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ファウスト/ゲーテ

なぜ、ゲーテなのか?
まず、詩人、劇作家、小説家としてドイツを代表する文豪である一方、色彩論や生物形態学、地質学などの分野で自然科学者としても後につながる功績を残し、また、26歳で移ったヴァイマル公国で政務にも関わるようになり、33歳には公国の宰相にもなっている多才なゲーテという人について興味がある。
文学と自然科学、そして、政治という今ならつながることがほとんどありえなさそうな領域横断を一身で体現した、その思考の有り様と、それらがつながることで成されたものが何かということを考えてみたい。

また、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1749年、ドイツ・フランクフルトに生まれ、1832年ヴァイマルで没しているが、この18世紀から19世紀を股にかけた人生は、イギリスを皮切りに産業革命が進み、フランスでは革命が起き、そして、ナポレオンのウィーン占領により1806年には中世から続いた神聖ローマ帝国が消滅する、といったような大きな変革の時代に重なっていて、ゲーテを通じて、その激動の時代の人々の思考や生活様式の変化をとらえてみたいという思いもある。

簡単にいうと、そういったわけでゲーテなのだ。

それで手始めに読んだのが、ゲーテを代表する作品『ファウスト』

戯曲形式で全編韻文で書かれた作品だが、読んでみて真っ先に感じたのは、それまでの戯曲(例えばシェイクスピアの作品など)と比べて、主人公としてのファウストがちゃんと主人公としてフォーカスされ、そこから劇の世界が描かれているという印象があることだった。劇を構成する一要素としての登場人物の一人というよりも、より主人公である彼の思考を中心に劇の世界が展開していくように感じる、特に大きく2つに分かれた構成のうち、前半部であり、先に出版された第1部のほうにそれを強く感じる。

ゲーテより200年も前に書かれたシェイクスピアの演劇では、主人公は劇の中心であっても、あくまで劇を構成する要素として、彼あるいは彼女の視点で劇世界の見え方が変わることはない。観客(あるいは読者)である僕らは、他の登場人物たちとそれほど変わらない視線で主人公を見る。ハムレットに対しても、マクベスに対しても、オセローやリア王に対しても。

けれど、このゲーテのファウストに対してはすこし違う。
ファウストの視点で、他の登場人物を、劇の世界を見てしまうように誘導されるようなところがある。いや、劇全体がそうなっているわけではないのだけれど、すくなくとも、劇中で起こっていることを、ファウストの思考を介して理解しなくてはいけないような描き方をされている箇所がすくなくない。

このあたり、一般市民階級においても個人というものが社会の前面に出てくるようになった、フランス革命との同時代性を感じる。また。ゲーテ自身はロマン主義に対して否定的だったとは言われているが、個人というものを表現の核の1つにおいた同時代のロマン主義的なものとの強い関係も感じるのだ。

以前、「観察者の系譜/ジョナサン・クレーリー」という記事でも紹介したが、実はゲーテは生理学という学問分野の創始者とも考えられる。ルネサンス以降、機械論(カメラ・オブスキュラ)的に視覚というものを考えてきた社会が、ゲーテが『色彩論』で提示した光の残像=人体そのものが生成する視覚という提案をはじめとして、視覚が生体的なものとして考えられはじめるようになったのである。

クレーリーはこう書いている。

ゲーテとショーペンハウアーとが主張した、観察者に新たなる知覚の自律性を与える主観的視覚は、観察者を新しい知や新たなる権力の諸技術の主題=主体にすることと軌を一にしてもいた。19世紀において、これら二つの相互に関連した観察者の形象が浮上してくる領域こそ、生理学という科学だったのだ。1820年[代]から1840年代にかけての生理学は、後に専門科学となったときの姿とは随分異なっていた。当時生理学は、公式の制度的身分をまったくもたず、さまざまに異なる学問分野出身の、お互いつながりのない人々の仕事の集積として生まれ始めていた。

ゲーテはこの『ファウスト』という作品を書くにあたって、15世紀から16世紀頃のドイツに実在した占星術しにして錬金術師であったヨハン・ファウストの伝説を下敷きにしている。
学者として成功していたにもかかわらず、人生に満足してなかったファウスト博士が、悪魔メフィストーフェレスと契約し、自分の魂と引き換えに、様々な知識、現世での幸福を手に入れたという伝説をもとにした人形劇が18世紀のドイツにはあった。それを子供の頃に見ていたゲーテが、いつかこれを元にした作品を書こうと考えていて、生涯かけて、それを実行した作品が『ファウスト』である。

『ファウスト』は先にも書いた通り、2部構成だが、この伝説や人形劇のプロットを比較的多く採用しているのは、第2部のほう。第1部のほうには素朴な街娘グレートヒェンとの恋というゲーテのオリジナルのストーリーが入っている。ファウスト個人の視点を特に第1部の方に感じるのは、そのせいだと思う。

ちなみに、ゲーテが子供の頃見たという人形劇のオリジナルは、シェイクスピアと同時代のイギリスの劇作家クリストファー・マーロウが伝説をもとに書いた戯曲『フォースタス博士の悲劇』(1592年頃初演)であると言われている。そのマーロウの『フォースタス博士の悲劇』の背景に、中世からルネサンス期まで続いたカーニヴァル的な聖俗転倒の嗤いがあることを指摘したのはヤン・コットの『シェイクスピア・カーニヴァル』という本で、「既存の枠組みを冒涜して嗤え、危機感にあふれた時代に」という記事では、「価値あるものを嗤うカーニバル的態度。まさに、フォースタスが悪魔の力を借りて嗤うことで手にするものこそ、イノベーションだろう。そして、笑いによる価値転倒という方法を、マーロウと同時期に確立したのがラブレーやエラスムスなどのルネサンス期の文学者たちであると書いたが、当然、その同時代人のリストにはシェイクスピアも含まれる。

