文書に書きだしながらプランを練る

恥ずかしいので、あんまりおおっぴらには言いたくないのだけど、プロジェクトの最初にプロジェクトのマネジメント計画を文書として書きだす作業は好きだ。

恥ずかしいのは、いちおPMBOKの体系を意識して書いているものの我流だから。ただ、PMBOKの正しい使い方ができているかという点では不安だが、プロジェクトを成功に向けて導くという意味での最初の計画としての文書としては、いろいろ目が行き届いているし、プロジェクトの流れの中でデザイン(広義の意味)がどう組みあがっていくかを示せていて割と書けてると思うので恥ずかしさはない。

どうしたら、プロジェクトを期待するゴールに導けるか、それにはどういう方法をどういう手順で進めるか。それぞれのタイミングで何をポイントにすればクオリティが上がりそうか。必要なものは何で、必要な役割は何か、とか。あとは最初の時点で見えていない部分は、どうやって見える化し、計画へと組みこんでいくか、といったプランがどんな場面で変更が必要そうかも書きだしておけるといい。

こんなことを考えながら、プロジェクトの進め方をデザインしていき、その形が自分のなかでだんだん見えてくるのが好きなところ。正直、書きはじめは面倒に感じたりもする。見えない部分がたくさんあると行き詰まって唸ることもある。でも、書きながらプランが見えてくるとやっぱり楽しい。
まあ、そのプランをその通り、うまく回せてるかはまた別の話。

言葉として書きだすことの効用

さて、書きたいのは、別にプロジェクトマネジメントプランの話では実はない。もうすこし一般化した意味で、自分の考えてることを書きだすことで、企画、計画を明らかにすることの効用についてだ。
すでに「デザインと言語化」でデザインプロセスの中で自分の考えを言葉にすることの大事さには触れたけど、今回はその言語化を、文章として書きだすという形に絞って考えてみたい。

ここで僕が文書として考えを書きだすことの効用だと思っているのは、書くことを通じてそれまで見えてなかったことが明らかにできるということだ。

はじめに書いたプロジェクトマネジメントプランの場合でも、そうなのだけど、まずはわかっていることから書きだしていくと、逆に何がまだ見えていなくて考える必要があるかがわかってくる。これを実行するためには、あれを先に決めとかなくてはいけないなどの作業間の関係性が見えてきたり、そこにどんなリスクがありそうかも想像できるようになる。文書の形で考えを書いていくことで、穴が見つかるのが、プランをする上での大きな利点だと思う。
PMBOKなどのフレームワークを使えばある程度、何を考えておかなくてはならないかも枠組として与えてもらえるから、計画上の抜け漏れも少なくなる。

だから、単に自分の思いをひたすら書きだすという形だと、この効用は得られない。
なので、この場合の書きだすというには、実は書くことと同時に、自分が書きだしたものを客観的に読む、見るということも含まれる。客観的に見れるようにするためにも書きだすのだと思う。
これが頭の中だけで言語化したり、口でしゃべる形ではなかなか効用が得られない、書くことだからこそ、得られる利点だと思う。

文字にすることと話で済ませることは違う

ウォルター・J・ウォングは『声の文化と文字の文化』で、音声中心の社会と文字社会で人間の思考や生活のスタイルがいかに異なるかということに言及している。文字のない社会でまず問題になるのは記憶に関わる問題だ。

声の文化では、よく考えて言い表された思考を記憶にとどめ、それを再現するという問題を効果的に解くためには、すぐに口に出るようにつくられた記憶しやすい型にもとづいた思考をしなければならない。

文字という視覚的に言葉を留めておくツールがなく、音声という発話とともに消えてなくなる言葉だけでは複雑な問題を考えることはむずかしい。

声の文化のなかで生きる人が、ある1つの複雑な問題を考えぬこうと決心し、とうとう1つの解答をなんとか表現できたとしよう。そして、その解答自身もわりに複雑で、たとえば、2、300語でできているとしよう。この人はこんなに骨身をけずって練り上げた言語表現を、あとで思い出せるように、どうやって記憶にたくわえておくのだろうか。

