをコリーはとりあげる。
『お気に召すまま』では牧歌の型を比較的踏襲するものの、『リア王』や『あらし』となると、その舞台がきわめて牧歌の典型的な「自然界」「田園」とかけ離れているから、一見、牧歌劇とは気づかないようなものまで創作できる。

『あらし』の主人公プロスペローは魔術師で、自然界と超自然的な世界を支配する技をもっている。しかも、追放された魔術師であり、最後には"「本来の住処へと」帰還する"魔術師でもある。
ようするに、追放された地で、自然界から力を得て、それにより帰還を果たすという点で紛れもなく牧歌劇であることをコリーは指摘する。

とすれば、これこそが、プロスペローの「人工=技(アート)」なのだ。その目的は、自然の効果を高め、人間の情、人間の結ぶ絆、人間の品格の比類ない成果を、それが稀少であるがゆえに際立たせることである。自らを錬磨した男女が、獣じみた生活を退ける一方、他方では社会や文明につきものの複雑さに偏在する道徳的誘惑をはねつけ、忍耐と才能をもってなしとげた業を際立たせることである。

自然と人工との関係は単純な二項対立ではない
獣は自然といっしょくたであるが、そこから脱した人工の世界に住む人間が自ら生み出した形式に囚われたままなら、それは人工の獣=機械でしかない。
機械を脱しようとすれば、もう一度、プロスペローのように自然界、そして、超自然という未知と向き合い、そこに自らの新しい技=人工を生みだす必要がある。

そんなあたりを指摘してくれるあたりも僕の好みだ。

シェイクスピア・カーニヴァル/ヤン・コット

もう1冊、シェイクスピアものを紹介。
ヤン・コットによる『シェイクスピア・カーニヴァル』だ。

コットのこの本では、中世までの祝祭的なものがヨーロッパの文化から失われていくなかにシェイクスピアを位置づけている。

キリスト教の祝祭が、それまで様々な地域にあった異教の祝祭を吸収・統合しながら成立したことはよく知られている。
たとえば、代表的な祝祭でキリストの生誕祭とされるクリスマスも、古代ローマの祭で、12月17日から23日までの期間に開催されていたサートゥルナーリア祭(農神祭)が元になったと言われているように。

この祭、社会的身分制度が覆されることを特徴にしていた。
期間中、奴隷は自由に振る舞い、主人より先に食事をすることが許され、人々はプレゼントを贈りあい、大いに飲んで食べて騒ぐことが許された。

クリスマスにもこの社会的身分の逆転という習慣は残ったという。
イギリスでは、使用人が主人の催す舞踏会に呼ばれ、執事は女主人と、女中頭が主人と踊ったのだと『魅惑のヴィクトリア朝』で新井潤美さんが書いている。中世ではクリスマスのパーティーは盛大で、国王や貴族、地主らが村人などを招いて盛大な食事をふるまったのだそうだ。

しかし、そんな風習も、地主や領主が経済的な理由でパーティーを縮小したりする傾向のなかで、クリスマス・パーティーは徐々に家庭的なものになっていったのだという。17世紀にはアッパークラスにも家庭を大事にする習慣が広まり、庶民も自分の家でささやかなパーティを行うようになってくると、クリスマス・パーティーからが贈与的な関係で共同体を結ぶ機能が失われていったようだ。

そんな歴史的な背景を踏まえつつ、コットはこの本で、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』や同時代の劇作家クリストファー・マーロウの戯曲『フォースタス博士』の背後にある、カーニバル的な反転、転倒を読み解いている。
カーニバル的な価値転倒について、コットはこんな風に書いている。

農人祭から中世、ルネサンスのカーニヴァルや祝祭まで通して、人間精神の高尚英邁な性質は片はしから−バフチーンが説得力豊かに示してくれたように−(特に排泄、放尿、性交、出山といった「下層原理」に力点が置かれた)肉体的諸機能に取って代わられる。カーニヴァル的知においてはそれらこそが生命力の精髄である。生命の持続を保証してくれるものだからだ。

このカーニバル的な価値転倒を『真夏の夜の夢』で代表するのが、ロバの頭に変身させられた機織り職人のボトムと、そのロバ頭の怪物に惚れ薬のせいで欲望することになる妖精の女王タイタニアの関係だというのだ。

ヨハン・ハインリヒ・フュースリーにその光景を描いた「タイタニアがロバ頭のボトムを抱く」という作品がある。

コリーは、カーニバルで王を演じるロバ(「虐げられ冠を剥奪されていく偽王」)のように、「機織り職人ボトムは宮廷の祝宴でロバ役を演じただけで、迷夢からさめるのだ」としている。だから、このフュースリーの絵のように、膝を抱え込んでまわりの夢のような出来事にひたすら戸惑う姿になるのだ。