全編、錬金術をテーマにした作品だといってもよい『ファウスト』も当然ながら、その中世的な関連からカーニヴァル的な祝祭の場面が描かれていたりもする。けれど、シェイクスピアのルネサンス期にあった聖俗逆転、上下の反転、あるいは精神に対する肉体的なものの勝利といった本来カーニヴァルに欠かせないものが、この『ファウスト』の祝祭からは抜け落ちていて、すっかり骨抜きにされている感がある。
そのあたりにも時代の変化を感じて興味深い。

というわけで、いろいろ気がつくところはある『ファウスト』だが、もう1つだけ面白かったポイントを紹介。

「第2部 第1幕 遊苑」の場面、皇帝の居城でこんな会話が繰り広げられる。

大蔵卿 お忘れでございますか、親署遊ばされたではございませんか。昨夜のことでございます。陛下はパンの神に仮装せられまして、宰相が私どもと一緒に御前に罷り出で、こう奏上仕ったではございませんか。「この盛大なる御祝祭のお慶び、人民の幸福を嘉せられて、一筆の土地御願い申上げまする」陛下は墨痕もあざやかにお認め遊ばし、その御親署を、昨夜のうちに奇術師をして何千枚にも至らせました。御仁慈が遍く等しく及びまするようにと、あらゆる種類の紙幣に御親署を捺印し、10、30、50、100クローネの紙幣が出来上がりましたのでございます。(中略)皇帝 ではこの紙切れが金貨として通用するのか。軍隊、帝室の費えがすべてこれで賄えるのか。奇怪至極のことと言わざるをえぬが、よしとせずばなるまいなあ。

財政が破綻した帝国にやってきた、ファウストと彼と契約を結んだ悪魔メフィストーフェレスは、謝肉祭の饗宴のなか、当時ゲーテの頃のドイツでは発行されていなかった紙幣を発行して、帝国の財政を回復させるシーンにおける会話の一部である。
ファウストとメフィストーフェレスは、地下に埋まっていると想定される財宝を担保に紙幣を発行し、帝国の財政難を救ってみせる。

祖国に紙幣が発行されていないドイツでゲーテがこの着想をどこから得たかといえば、フランスのミシシッピー計画といわれる金融政策の成功と失敗にまつわるジョン・ロー事件と言われるバブル崩壊の出来事だと言われている。

戦争や王族の濫費により財政難を抱えていた当時のフランスは、国債の乱発や貨幣の改鋳で経済が不安定になっていた状況だった。そんな折、スコットランドの実業家ジョン・ローがフランス中央銀行を支配し、通貨発行権を手に入れ、不兌換紙幣を発行。これにより、フランスは金属貨幣経済から紙幣経済に移行した点はローの功績だといえる。
ローが作った銀行は、フランス初の中央銀行「バンク・ロワイアル」(フランス王立銀行)に発展。1716年のことで、ゲーテが『ファウスト』第2部を発行したのが彼の死後1年経った1833年だ。ゲーテが金本位制のもとでの紙幣発行というシステム不兌換紙幣を想定して、地下に眠った金銀を担保に紙幣を発行するというアイデアを思いついても不思議はない。

当時のフランス国債の市場価格は額面価格を大きく下回り信用を失っていた。
ローがこの国債を額面価格でミシシッピ株式会社の株式に転換できるようにしたので、人々は争って株式に交換しはじめた。ローの銀行は大量の紙幣を刷って株式の配当の支払いに充てた。
これがローのミシシッピー計画が、ルイ14世が生み出した多大な財政赤字の解消したカラクリである。

だが、当然ながら信用不信を起こし、ついに会社の資本調達は破綻する。1721年に会社は倒産。株は紙屑になる。人々はミシシッピ会社株と紙幣を金や硬貨に替えようと殺到したが、銀行には対応できる金も硬貨もなく、紙幣の価格も暴落。そんな経済の大混乱を起こしたのがジョン・ロー事件だ。
フランス革命の遠因であるとも言われている。

ファウスト 無尽の宝が御領地の地中深く、利用もされず、人待ち顔に、じっと動かずに横たわっております。

ファウストは、ジョン・ローさながらあるかどうかも定かではない、地中深く眠った無尽蔵の財宝を担保に紙幣を発行する。それによって、帝国の財政が立ち直ったかのようにみえるのは、ジョン・ロー事件と同じだ。

ジョン・ロー事件が起きたのが、18世紀前半。ゲーテの『ファウスト』にいたっては19世紀前半のことだ。この当時スタンダードになりつつあった金本位制さえ、20世紀初頭の世界大恐慌で完全に機能不全となっている。兌換紙幣は政府の信用を前提とした不換紙幣に変わっていく。
いま、キャッシュレスだの、仮想通貨だの、ということが取りざたされるが、貨幣そのものがそれほど安定した歴史を持っているわけではないことも忘れてはならないと思う。

ざっと、こんなところが『ファウスト』を読んでの主だった感想だが、一度読んだだけではなんだかわからない感じを受けたのも、この作品の特徴だった。

というわけで、他の作品も読んでみたり、ゲーテにまつわるあれこれの本を読んだりしたのち、もう一度、この『ファウスト』を読み返してみると面白いかもと思ってるところ。

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