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見ることの創造性

自分で何か視覚的なものをデザインしたり、ディレクションしたりする際に、自分自身に見る目がなければ、当然ながら、つくるもののクオリティーは上がらない。

利休の観察力はあまたの茶人の歴史でも群を抜いている。岡倉天心や幸田露伴ならいざしれず、とても利休にはかなう者はいない。あの造形力は観察の賜物である。器物を見る目はむろんのこと、きっと人の器量を見る目も鋭すぎるほどだった。

と、松岡正剛さんは『日本数寄』で書いているが、まさに千利休が茶の達人だったのも器をはじめとする茶道具の目利きができただけでなく、茶会においてどうたち振る舞うとよいかだったり、そもそも茶会には欠かせない人というものを見る目があったからなんだろう。
数多くの器の型の切抜きをつくり、見たものを自分の中で整理することを怠らなかったのだろう。見たものの意味がディテールや要素間の関係性なども含めて理解できていなければ、それを自分の創作になど使えるはずはない。
何か良いものをつくりだそうとすれば、この観察眼はなくてはならないものだ。

潜在的イメージ

その意味で、いま読んでいるダリオ・ガンボーニの『潜在的イメージ』もまさに創造における見ることにも着目した一冊。

観る者が(物質的対象としてではなく生成プロセスとしての)芸術作品の生成に貢献している事実を重視するとき、「潜在的イメージ」という概念は、視覚芸術という範疇を超えて、コミュニケーションと意味作用に関わる重要な問題を引き起こすことが明らかとなろう。

と書いている。
芸術のみならず、コミュニーケーションや意味作用と書いているのは、まさに千利休がその観察眼を落とし込んだのが、茶会というコミュニーケーションや意味作用も含めた総合芸術の場であったことも再度思い起こさせる。

ガンボーニは、潜在的イメージというものを、

「観る者の精神状態」に関わるイメージ、作者の意図に呼応しながらも、観る者の介在によってはじめて完全に存在しうるイメージのことである。

としていて、「こうしたイメージは一般的に曖昧で、不確定的で、多義的である」と書いている。
このイメージの曖昧さや不確定性に、ガンボーニは、見るという行為の側にも創造性の一端を担わせようとしているように読める。

雲やしみから浮かびあがるイメージ

ガンボーニは、古代ギリシャにおいて、「ものがなぜ見えるか」という視覚理論が発展したといっている。
例えば、プラトンなら「眼から発して対象へと到る「火」の流れを強調した」し、アリストテレスであれば「対象と眼のあいだに介在する空気と対象の作用を重視」したのだそうだ。
ここでガンボーニが注目するのはルクレティウスの理論で、「対象から薄い膜(「シムラクラ」)が剥がれて眼に飛び込んでくる」とルクレティウスは考えた。
シムラクラが「自然発生し、人間が予測できない自由な動きをする」というルクレティウスの考えの基盤は、「雲の非恒常的で非一貫的な性質とそれが喚起するイメージの流動性」であるとガンボーニは言う。

この雲の中にイメージが浮かびあがることへの言及は古代からあったようだ。雲のなかに人や動物のかたちを見たし、夜空の星に星座を読んだのも古代の人々の想像力だ。

アルチンボルドがこの手紙を書いたのと同じ頃に、アニメルーニもまた「さまざまな幻想的なものや奇妙な物体の新しい形」がしみの中にみられるとしている。アルチンボルドはこうした叙述のいくつかに親しんでいたかもしれないが、しみについてのもっとも有名な文章、そしてアルチンボルドの思考によりふさわしかった情報源は、試みを円滑なものにするために画家たちに与えられたレオナルドの忠告であった。

と、書くのは『綺想の帝国』のトマス・D・カウスマン。マニエリスムの画家アルチンボルドもまた、しみという曖昧で不確定な形象にさまざまなもののイメージを見たようだ。

その際、アルチンボルドの頭にあったのは、有名なレオナルド・ダ・ヴィンチのしみにまつわる創造性の話だっただろうとカウスマンは言っている。
それは、こんなレオナルドの主張である。

レオナルドのよく知られた「才能を刺激してさまざまな試みを引き出す」ための方法とは、壁についたしみや組み合わされた石などを眺め、そこにさまざまな風景、戦闘、あるいは人体や「ありとあらゆるもの」を読みとるというものだった。芸術家が自身が創造しようと思っている「これらのものを一つ一つすべて」よく表現する方法をすでに知っているなら、そのときには、「混然としたもの」が才能を刺激することもありうるとレオナルドはいう。

「混然とした」しみが芸術家の想像力を刺激する。曖昧で不定形であるがゆえに、自由な想像を可能にすることをレオナルドは自身の経験から学び、主張していたのだろう。
このレオナルドのいうしみの中にイメージの源泉を見てとる力もまた、千利休同様の観察眼の賜物だろう。

