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忙しかった九州旅行 (石だたみ 1989.3)

 博多といえば、おじいちゃん、お元気ですか。だいぶ、あたたかくなりましたね。

 天神から歩いて十五分の、中央区舞鶴に、母の実家があり、今でも、九十九歳のおじいちゃんがいる。

 おじいちゃんは、足腰はさすがに、ちょっと弱ったが、頭のなかは、はっきりしている。会うと、「親孝行しなさい。人生は、努力、努力、であるん」と、お説教されてしまう。

 去年の暮にはドイツ人の夫のデイルクとおじいちゃんの家に泊まった。

 夕食にでた、タイ、ヒラメなどの刺身の盛り合わせに、刺身好きのデイルクは大よろこび。やっぱり、博多の刺身は、東京の刺身とは、ぜんぜんちがう。新鮮な甘みがある。

 一泊した翌日、西公園、大濠公園を、ざっとまわった。西公園の、海が見下ろせるベンチには、ポカポカと陽があたり、冬であることを、忘れてしまいそうだった。

 そのまま、博多でのんびりしていたかったが、九州を一周する予定だったので、そうもいかない。昼すぎには、熊本行の特急に乗った。

 熊本、阿蘇、鹿児島、宮崎、国東半島と、ユースホテルに泊まり、かけ足でまわった。

 旅行パンフレットにのっている阿蘇の写真といえば、青々として草原が広がり、緑におおわれた山がこんもりというものばかり。つい、そんな風景を期待してしまったが、なにしろ、冬の真最中、いちめん茶色の枯れ草の世界だった。しかも、どんより曇り、今にも雪が降りだしそう。

 しかし、そんな荒涼とした景色が、いがいと、デイルクもわたしも気にいった。幸い、雨も、帰りのバスに乗るまで、降らなかったし。

 鹿児島の桜島には、ほんとうに、おどろいた。小さな島国の日本に、こんなにダイナミックな活火山があるとは。それも、にぎやかな市街地から、海をはさんで、すぐ向こうに。

 桜島からの灰で、鹿児島のひとは困っているというニュースは何度も見たが、やはり、じっさいに近づかないと、あの迫力は、わからない。火口近くでは、ゴーン、ゴーンという、ジャンボジェットの離着陸以上に、大きく響きわたる音とともに、目の前がかすんで見えるほどの噴煙があがっていた。

 やっぱり、鹿児島まで来てよかったと、二人とも大満足。

 宮崎には、十年ぐらい前に、ひとりで来たことがある。八月だったので、暑くて、暑くて、汗まみれ。青島の手前の浜まで行ったら、たまらなくなり、水着に着替えて、泳いだ。観光バスで来た団体が、汗をふきふき、青島への橋を渡っているのを、ごくろうなことだと思いながら、ながめていた。

 だから、青島へ行ったのは、今回がはじめて。原生林がジャングルのように生い茂る、小さな小さな島。有名なわりにたいしたことはない。

 でも、シーズンオフで人影もない。島は、ゆったりと散歩するのに、絶好の場所だった。貝がらのかけらで埋まる浜に腰をおろし、日なたぼっこしているうちに、二人ともねむってしまった。

 国東半島の入口にある、JR宇佐駅に着いたのは、午後になっていた。それから、山のなかのお寺を見に行き、さらに、宇佐から三十キロも離れた伊美港のユースホステルに泊まるという、無難なスケジュールだった。

 国東半島には、鉄道はなく、バスも不便なので、ヒッチハイクにチャレンジ。国道で親指をたてて、親切なひとを待った。

 五分もたたずに、三歳の女の子を連れた主婦が運転する車が、停まってくれた。ちょうど時間があるからと、富貴寺と真木大堂までドライブしてくれた。しかも、自宅で、お茶まで、ごちそうになった。

 つぎにヒッチハイクしたライトバンを運転するひとは、家から十キロも先のユースホステルまで、送ってくれた。降りるとき、「自然卵」とラベルのついた玉子を一パック、くれた。養鶏場の車だったらしい。

 翌日、その玉子を持って、東京まで帰った。玉子は目玉焼や、玉子かけご飯にして食べた。おいしかった。



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