周囲が祭でどんなにうかれてどんちゃん騒ぎをしていようと、その中心にいる偽王だけは夢になじめず、覚めた目で憂鬱を感じているのだろう。

そんな憂鬱な偽王をスケープゴートとして立ててでも、非日常を嗤うことで保たれた共同体の絆というものが中世まではあったということだ。

とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽/ポール・バロルスキー

さて、その中世までの嗤いを引きずる、イタリア・ルネサンスの視覚文化に焦点をあてたのが、ポール・バロルスキーの『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』だ。

ヴィッラの庭園には、ユーモラスな彫刻や、お人好しの訪問客を冗談にずぶ濡れにする剽軽な隠し噴水や、ユーモア満点に彫刻や絵画を詰めこんだ奇矯でウィット満点の人工洞窟があった。

というのが、イタリア・ルネサンスの文化の風景である。

剽軽(ひょうきん)。それがイタリア・ルネサンスをつらぬく文化的精神だとバロルスキーはいう。この本を読んだ当時は頭で理解できつつ、身体でしっくりくる感じはなかったが、このGWにローマを訪れて、バロルスキーの主張にもピンとくるものがあった。

「この剽軽精神のすべてを一点に凝集した感のあるのが、シエナの裕福な銀行家アゴスティーノ・キージのヴィッラである」と、バロルスキーがいうキージ邸にも訪れたが、そこにはラファエッロ・サンティが「ガラテアの勝利」を描いた「ガラテアの間」や、建物そのものの設計も担ったバルダッサーレ・ペルッツィによる遠近法を使っただまし絵のみられる「遠近法の間」など、ウィットに富んだ数々の作品があった。

ガラテアの間には、自分に恋した1つ目の怪物ポリュフェモスから逃走する女神ガラテアの様子を描いたラファエッロの絵と、ひとりさみしくうつむく巨人を描いた絵が並んでいた。

これもルネサンス流のユーモアだというのだ。
ガラテイアとポリュフェモスの愛の物語(愛の拒否の物語)は、古代から語り継がれ、その都度、ポリュフェモスは笑いの的とされてきたのである。

ガラテイアがポリュフェモスの愛を拒む有名な物語は、古代ではテオクリトスやオウィディウスによって、またルネサンスにおいてはポリツィアーノによって語り継がれ、この醜い単眼巨人はいつもいつも嘲笑の的になった。

バロルスキーのこんな紹介を読むと、なんとも「剽軽」の意味がいまの感覚とは違うのだなとも思う。

キージの剽軽趣味はたとえば、宴会で会食の1コースが終わるたびに、使われた金と銀の皿をテヴェレ河に放り投げさせて客を仰天させたという逸話によく表されている。

と書かれている名残がたしかにそこかしこに感じられた。
たしかにキージ邸はテヴェレ川のほとりに建てられていた。
しかし、名残を感じたのはキージ邸のみならず、ローマのあちこちにだ。

こんな彫像が街のあちこちにある。

その話は次に紹介する本にも続く話でもあるので、最後にバロルスキーのこんな一文を引用しておこう。

ボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」やそれをそっくり言葉にしたロレンツォ・デ・メディチの詩の霊的な「天国」が、見る者の精神に天上的豪奢と「世界霊」を吹きこむことで、これを回復させ高揚させようとしていたのだとすると、フェラーラ公のために制作されたこれらの絵の方は、見る者の肉体に自然との合一を回復させようとするもののように思われる。ルネサンスの多くの作品においてそうであるように、これらとめどなく笑い遊ぶ絵は、語のもっとも根源的な意味における「リクリエイション」をわれわれが深々と験(けみ)しようとするのを助ける。

再生=リクリエイションとしての笑いという観点から見ると、ルネサンスという言葉自体がもつ「再生」という意味もまた大きく違ってみえてくる。それは単なる古代の復興などではない。生や性、死や肉体的などうしようもなさも笑うことで再生の流れに乗せようとする、ものすごく生命肯定的な姿勢に見えてくるように思うのだ。

生や死に向き合い、性に、肉体に、自然を真っ向から受け止める姿勢。そこにルネサンスの生命観と直結した創造、生成のあり方を見出せる。
むしろ、この観点を忘れたところに、いわゆる本当の近代のはじまりがあるのではないかと思える。

アナモルフォーズ/ユルジス・バルトルシャイティス

では、ローマの話の続き。
ローマにあるサンティニャツィオ教会にはこんな天井画が描かれている。
《聖イグナティウス・ディ・ロヨラの栄光》という絵だ。
写真ではあまり伝わらないが、あるポイントに立つと、遠近法の効果で建物の本物の柱と、描かれた天界にまで通じる柱が一体となってみえ、幻惑的な立体感を感じる絵だ。