変幻自在な余地があれば

こうした画家の想像を元に創造する力を筆頭に、いまだ存在しないものを想像力をもって見る、見出すというのがクリエイティブな活動の基本となる。
もちろん、それはまったくのゼロからの創造というのではない。レオナルドやアルチンボルドがそうであるように、しみなどの別の存在から異なるものを想像して形にするということだ。

その想像力を働かせるには「隠喩と価値創造」で書いたように、2つの遠く離れたものを飛躍的に結びつける隠喩的な思考を働かせる必要がある。しみや雲と、そこにはない別のイメージをだ。

ガンボーニもまた、先のレオナルドのしみの話を取り上げているが、レオナルドがそれ以前の芸術家たちとは異なる形で曖昧で不定形な図像から喚起されるイメージの使い方をしていると指摘している。
従来の芸術家たちは、曖昧で不定形なしみや雲を、人や動物などの形で描くだけだったのに対して、レオナルドは引用中に言及されているとおり、そうした曖昧で不定形な図像を元に、より完成された作品へと昇華させていったからだ。レオナルド以前が雲を直喩的に人間や動物に結びつけていたのだとしたら、レオナルドはしみや雲といった曖昧で不定形な形をきっかけにしつつも、まったく異なる完成された図像を隠喩的に導き出したのだといえるだろう。

ガンボーニはこんなことも書いている。

ミシェル・ジャヌレは、最近の著作において、ルネサンス期に「想像力の源泉」として不確定なイメージが好まれたことについて、次のような説明を行っている。「16世紀の人々が、プロメテウス[変身能力をもつギリシャ神話の海神]のように『変幻自在な』物質や混沌としたものに惹きつけられたのは、単に、一連の変容の面白さを発見したからではない。そこに変容が暗示する潜在的なもの、エネルギーの源を見出したからである。変幻自在な物質は将来的な動性(変化)の象徴である。混沌のなかには起動的なものの魅力が横たわっているのである」。

形が定まったもの、それがすでに何かが明確になっているものには、あまり変形の余地はない。無理に変形しても、元々もつ価値を下げてしまうばかりかもしれない。美しさを損ねるかもしれない。
けれど、不定形であれば、曖昧でまだ意味=価値が定まらない、変幻自在さが残っているのなら、そこから何かが生まれる潜在的可能性がある。
であれば、自然の模倣=ミメーシスから離れた芸術家が曖昧で不定形なものに惹かれるのは当然のことだ。

いまある体験の中に、いまない体験を見る

不定形なもの、曖昧なものに、変幻自在な余白をみる、この想像力はより広い意味での体験のデザインの際にも必要だ。謎めいたものにこそ、可能性を感じる感覚。わかりやすいものしか受け入れられないと、創造の可能性も見逃してしまう。

目の前にある日常的な体験を観察して、まだそこに存在しない別の体験を想像して、新たなUXを生みだす起点とする。レオナルドやアルチンボルドの想像力をいまに持ち込めば、そういう使い方になる。

新たな価値あるサービス、ソリューションの創造の素になる、いままさに改善を待つ日常的な活動も、壁のしみのように多くの人が当たり前と思って見落としている場所に実は存在している。それらはまだ曖昧で不定形な状態にあって、ちょっと見ただけではそこに何の価値があるかもわからないし、不定形で変化が常態化しすぎているために、つかみとることさえ、むずかしい場合もある。

だからこその観察眼だと思う。この場合、実際にリアルタイムに見ているときの見分けだけを指すのではない。見たものを解釈、統合する際の情報の目利きも含めての観察眼だ。

どこに体験を根本的に変えることで、人びとの生活や仕事における価値が大きく変わりそうな転換のポイントがあるのかを見つけること。どうせ、何も見つからないと思って、日常の観察を排除する人に、創造的な発見の機会はない。見えないのは見方が磨かれてないからなのであって、いくらでもイノベーションの余地がある日常にヒントなど、本当は山ほど落ちているはずだ。
それに気づかないのは、見る人の目が節穴だからだ。1つ前に書いた通り「視点を持って見る」ことが必要だ。

ガンボーニは、古代中国の甲骨のひびを使った占いの話をしながら、こんな風にいう。

イメージはなんらかの表象に還元されるべきものではなく、目に見える形で「見えないものを証言する」ものにほかならない。

まさに、その通りだ。あらかじめ意味の定まった表象しかイメージから読み取らないのだとしたら、なんと想像力を欠いた節穴だろう。目がついてるなら、見えないものを証言するイメージの声をちゃんと聞きとるよう、耳ならぬ目を研ぎ澄まさないといけない。

#デザイン #UX #イメージ #目利き #観察

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