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ドラクロワとユゴーと

1814年のナポレオン没落後、フランスは王政復古の時代に入る。
24年までをルイ18世が、30年までをシャルル10世が王位に就いた。

この復活したブルボン王朝は、まるでフランス革命など、なかったかのように、貴族や聖職者を優遇し、市民は不満を募らせた。
シャルル10世は国内の不満をそらすため、1830年にアルジェリアへの侵略を開始。それでも不満はおさまることなく、シャルル10世は自由主義者の多かった議会を解散し、選挙権を縮小する勅令を発した。
これにより市民の不満は爆発。立憲君主制のオルレアン朝を擁する7月王朝へとつながる7月革命を引き起こすことになる。

横たわる屍体

ウジェーヌ・ドラクロワがあの有名な『民衆を導く自由の女神』を描いたのは、そんなときである。

このGWにパリのドラクロワ美術館で、この下絵を観た。色数も少なく、ラフなタッチで描かれているが、僕がドラクロワの作品が好きな理由でもある、あの特徴的な要素はすでにしっかりと描かれている。

そう、女神の足元に横たわる複数の屍体である。

もちろん、それは完成した作品にも描かれている。

こんな感じだ。

僕はこの絵を観るとき、女神とそれに従う人たちよりも、この足元に横たわった屍体のほうに目がいってしまう。
もちろん、ネクロフィリアなどではない。ドラクロワのこの執拗に屍体や殺害にいたる残虐なシーンを描いた画風が好きなのだ。

屍体のヴァリエーション

マリオ・プラーツが19世紀のロマン主義を論じた『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』で、こう書いているように、ドラクロワの作品は屍体で溢れている。

『キオス島の虐殺』の迫害を受ける病める女たち、馬に裸のまま繋がれた美しい囚われの女。ちょうどサドが描いている饗宴-そこには芸術の香りは露程も感じられないが-のひとつのように、サルダナパロスの婚礼と死出の床で虐殺される美しい寵妃たち。(ドラクロワの最初のスケッチでは、右側の奴隷女は首を斬り落とされており、実際の絵画では、剣の下に倒れんとしている。)『コンスタンチノープルの入城』では、凌辱され、殺害された女が、乱れた体で階段の上に倒れ伏し、汚れにまみれ疲れ切った金髪の貴婦人が、息絶えた母親の蒼白い顔の上に屈み込んでいる。溺れるオフィーリア、そのイメージはドラクロワにつきまとうだろう。

『キオス島の虐殺』などはテーマからして、その通りのものだ。

こんなふうに母親の屍体から離れない赤子が描かれていたり、

重なるように亡くなった男女の屍体が描かれる。

まるで、ドラクロワは、さまざまな屍体のヴァリエーションを描こうとしているようだ。

それは僕が好きな作品『サルダナパールの死』を観ても同様だ。
完成品に近い習作をみよう。

さらに、下のような下絵を観ても、ドラクロワが屍体をいかに描くか、いろいろと試してみているのがわかる。

死を呼び込むのは敵である人だけではない。虎などの猛獣も人を死に至らせる。

死んでいない場合でも、人は傷をおってうなだれている様子で描かれることもある。
下の絵で描かれた聖セバスチャンも、通常、ほかの画家たちは同じように無数の矢が刺さった状態の聖セバスチャンを描く場合でも屹立した状態で描くのご通例なのだが、ドラクロワはそうは描かない。

こうした絵をドラクロワは、王政復古の時代から7月王朝の時代にかけて描きたい続けた。

ユゴーも死に取り憑かれて

先に紹介した本で、プラーツはこの19世紀のロマン主義の時代について、こう書いている。
死に取り憑かれていたのは、この時代、ドラクロワのみではなく、多くの芸術家、作家が呪われた美に惹きつけられていたのである。

しかし、この美しさと悲しみとの切り離すことのできない結びつき、呪われた美という至高の美について語ったロマン派、デカダン派作家の証言は、枚挙にいとまがないのである。ヴィクトル・ユゴーでさえも、その血管にシェリーやキーツ、ボードレール、フローベルの苦悩の血が流れていなかったにもかかわらず、ボードレールの驥尾に付して、《美》と《死》との血縁を荘重に歌ったのである。

そう。政治家としても活躍した、フランスを代表する偉大な作家であるヴィクトル・ユゴーでさえ、例外ではない。

いま読み進めている、20世紀初頭のフランス人作家、シャルル・ペギーの『クリオ 歴史と異教的魂の対話』という小説でもなければ、エッセーとも言い難い不思議な文学作品(これがまた何ともいえず面白い!)では、主人公の歴史を司る女神クリオがユゴーの1853年の作品『懲罰詩集』中のひとつの詩について「かつて絵画や、彫刻や、物語や、歌曲で描かれたなかでも特に陰鬱な「死の舞踏」である」と評する場面がある。
そして、歴史の女神クリオは、ユゴーについて、こう言うのである。

ユゴーは人殺しが好きだった。動かしようのない事実だわ。(中略)それでも結局のところ、ユゴーを駆り立てる要因は、これをはるかに上回るものだった。それにまた、ユゴーを駆り立てる要因は、ユゴーのロマン派的心情をはるかに上回るものだった。これだけは言っておかなければならない。そう、ユゴーには人殺しに対する特別な偏愛があった。人殺しはユゴー作品のいたるところに顔を出し、多くの地点で人知れず能力を発揮している。多くの地点で人知れず力を貸してくれる。基礎を欠いていながら、ユゴーに完全な成功をもたらした、あの途方もない博識には、人殺しをめぐる特別な、土台もしっかりした個別の博識が含まれていた。