『アナモルフォーズ』でユルジス・バルトルシャイティスが扱うのはこうした、視覚的幻惑をテーマとした作品である。

もうひとつローマにある別の建物スパーダ宮の庭にはこんな空間がある。

これも写真だとわかりづらいのだが、この柱、実は奥にいくほど短くなっていて、その分、天井は下がり、床は高くなっていくことで遠近感をみせている。ご丁寧に奥にみえる植栽の切込みも台形状に奥が狭くなっているから、すぐにはこの視覚的錯覚には気づかない。

そのスパーダ宮の建物内はこんな感じなのだが、立体的な彫刻が施されているように見える壁の下部のグレーの部分、ここは実際にただの平面に、彫刻風がほどこされたような絵が描かれているだけだ。

こうしただまし絵的な表現は先のガラテアの絵があるキージ邸にも見られる。このカーテンもだまし絵だ。

1637年、ルネ・デカルトは公刊した『方法序説』で自身の機械論的世界観の一部をおそるおそる明らかにしている。「思考をもたず、言葉をもたない動物は機械にすぎない」という動物機械説を含む機械論的な世界観をデカルトはその著作のなかで展開した。
その機械論的な見方の1つとして視覚を対象にして書いたのが『屈折光学』で、デカルトはそこでレンズの研究を元にした光学的思考を展開している。

「円は別の円によってではなく楕円によってこそもっと巧みに表現され、正方形は正方形ではなしに台形によってこそ巧く表現され、他の図形についても全く同じことが言える」とデカルトは書いた。「イメージとしてより完璧たらんとし、ある事物をよりよく表現しようとすればするだけ、その事物には似ていてはいけないことになる」と。

そこにデカルトは「見かけのウソ」を指摘した
「事物とわれわれの距離を知るためのあらゆる方法が不確かなものだと言わざるを得ない」とデカルトは書いた。

このデカルトの見方について、バルトルシャイティスはこう指摘する。

画工たちの指南書は、台形で表象された正方形で一杯だ。それらの中に内接する円が描かれることが多いが、こちらはこちらでみごとに楕円形であらわされていた。物理的世界のみかけがいかにウソであるか、それを決定的に傍証するもの、それがたとえばアルベルティの「正しき手法(コストルツィオーネ・レジティマ)」であり、ヴィニョーラの第二則なのである。遠近法は正確な表象の具ではなく、一個のウソなのだ。

ここで登場するアルベルティは、ルネサンス期に『絵画論』を記した人である。
ようはデカルトより200年前に遠近法のウソはルネサンスの芸術家たちによって認識されていた。
実際、レオナルド・ダ・ヴィンチもアナモルフォーズを描いている。

ようするに、ウソをウソとわかっての笑いである。
そこが200年後のカーニヴァルの反転もなくなったデカルトの時代になると笑えなくなる。

あらゆる形におけるイリュージョンの問題が一瞬としてデカルトの念頭を去ったことはなかった。現実とそれに対する人間の判断の間にはズレがある。プラトンにとってそうであったようにデカルトにとってもそうだった。このズレはひとり芸術作品にのみ当てはまるというものではないのだ。〈自然〉そのものも幻影ファントムだと、デカルトは考えた。

窮屈な時代がもうそこでははじまっていた。
僕がローマでみた笑いは、もうそこにはない。

オルフェウスの声/エリザベス・シューエル

さて、最後に紹介するエリザベス・シューエルの『オルフェウスの声』は、そんな機械論的な見方に対して、生物学的な見方を対置するものだといえるだろう。あるいは文字=視覚的なものに対して、声=聴覚的なものを対置するものだと。

シューエルはこの本で、竪琴をもって歌うオルフェウス、そして、そのオルフェウスを登場させたオウィディウスの『変身物語』を中心に置くことで、歌うことや音楽、そして、変身することという静止したデカルト的座標軸空間にはおさまりえない、時間的なものをテーマとして論じているのだ。

シューエルはこんなことを書いている。

生物学者は大体において、それだけで彼らの扱う主題にぴったりくる道具として数学は向かないと感じている。生きた有機体の本質は時間と変化であるのに、数学が本質的に時間と無関係の世界だということもあるし、大体が生物学の素材が数学や論理学の手法に合うような小単位に分け難いもの、ということもある。これはビュフォンも問題にし、キュヴィエも指摘している点だ。生物学者としてのゲーテの最大の主題でもある。

生きた有機体は本質が時間と変化であるがゆえに、時間と無関係の数学の世界と相容れない。ベルクソンが『物質と記憶』で、本来、不可分な運動さえ幾何学者はその軌跡である線分と間違えて同一視してしまうことを指摘しているほどで、数学者に時間は扱えない。

そして、そうであるがゆえに、デカルトやニュートンの光学に反対した生物学者としてのゲーテが『色彩論』を書くわけである。そして、『植物変態論』という著作もゲーテは書くわけだ。

