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メディア論とプロジェクトのデザイン

計画でも、デザインでもいいのだけど、外の現実を内なる思いに沿うよう変えようと考えるなら、その前提として、外と内との間に何らかの照応が必要になるはずである。

例えば、名前だとか、重さや長さあるいは性別や年齢のような対象となるものの属性データだとか、対象となるものの写真とか、対象に関する調査資料とか。これらは外にあるものを内側で把握するために必要なものだ。

一方で、実際に計画だとかデザインだとかを考えようとすれば、例えば、建築なら平面図や断面図、アクソメなどを使って内なるイメージを外へ投射するための方法として使うし、スケッチだとかモックアップといったもので、内なる考えをどう外に実装しようとしているかのイメージを検証したりもする。

そもそも遠近法だとか、1つ前の「文書に書きだしながらプランを練る」で話題にしたプロジェクトマネジメント計画書なども含めて、内なる考えを外で実現しようとする際に媒介となるものだ。

世界へのアクセス権としての観念

言うなれば、科学や数学も外と内との媒介だし、言語や数字がそもそもそういうものだ。ある意味、人間はそうしたものがなければ、世界にアクセスできないのだと言って良いのだろう。

エルネスト・グラッシが『形象の力』で書いているように、「人間は〈世界未決〉である」なのであって「自分の環境に生きる」動物に対して、人間はデフォルト状態では「世界を持たない」のだろう。少なくとも世界にアクセスする手段を持たず、それゆえ、世界の意味するところがわからない。と同時に、人間は、世界に対して自分自身の存在を意味付けられないということにもなる。

様々な取り組みから、現代動物学、動物行動学、人間学、民族学が到達した基本認識によれば、人間は環境そのものを構築しなければならず、世界解釈の能力をまず発展せねばならず、行動の由ってきたる〈成型〉、〈観念〉がまず認識の対象とされねばならない。この過程の意味するところは、自分とは〈成る〉もの、〈自己-形成〉するものだということである。

行動のよってたつ認識の対象として観念が必要になる。そうでなくては人間は自分が何者かも明らかにできない。
世界との間に観念をもつということは、それゆえ、自分が何者かを明らかにする手段であるし、自分が何をすれば良いかを知るための手段でもある。

小型の世界形成としてのプロジェクトデザイン

実はこれ、仕事やプロジェクトなどの場合でもあてはまる。
自分がその仕事の環境において何者であるかがわかっていないままだと、自分が何をやればよいか迷ってしまうからだ。この迷いから出るためには、外の環境と自分の内をつなぐ媒介となるものを持つ必要がある。

その環境がプロジェクトであれば、ふの計画が媒介となる。
そのプロジェクトで何をゴールとして定め、それには何がリソースとして必要で、それらを使って誰が何を行えばゴールに到達できるかを考えるツールとしてのプロジェクトマネジメント計画ドキュメントが媒介となるツールだ。その支えとなるPMBOKなどの考え方もある限られた範囲で世界にアクセスできるようにするためのツールと見ることもできる。人はそれらを媒介として使うことによってプロジェクトメンバーとしての自己形成が可能になる。

デザイナーとしての人間の誕生と遠近法

マクルーハンがメディアは人間を拡張すると考えたのも、こうした意味で理解するとより身近なものになるのではないだろうか?

デザインの誕生」で遠近法という数学的に自然の模倣を可能にする新しい世界認識のツールの獲得後、外の世界を内へと模倣する方向が見事に反転して、内面のイメージを外へと投射しようとするマニエリスムのデザイン的思考が起こったという話をした。
内から外への方向が可能になると、人間の側から世界にイメージを投射し、世界を人工的なものに変えるということが可能になる。ようするに世界をデザインの対象、自分たちにとってより良いものに改変する対象として捉えられるようになったわけである。つまり、デザイナーとしての人間、改良者としての人間の誕生だ。
遠近法というツールにより、人間は一部の範囲では少なくとも世界創造者という自己を形成したわけだ。

W型問題解決で内から外へ、外から内へ

さて、プロジェクトデザインの話に戻ろう。プロジェクトをデザインする際、PMBOKの10の知識エリアをフレームワークとして使い、プロジェクトという世界に自分がどう関わっていくかを考えるのは1つの作法である。

それとは別に僕がおすすめしたいのは、川喜田二郎さんが『発想法』の中で提唱していたW型問題解決のフレームワークを応用することだ。

この図は、書斎科学、野外科学、実験科学の関係を描いているが、もうすこし抽象化して捉えれば、縦軸が「内と外」、横軸が「分析と統合」の4象限に分かれたものとして見ることができる。
つまり、内での分析から外での分析、さらに内での分析から統合への移行(ようはコンセプトワークだ)、それを外での統合としての概念実証、実証実験で世界と関わり、最後にもう一度内へと戻ってきて、ここで2周目の内なる分析に移っていく。これはウォーターフォールな流れというより、4つの象限の移行という時間軸を外した状態で捉えてみたほうが役に立つ。さらに、大きな「内での分析」の中にも、小さな4象限を行き来するような見方の切り替えを想定することもできる。

この基本の流れをどうプロジェクトに盛り込むかという観点でデザインする。そんな風にプロジェクトを組み立て、かつ実施のなかでファシリーテションしていくと、未知の物事が多いプロジェクトもどう進めればよいか、自分が何をやるべきかが見えやすくなる。

方法論に頼りすぎるのは好きじゃない。けれど、自分が何をしていいかわからない時に、すでに世にある、さまざまな方法を吟味してみないのは、利口な人の態度ではない。依存するのは良くないが、試してみないと方法の裏にある本質的なカラクリもわからない。

だから、自分の立ち位置、やるべきことがわからなかったら、まずは既存の方法を試してみるべきだ。方法を通じて、外側にある世界と自分の内側にある思考をどうつなげればよいかを学ぶことが大事だ。学んだら方法などは忘れれば良い。世界との関わり方の基本がわかってくれば応用が利くようになる。

そのためにも方法というメディアの本質に目を向けることは不可欠なことだろう。

#デザイン #メディア論 #プロジェクト #発想法

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