ドラクロワのみならず、ユゴーさえも惹きつける死の力をとはいったいなんなのだろう。いや、死一般というより、19世紀半ばのフランスにおける死の力だ。それは現代の死とはほとんど別物で、革命期における大きな社会変化と切っては切れないものであるはずだ。

ボナパルトの甥のルイ=ナポレオンが、クーデターによる議会の解散、新憲法制定の上での国民投票を経て、フランス皇帝に即位したのは、1851年12月のことだ。フランス第2帝政のはじまりである。

当初、ナポレオン3世を支持していたユゴーだが、皇帝即位後、市民に対して圧政を加えるようになると袂を別つ。そして、ナポレオン3世を痛烈に批判したのが、この『懲罰詩集』であると言われる。そこに死に関する表現を差し込むのは、ドラクロワといっしょである。それを知って、僕がこの詩集を読みたくなったのは言うまでもない。

通念に束縛されずにイメージを観る

ドラクロワとユゴーの共通点をもう少しだけみてみよう。

ダリオ・ガンボーニは『潜在的イメージ』でドラクロワの作品『サルダナパールの死』について、こう書いている。ただし、その下絵についてだ。

例として《サルダナパールの死》の習作を見よう。素早く引かれた描線が支離滅裂に行き交い、行きつ戻りつしながら、ひとつの図像から別の図像へと飛躍する一方で、人物とその眼差しが交差し、重なり合って、全体として幻惑的な一体性を感じることができるだろう。残虐な暴君と茫然自失の従者、殺戮の犠牲となった女性の捩れた肢体、すべての要素が乱雑な描線によって一体化している。観る者は、一瞬にして、ここで起こっている出来事が、道徳観念を踏みにじる暴力と無政府状態(アナーキー)であると理解することだろう。1825年のサロンにこの完成作が展示されたとき、即座に激しい非難が浴びせられたのもうなずけるところである。

ここでガンボーニが言及するのは、上で示した色のついた下絵ではなく、線画のデッサンで描かれたものである。
ガンボーニは、このデッサンというものが当時もっていた意味について、こう言及する。

さらに強調すべきは、当時、こうした偶然任せの作品には芸術的価値がまったく与えられておらず、単なる愛好家の余技とみなされるだけであったため、逆に、展覧会や競売場の通念に束縛されることなく、自由な想像力を働かせることができたという点である--おそらく、デッサンというジャンルにおいて、より自由な実験的試みが多数なされたことも偶然ではなかろう。絵画や彫刻よりも規則に縛られることがなかったからである。

このはっきりとした像を結ぶことなく自由なイメージを創出することが可能なデッサンの実験的な試みに惹かれたのは、ドラクロワのような画家だけではなかった。
文学者であるユゴーも同様に、いまなら抽象画といえるような潜在的なイメージを描いたデッサンをいくつも残している。

「ユゴーはひとつの方法に束縛されることなく、あらゆる手段を駆使して多様な線画作品を制作した」とガンボーニは書いている。

この方法に束縛されないユゴーの創作は、ガンボーニが伝えるドラクロワのこうした思いにも重なるだろう。

ドラクロワは言う。「美しいタブローに、ひとつの定まった思想しか見出さない人は不幸である。また、想像力豊かな人に対して、完成されたもの以外には、なにも提示しえないようなタブローも不幸である。タブローの価値は、定義しえないもの、正確さから逃れてゆくもののなかにこそある。要するに、色彩と線に魂を込めたものが、魂に語りかけるのだ」。

この時、ドラクロワの描いた、さまざまなヴァリエーションをもつ屍体の意味も変わってくるだろう。

それは通念に束縛されることなく、自由にイメージを観ることの価値を見出していた19世紀ロマン主義者たちの共通点であり、それは屍体というより、むしろ、ドゥルーズ的な潜勢的(ヴァーチュアル)な力をイメージ化したものだったのではないだろうかと思う。

なぜなら、ドラクロワの屍体にはいつでも活き活きとしたつよいパワーの躍動を感じるからだ。
ガンボーニもこう書いている。

もうひとつ、「潜在的」という用語に関連するものとして「潜勢的(ヴァーチャル)」という言葉がある。ベルグソンが好んで用いたこの言葉もまた本書で用いるのに価するものである。この哲学者はまず「可能なもの」と「現実的なもの」を対比し、前者が「過去に見出す現在の幻影(蜃気楼)」、すなわち(ここでもまた)「可能なもの」が「現実的なもの」の「遡及的な」視像にすぎないと述べつつ、「現在化するもの」に対置して「潜勢的なもの」という概念を挙げた。このベルグソンの概念的区別については、ジル・ドゥルーズによる明解な解説がある。ドゥルーズによれば、ベルグソンにとって「現実的」になる以前の「可能なもの」とは、類似と限定の規則に従属したものにすぎなかった。

死がみせる生の可能性、有機的なものの潜勢力。
19世紀のこのロマン主義の時代、人間の思考や行動にどんな変化が生じ、時代のベクトルが変わったのか、それを考えるヒントはこの辺にありそうだ。


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