オウィディウスの『変身譚』はオルフェウス神話そもそもの重要な出所のひとつであり、彼のオルフェウス詩人たちに対する影響力は一貫して大きい。シェイクスピア、ミルトン、エラズマス・ダーウィン、ゲーテ、ワズワース、そしてリルケの大先達である。(中略)変化と過程、変形がこの作品ではマインドの内なる働きを自然の営みと直結させる手段となっている。このテーマをみずからの『植物変態論』という作品で取り上げるのがゲーテであるはずで、自然にあって固定して見えるいかなる形式も、実は絶え間なく変化し止まぬ、そして我々がそれを十全に理解しようとすれば我々の思考方法のモデルとなってもらわねばならない現実が、単に一時的に結晶化したものに過ぎないのだと主張する。我々の思考方法は自然に倣って「しなやか、かつ造形的」でなければならない、と。

自然に倣って「しなやか、かつ造形的」であること。
その論理を超えたところにあるロジックに、シューエルはポストロジックという呼び名を与えている。

自然の全体を一個の産出プロセスと見る観法はポストロジックの一部であり、それによって思考する有機体はそれが思考(リフレクト)しつつあるプロセスをみずからの裡に形象化することができる。「産出」と並び、自然のプロセス全体と合致する位置にベーコンは技芸(アーツ)を配している。

詩人と呼んでいいかはわからないが、先の「オルフェウス詩人」の列に、ここで言及されるフランシス・ベーコンも加えてよいのだろう。ベーコンは「自然は一個の活動であり、さればこそ即ち精神中の活動たるナチュラル・ヒストリーにそっくり反映さるべきなのである」と考えた。
そして、人間を自然の解釈者に位置づける。解釈者であればこそ、自然が行いうる以上のことは行わないのだという。

『ノウム・オルガヌム』の劈頭、めざましい場所に、その簡潔な定義というに近いベーコン自身の句があって、"Homo nature minister et interpres"という。「自然ノ解釈者ニシテ自然ノ僕」の意。ベーコンはいつも「解釈者の仕事」が肝と言い続けている。そのことを一般論として言った言葉が「執筆計画」中にこうある。「何故なら目下の事柄はただ単に頭の中でたまたま思い付いたというものではなく、人類の真面目な仕事と幸福なのであり、操作の力の全てであるからだ。というのは人間はただ単に自然の僕にして解釈者だからで、彼が為し、彼が知るところは自然の秩序を事実に於て、思惟の中で観察し得たものに過ぎず、それ以上のものは為しもしないし、知ることもない。因果の鎖はどうやってもゆるめたり壊したりできない以上、自然も何とかしようとすれば、ひたすらこれに服従するしかない。こうして2つのもの、人間と知と人間の力は現にひとつに合するのである」。

シューエルがこの偉大な著作によって明らかにしてくれるのは、このベーコンにとどまらない、オルフェウス詩人たちが行ったポストロジックな思考の系譜だ。
自然をひとつの大きな産出プロセスとみるポストロジックの思考が、時間とともにある変化や変身とつながるのは当然のことだろう。それは数学的な思考では取り扱えないものだ。

『変身譚』はそれ自体、巨大なポストロジックなのである。主題と方法の双方向的なダイナミックスにおいて、オルフェウスという存在で言語と詩こそが中心的であるとする主張において、物質と方法に働きかける原理のひとつとして性に目をつけ続ける点において、自然過程の全射程を理解し、解釈するための具として神話を使おうとする点において、そしてその具を鏡映的に使って宇宙と精神をひとつにしようとし、相手にする形式はいつも半ばは現象だが半ばは精神と想像力のものであるという点において、見事にポストロジックである。それはこれらすべてによってその直系の伝統に祖としての地位を占める。「物質があらゆる局面、あらゆる条件で身に帯びる形態を扱い、さらに広義に、理論的に考えられるような形態を扱うもっと幅広い形態の学の一部」として、ということである。

この観点に立ち返ってみるとき、中世のカーニバル的な反転の思考や妄想の愛、ルネサンスの笑いなどは、きわめて動的な変化を内部に残したものであるように感じる。
視覚的空間偏重な遠近法的幻惑の裏にあるのは、用意に上下が反転しうる変化の時間のなかに音声的で生物的な世界だということだろう。

そして、それらはシューエルが次のように書くオルフェウスのポストロジックな方法に似ているのではないだろうか。

その目的は世界を発見すること。まさにこの故に、この方法は現に美しくもあるのだ。

長々と書いてしまったが、こんな感じでヨーロッパ文化史を見直すだけでも、いま主流の見方とはまるで異なる見方がありうるのだと書いた僕本人、あらためて気づくことができた。

読み続けることの大事さを実感。


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