「浪人でもしようか」 小説現代 1985,テーマ:私の少女時代

 勉強はしなくても、中学までは成績がよかったというひとが、よく、いる。わたしも、勉強はまったくしなかったが、成績がよかったのは、小学校二年でオシマイだった。

 小学校のときは、まだ、フツウだったが、中学の成績は悲惨だった。得意科目はひとつもなく、勉強以外のことに熱中していたわけでもなく、運動クラブにはいっても途中でやめ、読んだ本の量も、多くない。

 作文をほめられたのも、小学校二年までだった。雑に書いていたので、ほめてもらえず、おもしろくなくて、ますますてきとうになった。しかし、今では、これでよかったと思っている。大学の文芸科の小説を書くゼミで、駒田信二先生が、「優等生の作文」を書いてはいけないと、いつもおっしゃっていたが、わたしはそんなもの書いたことがなく、すくなくとも、わたしの小説は、「優等生の作文」じゃなかった。

 高校は都立にはいれず、和光大学付属の和光高校にもぐりこんだ。先生たちはとても熱心で、高校生活はたのしかったが、つめこみはしない主義の学校なので、高校を出たときは、受験の世界からは、まったく、かけ離れた学力になっていた。

 推薦ではいれる和光大学は高校のすぐ隣だったので行く気がせず、ほかにいれてくれる大学もないし、なにかやりたいことがあるわけでもなく、じゃ、浪人しようかということになった。なんた、高校を卒業するまで、自分の進路について、考えたことがなかったのだ。

 浪人して、生まれてはじめてまともに勉強してみると、これがけっこう、おもしろい。一年浪人して、また、受けた大学全部に落ちたときも、もうちょっと受験勉強を続けてみたかったので、そんなにがっかりしなかった。二浪の後、結果的に早稲田にはいれた。

 少女時代というのは、だいたい、ここいらまでじゃ、ないかしら。



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