声の文化ではリズムや韻などの特徴ある音で記憶を留めやすくする詩が思考のツールであった。自然とそれはエピソード記憶的なものにもなったはずで、文脈をバラバラにして考える分析的な思考はできなかったはずである。

ウォングは、声の文化に生きる人びとの思考と表現の特徴として、次の9つを挙げている。

1.累加的であり、従属的ではない
2.累積的であり、分析的ではない
3.冗長ないし「多弁的」
4.保守的ないし伝統主義的
5.人間的な生活世界への密着
6.闘技的なトーン
7.感情移入的あるいは参加的であり、客観的に距離をとるのではない
8.恒常性維持的
9.状況依存的であって、抽象的ではない

分析的でなかったり抽象的でなかったり、保守的で伝統主義的だったり。
これら声の文化の人々の特徴は、そのまま、文字にして考えることが少ない人の特徴にもなるはず。何よりアイデアを展開したり、俯瞰で見たり違った角度で見たりといった視点の切り替えも、視覚的に表現された文字がないとやりにくい。

たとえば、幾何学的な図形、抽象的なカテゴリーによる分類、形式論理的な推論手続き、定義、また、包括的な記述や、ことばによる自己分析さえもそうである。これらの項目はすべて、思考そのものではなく、テクストによってかたちづくられた思考に由来するのである。

ということもウォングは言っている。
この引用中で挙がった思考の方法こそ、何かを企画したり構想したりする場合には欠かせない思考になる。だからこそ、何かのプランを組み立てる際、文書にすることが必要なんだと思うのだ。

言葉にして書きだすことで構想を明らかにする

だから、言葉にして書きだしながら企画や構造を練りあげていく場合、書きだすこと自体も大事だが、その書いたことをいろんな角度から吟味する批評的な目もまた大事だと思う。自分の言葉を自分で客観的に見なおすこと、これが音声ではむずかしい、文書ならではの思考だ。

いろんな角度から吟味するには、2つの意味がある。

1.既存のフレームワークをうまく使うことで見落としている観点がないかをチェックする
2.あえて異質なものを紛れ込ませることで発想の枠組みを広がるようにし、企画や構想の強度を高める

1つ目は、どちらかというとマイナスを減らすための思考だろう。この企画内容で、ちゃんと目的にまで辿りつけるのか、そもそも実行可能なようプランが作られているか、など、様々なフレームワークの視点を借りながら客観的に、自らの思考をレビューする。この工程自体、僕は結構面白いなと思いつつ、やってることが多い。

2つめの方は、発想が普通すぎないようにするため、面白いプランにするためにやるといいことだ。ある意味、プランを壊したり、一筋縄ではいきにくくするためのスパイスだ。
普通にやればうまくいくプランにあえて、異物を入れて、それでも1つのプランとしてまとまるようにするにはとか、あるいは、ちょっと無理かなと思うくらい期間を短縮してみるとか。

言葉で何かを組み立てるという意味では、僕がよく本の引用を入れるのも実はそのためだったりすることも多い。普通にすんなり自分の考えだけで話を進めるのではなく、あえて関係なさそうな引用を入れることで話の範囲や角度を変えてみる。それでも何となくまとまってるなという感じになれば、それは元の僕の考えにも、引用の方にもなかったプラスアルファが生むことにもつながる。
上のウォングの引用も実はなくて済ませられたが、入れてみたことで自分自分、観点が広がった。

他にも、文書で考える際の工夫もいろいろあると思うが、とりあえずはこんな感じ。いろいろ書きながら自己認識のレビューをしてみるといいと思う。

#言葉 #計画 #企画 #文章

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Hiroki Tanahashi

言葉とイメージの狭間で

ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
3つのマガジンに含まれています
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